苦悩する一人娘

苦悩する一人娘1

 同日。

 ベッケンハイム城は騒然としていた。


「下流街の市場で暴動だと。ここ数年は自警団とかいう連中も出てきて穏やかだったんだがな」


「なんでも“まつろわぬ民”の子どもを攫ってきて売ろうとした連中がいたらしくて揉めたらしい」


「噂に聞く狂犬一家らしい見た目だったとか」


「騎士団は隊長格集めて会議中。今まで逃げられっぱなしだからかなり熱くなってるよ」


「俺らも呼び出されんのかな。関わりたくねえええ」


 こんな調子で城を守る衛兵たちは口々に噂しあっている。しかしそれを見かけるたびに諫める者の姿があった。


「皆さん、立ち話はほどほどに」


 衛兵たちの輪の外からやんわりと声をかけたのは切り揃えられた黄金色の髪の人物だった。身の丈や肢体の凹凸から女性だとわかるが、身に着けているのは乗馬服のような活動的な服装だ。


「こ、こ、これはガルティエ様。申し訳ありません」


 衛兵たちが一斉に口を閉じて姿勢を正す。

 領主の一人娘ガルティエ。

 温室育ちのお嬢様ではなく、乱世の雄バロキエの娘らしく剣も馬も並みの兵士よりは遥かに腕が立つ。しかし気性のほうは冷静沈着で温厚と父には似ても似つかず、領主以上に騎士や衛兵たちに信頼される好人物だ。


くだんの悪漢共が城下へ侵入しているとあっては穏やかでいられないのも無理はありませんが、万が一彼らがこの城までこないとも限りません。皆さんも気を引き締めて職務に励んでくださいね」


「はっ! 承知致しました!」


 一礼してばらばらと去っていく彼らの背を見送ってガルティエはひとつ大きな溜息を吐いた。


 ベッケンハイム周辺を荒らしまわっている無法者“狂犬一家”。こちらの懸けた賞金目当ての冒険者や職業騎士の討伐隊はまったく相手にせず、流通を担う商人や冒険者でも力のない流れ者ばかりを狙う卑怯な賊。

 周りの領を制圧してせっかく町に直接的な脅威がなくなったというのに、奴らのせいで年々経済は細りひとが流出していく。

 住民も、旅人も、騎士たちすらも不満や苛立ちを募らせていてどこにいても空気がよくない。


 それでも苦しいなりにみんなで力を合わせて乗り切ろう、という空気を作るのもまた為政者の務めではあるだろう。しかし、肝心の領主もあまり人望が厚いほうではない。

 彼女自身、彼の娘でなければ正直絶対に関わろうとはしなかったに違いない。


「せめてお父様がもう少し……」


 人知れず零したところに通り掛った彼女を見て、またひとつ大きな溜息を吐く。

 肌も露わに切り詰められた煽情的な使用人服のまま書類の束を抱えて歩いてきたのは父の傍仕えとして働いている娘、ラティア・ルネカムだった。

 父が目を通す必要のある書類のやり取りをするのはちゃんとその任を受けている者がいる。それをわざわざこの姿の彼女にそれを命じたのであれば、それは単に彼女を辱めて楽しんでいるのだろう。


「ラティア。大丈夫?」


 ガルティエは実の娘である自分が声をかけるのもどうかとは思ったが、かといって無視できるような性分でもなかった。


「は、これはガルティエ様。お気遣いありがとうございます」


 彼女は驚いたように顔をあげて姿勢を正すと、その肢体を隠すように少し背を丸めて上目遣いに愛想笑いを浮かべた。

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