第51話 ラストソング
悔しい〜 古川! 何してくれちゃってるのよ!
ギリギリで断って来るなんて、さいてーなヤツ。
坂下先生も含めて合唱部の卒業生と一部の下級生達、20人ほどの会にするはずだった。
ヤツさえ来れば、あとは囁くだけなのに!
準備の名にかこつけて、何度も何度も、いかに巨匠にハマっているかを吹き込んであるから準備は万端。
後は会場で、ずっと「彼氏扱い」してあげればいいだけ。合唱部の間で、古川とあの女の関係は有名だから、誰も不思議に思わない。むしろ気を遣ってるって思ってくれるわよね?
そこで、ふたりは自然と接触する。
限界まで「寝取られ」を意識させられた恋人をエスコートさせられれば、途中で絶対に限界が来る。それを見極めて、途中でこそっと囁いてあげるの。
「ごめん。辛いことをさせたね。後は任せて。先に帰って大丈夫だから」
間抜けなお人好しの古川なら、絶対に感謝して帰るに決まってる。そして、私はみんなに謝って回るの。「なんで古川君が限界だったのか。あなたにだけ、こっそり教えるね」って。
ふふふ。
そうすれば、あの女がどれだけヒドいヤツなのか、コソコソ陰口が始まるに決まってる。
あ~ そんなことをしても、何にもならないのは知ってるけど、何にもしないんじゃ、心が治まらないんだもん!
空港まで見送りに行こうって言ってる後輩達が、陰でコソコソ笑うようにしてやろうと思ったのに!
肝心の古川が来ないんじゃシャレになんないじゃないの。このままだと、マジで、送る会をやってあげて、いい気になって旅立つだけになっちゃう。
きっー くやしいー
・・・・・・・・・・・
今年は東大合格者が多数出た文川高校は、東京都教育委員会の覚えもめでたい。オマケに、都知事お気に入りの歌姫である。
都教委の関係者は、早くから会場入りして都知事の出迎えの準備をしていた。
取材のカメラも、そこかしこでフラッシュを焚いている。
卒コンは合唱部と吹奏楽部の2部構成、いつもの順番を交代して吹奏楽部が第1部、合唱部が第2部だ。
「歌姫の3曲」をフィナーレにするためだ。都知事もそこに合わせてやって来るし、世界の巨匠も「愛弟子が日本で歌う最後のステージ」を楽しみにしてくると伝わっていた。
おかげで先生方も総出となり、PTAのボランティアまで動員されて、あちらこちらの接待に忙しい。
順番の変更に異議を唱えた者はひとりもいなかった。陰で不満を持っていたのは、おメグだけだっただろう。
むしろ、合唱部の子は「トリのステージに立てる」と喜んだし、吹部は「出番が終わった後の方が安心して聞いてられる」と喜んでいた。
会場を取り巻く順番待ちの列が長くなりすぎて、開場を15分早めることになった。
一般入場が始まり緊張が高まってくる。
「あなたは楽屋で落ち着いていてちょうだい。下手に表に出てくると混乱することになるから」
いつもの通りに受付を手伝おうとしたら、坂下先生から止められてしまった。
車椅子の巨匠と歌姫のツーショットが撮れれば、それだけでもニュースバリューがある。静香狙いのマスコミはシャッターチャンスを探し回っているのだ。
「それにしても多すぎるね」
「さすがだよなぁ。観客数の新記録が出るんじゃね?」
受付の合唱部員達は、パニックを起こしそうになりながらも、楽しげに囁き合う。やっぱり聞いてくれる人が多い方が張り合いがある。自分の人生で最大の観客が入ってくれるのだから、嬉しくないわけがないのだ。
入場希望者が溢れることは、ある程度予想して「家族用の優先チケット」は配布済みでも、このままだと入れない親が出てくるかもしれない。
朝から並んでいる一般客だけでも、すでに
校長に対応を聞こうにも、次々と「お忍び」でやって来る都議会議員達の対応で、目一杯。
ここで大活躍したのが野球部員達だった。
普段、吹部の応援でお世話になっているからと、お手伝いを申し出てくれた日焼けしたガタイの良い男子達。あっちこっちを飛び回りながら、下手な大人以上の機転を利かせて対応していた。
フミ高生ならではの行動が、辛うじて運営を支えてくれていた。
急遽、立ち見も容認して1200名収容の会場キャパを、大幅に上回る人数を収める。
ギリギリだ。
「あ~ 会場の方には、後で校長から謝ってもらわないとかなぁ」
消防法的に絶対に文句を言われるはずだ。
袖から客席を覗いた坂下先生の、つぶやきに反応できる部員達はいなかった。
2ベル。
幕の内側では、吹奏楽部員が並んでいる。
「間もなく、都立文川高等学校吹奏楽部、合唱部による春の合同定期演奏会、第1部を始めます。お手元のスマートホンの電源を切るか、機内モードにしていただけるよう、お願いいたします。なお、上演中の写真撮影はシャッター音が演奏の妨げになりますのでご遠慮くださるようにお願いします」
