第5話

 ⑤

 

「なぁ、取引をしたいんだが」

「ヒエ……」

 午後のまったりとした空間でぼーっとしていたら、急に後ろから首根っこを掴まれて持ち上げられた。その時背後からじわじわと滲み出る魔力に近い何かを感じ、ここは家じゃない、もはや敵陣な事を思い返した。否、敵陣ではないが味方でもない、か。

「そんな驚きなさんな。俺がいじめてるみたいだろ」

「(現在首根っこ掴んでる人に言われなくない)」

「ん?」

「なんでもないっす!」

 この男は苦手だ。いつも利用している少女の叔父らしいが、まったく似ても似つかない。似てるのは猫目なところくらいだろうか。この家に来て一週間ほど経ったが、未だに慣れない、この般若男には。

 なんだか振り向いてはならない気がして、ぷらーんと効果音がついたように膠着していると、気配とは裏腹にそっと優しく元いたテーブルに俺は置かれた。何故か正座になって「えっと……取引っていうのは……」

 見上げると思ったような怖い顔はしておらず(元々悪人ヅラだが)、むしろ何かを案じているような表情をしていた。

「ああ……契約をするのは俺じゃないんだが」

「どちらさんです?」

 そう返すと頬をかいた般若男は、呟くように何かを言ったので聞き返すと、

「死んだ相手と話すにはどうしたらいい?」

 ああ、この手は厄介だ。

 

 般若男から聞いた話は簡単。新婚ほやほやの友人の妻が亡くなり、般若男の友人は妻に会いたいそうだ。こういう依頼は腐るほど来るが、まあ簡単に言っちゃって。命を軽視し過ぎだろうと思ってしまう。俺の努力と魔法を高く見積もりすぎるのはいい気分だが。死んだらもう何もかも終わりなのに。馬鹿な奴ら。

「言っておくっすけど」

「なんだ?」

「厳密には会話出来るわけじゃないっすからね。それに対価だって」

「ああ、わかってるさ。それでも会いたいと言ってたんでな。そんな怖い顔をするなよ」

 般若男はそう言って俺の頬をみょんと伸ばした。

 場所はとある田舎の教会。しんと水を張ったように静かな空間で般若男の友人と待ち合わせしている。

 数分もしないうちに教会の重く古びた扉が開かれた。

「お、来たみたいだぞ」

「まぶしっすね」

 ちょうど開いた扉から逆光がさし、友人の男の顔を隠した。

「久しぶりだな」

「そうだね、いつ以来だろう?」

 扉を軋ませながら閉め、コツコツと靴底を鳴らして近付いてくる姿に、はっとした。端正な顔立ちにすらりとのびた手足、穏やかな話し方はテレビでよく聞く声。こいつは魔界でも人気な俳優じゃあないか。なんで般若男の友人なんかに……。いつも画面越しに見ている顔が近付いてきてやや緊張していると、ふ、と空気が変わり、男は「そうだ、まゆの葬式以来だ」と呟いた。その目には昨晩見たドラマに出演していた年齢の割にはキラキラした瞳を持つ俳優の姿とはまるで違かった。

「なぁ、まゆに会えるんだろ?その為なら何だってやるよ」

 不意に頭が冴えてきた。それはひやりと冷たい熱を持つかのように俺を冷静にさせた。俳優が何だ。今まで有名な富豪や王族とだって契約してきたじゃないか。

「その言葉、忘れないでくださいね」

 般若男を横目にふわりと舞い上がる。男の目には俺は映り込んでないみたいだ。人差し指に魔力をためて、集中する。この男が望むものを差し出せ。真に望む展開を。

 深呼吸をして、指先を男に向ける。そして数秒して、糸が切れたあやつり人形のように男は倒れた。

「おい、どうした?」

 思わずといったように般若男が立ち上がる。ああ、この展開か。

「おい、おい!」

 般若男が冷や汗をかきながら男を揺さぶる。

「どういうことだ?息をしてないぞ!?」

 空中に浮かびながら見下ろす世界に瞼を伏せる。自分が思うより、冷たい声が出たのに驚いた。

「そりゃそうっすよ。その人、奥さんに会いに行ったんすから」

 一瞬、時が止まったように静かになった。

「……戻ってくるんだよな」

「その人次第っすね」

 すた、と倒れた男の顔の近くに着地し、顔を眺めると瞳は開いたままで、殺人事件のようだと心の隅で笑ってしまった。

 それから数十分、数時間。男を長椅子に寝かせ、時間が過ぎるのをひたすら待った。般若男は友人が心配なのかちらちらと男を見ていた。俺はというと暇を持て余してしまい、椅子の裏のいたずらゴースト達を箒ではくようにおっぱらっていた。

 教会内の時計の長針が真下を指した瞬間、魔力が戻ってきた感覚がした。

「起きるっすよ」

「え?」

 その一言に般若男は身を乗り出して男を見つめた。俺も男の近くに寄り、顔色が戻ってきたのを見て、指を鳴らした。

「……あれ……?」

 長いまつ毛に囲まれた瞳が開いていく。

「奥さんには会えたっすか?」

「え?うん……あれ?君は……」

 混乱しつつ起き上がる背を般若男が支える。

「気が付いたらまゆが目の前にいて、何故か制服を着ていて、頬を染めてた」

「良かったっすね。じゃあサクッと対価貰うっすよ」

 男は未だ混乱中というか、夢見心地のようで、ぼーっと宙を見つめていたが、これは商売だ。

「対価?うん、いいよ。何すればいい?」

 ようやく背もたれに寄りかかった端正な男が言う。

「二度と誰も愛せないようになるっすけど、いいっすよね?」

「は?なんだそれ」

 飛び込んできた般若男を無視して男を見つめると、一瞬ぽかんと目を見開いたが、すぐに口角を上げて、

「本望だよ」

 細めた目尻には水滴がついていたのを見ないふりをして、再び指先に魔力をためた。

 

「お前、会話は出来ないって言ってたじゃないか」

「ちょっと語弊があるっすね」

「は?」

 夕焼け空の帰り道、この一日で般若男の睨みにも慣れた。少しだけ。

「あの人は過去に行っただけっすよ」

「……ほーん」

 般若男は悟ったのか、橙と紫に染まる空を見上げた。

「死人は死人、ね」

「そっすね」

 俺もなんとなく空を見上げると、小さく星が見えた。

「あいつが幸せなら、いいんだ」

「……そっすね」

 ドキリと胸が鳴った。誰かのため。そんな当たり前のことが心を痛めつける。俺は今まで、誰かのために契約をしただろうか。まるで暇つぶしにやっているようなものだ。じわじわと心が薄墨に染まっていく。そんな時、遠くから見知った姿が大きく手を振っているのが見えて、妙にほっとしてしまった。

「叔父さん!アルトくん!おかえり〜」

「はいはい、ただいま」

「……」

「アルトくん?」

 なんだか泣きそうで言葉に詰まってしまった。

「た、ただいまっす……」

 その一言で少女はぱっと笑顔になり、もう一度「おかえり」と言った。

「おいおい、俺との対応の差はどうしたよ」

「別にいいでしょー」

 玄関に入っていく二人の影に引っ張られるように俺も家に入る。何故かあの男が気にかかった。いつもはどんな内容の契約でもケロッと終わるのに。あの言葉が忘れられない。

『本望だよ』

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