狼煙に立つ郎党

狼煙に立つ郎党1

 狂犬一家を捕らえたことでにわかに騒がしくなったベッケンハイム城の廊下を三人がゆく。

 先頭には領主バロキエの愛玩使用人。

 後方には狂犬一家を捕らえた職業騎士。

 そしてそのふたりに挟まれてしゃなりしゃなりと歩を進める美女には誰も見覚えがなかった。


 歩みに併せてさらさらと揺れる赤い髪は首筋で綺麗に切り揃えられ、透かし模様の紫紺のドレスで包み込まれた抜けるような白い肌。所作の端々に気品を溢れさせながら、同時に先頭を歩く使用人以上に扇情的でもある。

 深い傷跡を変装と言ってもいいほどの精巧な化粧で覆い隠し新たなかつらとおなじ色の赤い眉まで書いて偽装した傷物きずものは、まさに我が物顔で廊下の真ん中を悠々歩いていた。


「し、しかし豪胆にもほどがございますのでは……」


 ラティメリアが人目を憚って小声で囁くと、傷物きずものは扇で顔を隠しながらにんまりと笑った。


「意外とバレないもんでしょ? あれだけこれ見よがしの傷丸出しで名前まで付けて喧伝してんだもん。仮に面識があったって私の目鼻立ちなんて誰も覚えちゃいないわよ」


「さようなものでございましょうか……」


「たとえば眉がないって話は誰でも知ってるけど、まつ毛の色の話とか誰もしてなくない? あんただってさっき気付かなかったでしょ?」


 言われてみるとたしかに彼女のまつ毛は白金のままだ。しかし傷物きずものの噂は【顔に深く大きな十字傷】と【眉がない】のふたつばかりが先行していてそれ以外の容姿の情報はせいぜい【傷がなければ美女らしい】程度。

 さきほどの対面でも傷と眉だけで疑う余地もないほどの衝撃だった。


「な、なるほど……」


 狂犬一家の存在は敗戦貴族の無軌道な反逆ではなく計画的な作戦行動、つまりは“戦争”なのだとラティメリアは理解した。

 ベッケンハイムが既に終わったと思っている戦争は、ほとんどの人々が知らないところで十年前から粛々と終わることなく続いていたのだ。


 すれ違う使用人も、兵士も、役人も、職業騎士たちですらこちらを様々な感情でチラ見こそすれど声をかけてくる者はひとりもいない。三人は驚くほどにすんなりとバロキエの執務室前までやってきた。

 三人の組み合わせに訝し気な顔をしたふたりの警備兵の前にタルカスが立つ。


「これからバロキエ様はこちらのお客人と非常に大事な打ち合わせがある。ひと払いを命じられておるゆえお前たちもしばらく席を外してくれ。そのあいだは俺がここを見ておく」


 少々の小遣いを手渡し、変装した傷物きずものを指差し「わかるだろ?」とばかりに俗っぽい笑みを浮かべると、それだけで警備兵のふたりは頭のなかに都合のいい物語を作り出して頷いた。


「承知致しましたタルカス殿。昼過ぎには戻ってもよろしいでしょうか?」


 領主様お気に入りの愛玩使用人と大きな功績を黙殺されたばかりの職業騎士。曰く付きのふたりに連れられてきた煽情的な貴婦人とひと払いをしての。手渡された小遣いはきっと領主様からの口止め料も含まれているに違いない。


「そうだな、それくらいなら恐らくは丁度よいだろう。少々ずれ込んでもお前たちが戻るまでは俺がやっておくからゆっくりしてきていいぞ」


「へへへ、そういうことでしたら……あとのことはよろしくお願いします」


「しかしいい女ですねえ。俺にも紹介してもらえねえかなあ」


 口々に言いながら場を離れるふたりにタルカスは「機会があったら俺が口利きしてやるよ」と言ってその背中を見送った。


「あらあ、私のこと口利きしてあげちゃうわけ?」


 にやにやと笑う傷物きずものへ視線を向けてタルカスは何食わぬ顔で頷いた。


「もちろんですとも。生きていれば新たな主君も必要でしょうから」


「ふふっ、あんたが言うと実感籠ってるわね!」


「ははは、恐縮です」


 主君亡きあとその仇に仕えたタルカスだが、その原因を作ったのは主君だと言えないわけでもなくお互いにとって繊細極まりない話題だった。両者その辺りをどう思っているのかは知る由もないが、一本の刃物を投げ合うように言葉を弄ぶ会話にラティメリアはひとりで肝を冷やしている。


「さーて、それじゃ感動のご対面といきましょうか」


 執務室の前で軽快に口にした傷物きずものに代わってラティメリアがその厚い扉を叩き、タルカスは警備兵のように扉に背を向けて立ちながら「ご武運を」と小さく囁いた。

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