影に潜む元締め2

 自警団の拠点は市場からもほどほどに離れた、スラム街と呼んで差し支えない廃墟同然の町並みの一角にあった。


 日当たりの悪い薄暗い部屋の中心に置かれた、不自然に高級そうな一対の長椅子。

 その下座に狂犬一家の三人。

 真ん中に傷物きずもの、その右手側に宿六やどろく、左手側に薄鈍うすのろと彼女の両脇を固めるように座っている。

 ほかにはひとり、顎髭の男がその向かい、上座にある無人の長椅子後ろに立っているだけだ。


かてえ、な!」


 扉が開く音もなく突如、傷物きずものの背後、三人の耳元で甲高い声が発せられた。

 次の瞬間には目を見開いた傷物きずものが頭を隠すように身を倒し、薄鈍うすのろが覆いかぶさるように彼女を守り、宿六やどろくが声場所へ裏拳を放つ。

 しかしそこには既に誰の姿もない。薄鈍うすのろが見上げたその先で襤褸ぼろが宙を舞い、上座の長椅子へと静かに落下した。

 襤褸ぼろの隙間から白骨のような無機質な細い手が伸びてひらひらと振られる。


「ヒヒヒ、動きだせばまあまあだが、な! ヒヒヒ」


 癖の強い喋りとその姿に緊張感を漲らせていた三人が警戒を解いて口々に挨拶を返す。


「やっほー師匠おひさ! 元気にしてた?」


「ご無沙汰しております、先生」


「旦那もひとが悪いや。忍び寄ってこねえでくれよ」


 襤褸の隙間からはやはり無機質な仮面のような顔が僅かに覗く。


「オレが殺す気だったら、な! オマエら今頃、ヒヒヒ、皆殺しだ、な!」


 身振り手振りのたび、喋るたびにキシキシと耳障りな音を立てる彼の名はグレッセン。

 錬金術と魔術で生み出された自律人形であり、その詳しい出自は誰も知らず本人も語らない。“嗤う悪人形”の異名をとる腕利きの暗殺者にしてベッケンハイム下流街自警団の元締めであり、そして狂犬一家が師と仰ぐ唯一の存在だ。


「師匠って普段めっちゃギシギシいってんのに忍び寄ってくるとき無音だよね」


「それな、マジまったく聞こえねえわ」


「実は普段の音が油断を誘う偽装なのでは?」


「ヒヒ、本気出すと、な! 部品の負担が、デケェんだ、な! ヒヒヒ」


 グレッセンは三人の言葉に頷きながら顎鬚の男から差し出された油の注がれたカップを受け取って触手のような長い舌で舐める。


まできたってこたあ、な! 用意が、ヒヒ、できたって、ことだ、な!? ヒヒヒ」


 その言葉で室内が緊張に包まれる。

 これは部外秘中の部外秘。知るのは狂犬一家と自警団の元締めの四人のみ。顎鬚の男ですらこの場に立ち会うのは初めてで、グレッセンから『大きなヤマだ』としか聞かされていない。


「はい先生。計画は全てこちらに」


 薄鈍うすのろが真顔で折りたたまれた一枚の紙を差し出し頭を下げる。


「なにとぞ、よろしくお願い致します」


 グレッセンは紙を手に取るとしばらく書かれた内容を凝視して、視線を三人へと向ける。


「ヒヒヒ。しかし、な! よくもまあ、ベッケンハイム傍まで何百人も、ヒヒ、知られず近づいてきたもんだ、な!」


 三人はそれぞれ真剣な顔で頷きを返す。


「無論です。このために、数年間を生きてきたのですから」

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