第3話

 ③

 

 さてはて、愛というものは時代問わず世界問わず、人間を惑わすものだ。良くも悪くも、愛という媚薬を口にした者はとても哀れでいとおしい。

「あ、本屋さん寄っていい?」

「いいっすよ」

 今日は特に割りのいい契約は出来なかった。しょんぼり、と少し落ち込んだ顔をしてみると少女は慌てて宥めてくるものだから、少々面白くて落ち込んだフリをしていた。

 それも飽きて、少女以外には見えないように透けて少女の隣をふよふよと飛んでいると、ふと少女が声を発した。本か。本は俺も好きだ。特に地上の漫画は優れている。買わなくてもタブレットで読めるし、立ち読み大歓迎の古本屋もある。魔界では気になるなら買った方が早いうえに試し読みなんて出来ない。タブレットで無料で読むなんてありえない。だから漫画オタクの奴で地上の漫画を読みたいがために地上へ降りた奴がいる。普通、魔界から地上へ降りたら数年、いや数十年は戻れない。俺の場合は無期限だが。魔界人はとても長く生きる。なので地上の人間でいう数年は、俺達にとっては前乗りする程度のことなのだ。

「うーん、なかったなあ」

 モノローグに少女の柔らかな声が突き刺さる。

「漫画っすか?」

「ううん、参考書」

「うわっ」

 参考書買うとか考えたこと無かった。俺は昔から要領がいいから適当に一夜漬けでも高得点がとれる。というか、学校のテストなんて授業聞いてれば点とれるだろ。と友人に言ったら首を絞められたのが懐かしい。俺は器用な方なのか、周りが要領悪く見えて仕方がない。どうしてあんなに不器用なのかと思えて仕方がない。

「うわってなにー」

 本探しの間暇で少女の周りをぐるぐる回っていたのをやめて顔の前で止まるとちょっとムッとした顔をされた。こういうのを可愛いって言うんだろうか。知らんけど。

 店内奥まで歩みを進めていた足を店の外へ向かわせる。その瞬間、ふわっと甘く苦い相反した匂いが糸を手繰り寄せたように香ってきた。おそらく中央のレジあたり。奥から出てきたのだろう。すかさず、声に出す。

「レジ、行くっすよ」

「えっ!」

 少女もすぐやりたいことが分かったのか、外へ向けていた靴先をキュッと横へ向けた。

「どの人?」

 ひそひそと声のボリュームを落として聞く少女に、

「エプロンの紐直してる眼鏡のオッサンっす」

 オッサンなんて言っちゃダメとまたひそひそ言われながら意識を集中させる。

「お嬢さん、また体借りるっすよ」

「えっ」

 返事は聞かずに魂を一部、少女の中へ滑り込ませる。合間を置かずに、カウンターへ向かった。

「あの、すみません」

「はい、どうされました?」

 穏やかそうなオッサンだ。オッサンオッサン言ってるが歳は三十代後半くらいか。オッサンだな。オッサンはわざわざカウンターから出てきて耳を傾けた。

「本を探しているのですが……」

「タイトルはわかりますか?」

 傍から見ればにこやかに見えるオッサンだが、魔界人には隠せない、闇が滲み出ている。小柄な少女の目線に合わせて屈んでいるオッサンの耳元で囁いた。

「′願いを、叶えますよ′」

 世界が二人だけになる。体育祭前の時とは違うのは一面に広がる闇、闇、闇。足元が吸い込まれそうでほんの少し口角が歪んだ。

「僕の願い……願いは……智恵子を……死んだ娘に会いたい……」

 なるほど。闇が深い訳だ。しかしこのような願いはわりとよくあること。こちらが揺るがなければ悪いようにはならない。

「わかりました、叶えましょう。ですが対価が必要です。あなたは何を対価に差し出しますか?」

「対価……あとでもいいか?……やりたいことがあるんだ」

「もちろんっす。いただけるのであれば、いつでも」

 魔法の中なのに、揺るがない瞳をしていた。この人は、命でさえも差し出してしまいかねない。

 魔法を解くと、静かな書店に戻る。オッサンと目が合ったので、外で待ってます、と呟くとオッサンは静かに頷いて、

「待たせてしまうね、すまない」

 誠実な人なのだろう。眉を下げてオッサンはまた裏に戻っていった。

「はああ〜、またびっくりしちゃったよ」

 少女の中から抜け出して少女の肩に座っていると、ガードレールに触れるギリギリのあたりで立ちすくむように少女は「悲しい目をしていたね」とまるで自分のことのように呟いた。

