狼煙に立つ郎党2

「入れ」


 バロキエの横柄な声を確認してラティメリアが扉を開き「お客様がいらっしゃっております」と傷物きずものを先に進ませる。


「おいラティア、なんだその女は。ワシはなにも聞いとらんぞ」


 そう言いつつも視線は傷物きずものの豊満な肢体からだに釘付けになっている。彼の口元に浮かぶよこしまな微笑をラティメリアはよく知っていた。なにかしら難癖を付けて関係を迫ろうと考えているのだろう。

 傷物きずものは不躾な視線を受けて目を細め微笑みを返す。


「お初にお目にかかりますベッケンハイム侯バロキエ様。貴方様には以前父と母が大変お世話になりましたもので、是非ともご挨拶させていただきたく参上致しました」


「ほう……名はなんという?」


 聞いてみないとわからないが、親の世話をしたのであればなんやかんやと付け入ることができそうだとバロキエは期待に身を乗り出した。

 傷物きずものは扇を胸の谷間へ差し込むと両手の指を赤い髪へ沈め、ごそりとかつらを抜き取って前に差し出した。


「メルサーヌ・シシリィ・ドルガノブルク」


 傷物きずものは上品さの仮面をかなぐり捨てるように歯を剥き出して獰猛な笑みを浮かべる。


「あんたが十年前に騎士団長を騙し討ちして滅ぼしたドルガノブルクの一人娘よ!」


 バロキエは完全に虚を突かれていた。ドルガノブルク? 十年前? あの白金の髪は? 顔立ちもどこかで見覚えが……。


「あっ」


 彼が己の所業を思い出すより一瞬早く、かつらの中に隠されていた投擲用の短剣が傷物きずものの手には握られていた。そのままかつらから手を抜き取る動作から手首の振りだけでまずは右手を一閃三本、呆然としていたバロキエの右目と右肩、右上腕に深々と突き刺さる。


「ぐうおおおっ!」


 くぐもった悲鳴を上げながらもバロキエとて乱世の雄、無事な左手で執務机にかけてあった剣の柄を握る。次に傷物きずものの左手から放たれた三本を剣の鞘で打ち払い「賊だ! 誰か!」と鋭い声で叫んだ。


「ざーんねん、ひと払い済みでしたー! 扉の前はタルカスが守ってるからもし誰か駆け付けてもすぐには入ってこれないわよ?」


 嘲笑うような傷物きずものの言葉にバロキエは怒りを露わに睨み付ける。


「タルカスだと!? あんの、恩知らずがっ!」


「もうちょっと厚遇しといてあげたらよかったかもねー? ご愁傷様♪」


「この小娘がっ……おいラティア、お前もなにをぼさっとしている! さっさとひとを呼びに行かんか!!」


 傷物きずものへの警戒を解かないまま怒鳴るバロキエに、苦い表情で首を横に振るラティメリア。


「我が名はラティメリア・フォン・カルムネー。十年前に領境を定める会談の場で騙し討ったドルガノブルク“蒼き水蓮”騎士団長、ラグワルド・フォン・カルムネーの娘にございます」


 彼女の申し訳なさそうな上目遣いの瞳には、しかし暗い復讐の炎が灯っている。


「ここにバロキエ様の味方はひとりたりとておりませぬ。お覚悟召されよ」


「き、さ、ま、も、かあっ」


 今まで思う様弄び続けてきた娘さえも反逆した事実に逆上しかけたバロキエだったが、強い自制心で怒りを押しとどめる。


「……貴様、こんなところまで堂々乗り込んできた度胸は大したものだが、首尾よくワシを殺せたとして生きて城を脱出できると思っておるのか?」


 ひと払いなどと言ってもここは領主の執務室。いずれ誰かしら用があって訪れるに決まっている。ここは少しでも時間を稼ぐべきだというのがバロキエの考えだった。


「え? 脱出の必要なんかないわよ?」


 傷物きずものがにっこりと大きなひとのよい笑みを浮かべてラティメリアに視線を投げる。


「んじゃ、やっちゃってー」


「承知致しました」


 彼女は切り詰められた使用人服の内側に辛うじて隠されていた握り拳ほどの鉄球を取り出すとバロキエに向けて大きく振りかぶった。


「恐らく非常に危険ですので伏せておられたほうがよろしいかと」


 そう言いながら投げつけられた鉄球はバロキエを大きく外して窓のガラスを割って表へ飛び出し、次の瞬間大爆発を起こす。

 残った全ての窓のガラスが衝撃で砕け散り、巻き込まれたバロキエも爆風で床に転がった。

 城の最上階近くにある執務室。その外に爆発と共に発生した不自然に赤い煙が大量に立ち込めている。

 満足に立ち上がることもできずに視線だけを窓の外に向けたバロキエが呻くように声を絞り出す。


「こ、これは……狼煙、かっ」


「ぴんぽーんっ! 賞品は私さまのおみあしでーっす!」


 爆発の瞬間大きく踏み込んでいた傷物きずものがうつ伏せだったバロキエのあごを力いっぱい蹴り上げて仰向けにひっくり返し、さらに動きを封じるためにその左腕を踏み付ける。

 脳を揺らされ意識の朦朧としたバロキエを覗き込んだ傷物きずものが顔の化粧をてのひらで雑に大きくぬぐい、その十字傷を露わにして両手を広げ歌うように叫ぶ。


「それじゃ狂犬一家の城盗り、はっじまるよー!」


「な、馬鹿……な……傷、物きず もの、だと……」


 狂犬一家は昨晩ふたり捕らえたばかりのはず。いやしかしそれを捕らえてきたのはタルカスだ。そして傷物きずものがドルガノブルク領主の娘であるなら薄鈍うすのろ宿六やどろくも無関係なはずがない。

 全ては仕組まれていた動きだったとしか考えられない。

 ベッケンハイム城のほぼ最上階から放たれた狼煙は周辺の山林どこからでも見えただろう。

 それらが意味するものは……。


「貴様、まさか……」


 震える声で問うバロキエを傷物きずものは艶然とした笑みで見下ろして甘く囁く。


「んふふー。ナカもソトも、めちゃくちゃにしてあげちゃうんだから、ね?」


 窓の外からは、既に遠く喊声かんせいが響きつつあった。

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