産まれたる悪領3
「メルサーヌ様ぁっ!」
しかし、ガルティエよりも先に悲鳴のように声を上げた者があった。そのあまりの唐突さにガルティエは言葉を発し損ね、期せずして全員の視線がそこに集まる。
故・ドルガノブルク騎士団長の娘、ラティメリア。
狂犬一家の三人すら呆気に取られるなか、彼女はおずおずとバロキエ、ガルティエら虜囚たちの前へと歩み出ると玉座のメルサーヌへ向き直って膝をついた。
「不肖、ラティメリア・フォン・カルムネー。僭越ながらご進言お許しいただきたく存じます」
なにが起きているのか誰にもわからない。しばしの静寂を置いて、メルサーヌが溜息を吐いて「言ってみなさい」と呟くように許可した。
「あ、ありがとう存じます。それでは恐れながら……その……率直に申し上げましてガルティエ殿はバロキエ殿より人望がございます。彼女に罪を贖わせれば後々までの禍根となるは必定でございます」
「ふぅん……」
ラティメリアの言葉にメルサーヌが溜息のように相槌を打つ。
「さりとてバロキエ殿も乱世の雄、品性下劣と言えども慕う者は少なくございませぬ。我らは勝ったとはいえ少数、民はなるべく穏やかに治める必要があるかと存じます。なれば……」
「えっと、ようはそのふたりを大目に見てやれって言いたいわけ?」
「結論から申し上げるのでございますれば……さようでございまする」
室内が様々な意図でざわつく。
敵も味方も、この場でわざわざ彼女がそのような進言を口にするとは夢にも思わなかっただろう。カーライルとアドニスは既に殺気とも怒気ともしれぬ強烈な気配を放ち、恐らく最も彼女に対して友好的であろうタルカスですら険しい表情で口を噤んでいる。
ただひとりメルサーヌだけが相変わらず感情の読めない薄ら笑いを浮かべた。
「そいつ、あんたの父親を騙し討ちで殺したんだけど? 娘のあんたはそいつを許すってわけ?」
「ぐっ……」
「平民と思われていたとはいえ、戯れにあんたの純潔を奪い
「そ、それは……」
俯いたラティメリアが険しい表情で目を閉じる。
「ゆ、許……」
固く拳が握られ、それは突如絨毯の敷かれた床へと叩き付けられた。
「決して、許しませぬ」
怒りにも似た決意を漲らせて彼女は再び顔を上げ、メルサーヌと対峙する。
「この屈辱と無力感、断じて忘れず、許しもしませぬ。正直捕獲のどさくさでタマを蹴り潰してやろうかと思った程度に恨んでございまする」
それはドルガノブルク勢はもちろん、ベッケンハイムの面々ですら一度も見たことのないものだった。特に、彼女の気位に見合わない奇妙なまでの従順さを知るバロキエとガルティエは、その鬼気迫る口調に唖然としている。
「しかし私は騎士団長の娘として参陣を許された身。なれば家臣として、メルサーヌ様にはドルガノブルクの復讐ではなく、再興を成し遂げていただかねばなりませぬ」
「だから、私怨を飲み込んでそのふたりに温情を与えろと?」
「ガルティエ殿は必ずメルサーヌ様のお役に立ちましょう。そして彼女の献身を得るためにはバロキエ殿へも僅かばかりの恩赦が必要かと存じまする。彼女の人望と才覚は使用人として仕えた時分に間近で見ております。決して無駄にはなりませぬ。それに復讐を成し遂げたとてドルガノブルク再興に至らなければ先代様の名に傷が付かぬとも限りませぬ。ここは何卒」
「あーもういいわ、おわりおわり」
聞いているうちにうんざりした顔になったメルサーヌが片手を上げて、別人のように熱弁を振るいだしたラティメリアを制した。
「それ以上正論を振り回して喋るのはやめてちょうだい。私が悪いやつみたいじゃないの」
その言葉は広間に先ほどとは別の、微妙な沈黙の空気を広げた。
「は、そ、それは……」
言葉に詰まったラティメリアに代わり溜息のようにカーライルが口を開く。
「みたいもなにも我々は自他共に認めるドの付く悪党ですよ」
笑いを堪えるような声でアドニスが口を開く。
「お前こそが大陸一の無法者、狂犬一家の真の首魁だろうが」
メルサーヌは拗ねたような目でふたりをそれぞれ睨みつける。
「こぉの
「「仰せのままに、我が主」」
芝居掛かった態度で頭を下げたふたりを満足げに見下ろして、メルサーヌが立ち上がった。
予測不能な彼女の行動に広間の全員に緊張が走るなか、悠々と前に出たメルサーヌは跪いたままのラティメリアの前まで来てにんまりと笑い、次の瞬間バロキエのあごを蹴り上げる。
そしてカーライルとアドニス以外の誰もが驚愕するその場で、仰向けにひっくり返ったバロキエの股間を全力で踏みつけた。
バロキエの声にならない絶叫が広間に響く。
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