「どうしてあんたが落ち込むんすか」

「だって……」

 しゅん、と空気が抜けた風船を眺めるような目でチラ、とこちらを見やる。

「あの人……」

 続きは通り過ぎたバイクの音でかき消された。

 

「お待たせしてすまない。ずっと立ってて疲れてないかい?」

 約一時間後、エプロンを外したオッサンが現れた。仕事が終わったのだろうか。これからのことが見えてしまうようで、遮るように口を開いた。

「じゃあ、とっととやるっすよ」

「お願いします」

 そう言った唇はかすかに震えていたが、見えていないフリをした。と、その前に、

「お嬢さん、」

「ん?」

「先、帰っててくれません?」

「へ、」

 ぽかんと口を開く少女に、体育祭の時のようなモヤモヤ感が己を襲う。

「もうあんたの出番終わりなんで、家で茶でも淹れて待っててくれないっすか」

 ミニマムな手で少女の肩をぽんぽんと叩くと、一度はっとしてからしょんぼりとした切なげな顔をして「わかった。気を付けて帰ってきてね」と手を振り、オッサンには会釈をして背中を向けて歩いていった。

「……いい子だね」

「はい?」

「ガールフレンドかい?」

「んなわけないでしょ。頭大丈夫っすか?」

 魔法をかけた相手には、ミニマム姿を見せても驚かないようになる細工をしてあるため、通行人には独り言にしか見えない。

「そうかな?大切そうに見えたけどね」

「何の話っすか……」

「いやなに、おじさんの独り言さ」

 笑うと目が垂れて穏やかな気持ちになる。そんな人間を、俺は……。

「契約に進むっすよ」

「よろしく頼むよ」

 目付きが変わる。そりゃそうだ。この人は、自分が生きることと死んだ娘に会うことを天秤にかけたのだから。

「大丈夫、一瞬っす。俺の目を見て……そう、あとは、」

 瞬きもせずに俺を見ていたオッサンの体がゆっくりと傾く。

「あとは、ずっと、一緒っすよ」

 アスファルトに打ち付けた眼鏡が割れて、喧騒に消えていった。

 

「あれ、早かったねアルトくん」

「まあ、俺にかかればちょちょいっすからねー」

 リビングに顔を出すと少女がシュークリームに齧り付いていた。うまそう。

「おじさんどうだった?喜んでた?」

「さあね。そこまで深入りしないんで。どんなエンディングを迎えてどんな感情を抱くかは個人で違うっすからね」

 へえ、と口元をティッシュで拭いながら少女は、でも、と続けた。

「やっぱりハッピーエンドがいいよ」

「お嬢さんは甘いっすね」

 吐き気がおきそうなくらい甘くて優しい。

 その日は色んな感情が渦巻いて眠れなかった。

 

 翌日は休日だったため朝一番で書店へ向かうと、自動ドアに色鮮やかで子供が書いたような、でも穏やかで優しそうなポスターが貼られていた。なんとなく、デジャヴ。

 店先でポスターを眺めていると、掃除の為に出てきた店員が声をかけてきた。

「そのポスター、気になりますか?」

「えっ、あっ、はい……クレヨンとか使って可愛いのになんだか落ち着くというか」

 慌てて返答する姿は少し面白い。店員はほんの少し悲しい顔をしてから、素敵でしょう?と笑った。

「書いた人も、きっと喜びます」

「とても優しい人が書いたんですね」

 少女がそう言うと、店員は一瞬泣きそうな表情を見せてから、「はい、とても優しい人でした」と顔をくしゃくしゃにしてまた笑った。

「店内にもございますので、どうぞ、ごゆっくり」

 少女がありがとうございます、と返すと店員は店内へ戻っていった。

 優しい人、ね。その優しい人に関わった俺もいつかは優しくなれるだろうか。

 

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