放送部の子によるアナウンスも、信じられないほど大勢の観客に緊張気味だ。
1ベル。
「まもなく、第1部を開演いたします。お客様へ再度のお願いをいたします。お手元のスマートホンの電源、機内モードをご確認いただけますようお願いいたします。また、上演中の写真撮影は絶対にお止めください」
不躾なマスコミがカメラを引っ込めないので放送部の子が、さっきよりもトーンを強めてのアナウンスだ。
サササササッと、野球部員達が走って、カメラを出している人を見つけると個別に「お願い」をしているのもチームワークだろう。
幕が開いた。
吹奏楽部の演奏が控え室のスピーカーから流れ出しくる。
さっきまで外の喧噪の気配は伝わってきたが、既に人の気配が消えた楽屋は静まりかえっている。
合唱部用の楽屋Bで、静香は白いドレス姿で座っていた。
本来の「衣装」は全員が制服なのだが、都知事を忖度した校長からの強い要望が出されて、ソリストとして舞台に立つことになったので仕方ない。
一人ポツンと座ったまま、少しも落ち着けなかった。
『なんで、こんなに怖いの』
ひょっとしたら去年の「春の海の歌」以上の怖さだ。
あの時の比ではないほどに、自分の技術は向上したはずだ。厳しい練習だってたっぷりしてきた。
それに、最後の「AmazingGrace」も、ウィーンに行ってる間に改善された。「お客様にわかりやすくするため」と坂下先生が自ら弾くピアノを入れたのだ。
有名なフレーズで前奏から引きつけるためだと説明していたが、コーラスパートの問題を少しでも解決しようとしたのだろう
その証拠に、第4楽章でピアノは消え、静香の完全な
都立高校の卒コンとしては前代未聞のやり方だ。成功も失敗も「JK歌姫」の歌に掛かっている。
このやり方も、坂下先生は最後まで反対してくれたのだが、都教委からの絶対命令とあって、どうにもならなかったのだ。
しかし、静香にとって、それを恨むつもりなど一つもない。
「大勢の人に聞いてもらえるチャンスをもらったの。ラッキーだよ」
そう思おうとしていた。
「大丈夫。みんなも頑張ってくれたもん」
部員達も格段に向上してくれた。
なんとか歌いきれるくらいには、まとまったはずだ。
「昨日だって、上手くいったじゃない。みんなに歌を届けなくちゃ。目一杯頑張れば、きっと成功するよ」
自分に言い聞かせる。
事実、ゲネプロを聞いたOB,OG達は大絶賛してくれた。坂下先生も笑顔で認めてくれた。ソロパートは巨匠すら頷かせる出来映えに仕上がった。ウィーンの「気分転換」以来、レッスンが終われば、そのまま学校に行っていたから、落ち込ませる「痛み」を受ける機会もなかったのが良かったかもしれない。
死角などないと自信を持って言いきれる。
「最高の歌を、みんなに聴いてもらえるよ、きっと」
それなのに……
震えが止まらない。
コンコン
「はい」
返事をするまでもなく、入って来た制服が二人。フミ高生だ。
男子とポニテ女子。
「はぁい。元気ぃ?」
「う~ん、セキュリティの点で心配だよね。誰にも呼び止められなかったよ」
「佳奈! ソー……葛原君!」
「よっ、陣中見舞いだ」
「キレイなドレス~ 素敵よ、シズ。これ、私達からよ」
「ありがとう!」
カードが付いている小さな花束を二人が差し出してくれた。白いバラが10本。
「すごーい。綺麗」
「シズの歌は完璧だからね」
カードを見た瞬間、頭のどこかがチリッと小さな火花が飛んだ。
『そんなはずないよ! どうして?』
目の前でカードを、すぐさま取り出したい衝動に耐える。
「ふたりとも、ありがとう。でも、ホントは、あの」
ここは関係者以外立ち入り禁止ゾーンとなっている。
「わかってる。今回は、絶対に必要なパーツを持ってきたんで許してくれ」
宗一郎は、柔和な笑顔を浮かべながらそう言った。
「え?」
「あ、もう気付いたみたいだけど、そのカード」
静香の視線はお見通しらしい。
「佳奈が言ってくれたんだが手紙は無理だったっぽい。じゃ、デリケートなときに、邪魔して悪かったな」
「シズ~ ガンバ、だよ」
思わぬ応援だが、最後は静香の言葉を塞ぐように早口だった。
開演前のこのタイミングで、二人が花束を渡したかったことだけは伝わってきた。
「やっぱり心細いのを知ってくれたんだよね。さすが、親友」
少しだけホッとしながら、カードを取り出した。
新井田静香様
表書きだけで、すぐさまわかる。
「ゆー!」
大好きな人の文字を見間違うはずがない。
小さなシールで留められたカードを震えながら開いた。
「いつも一緒だよ。
古川 祐太」
パチンと身体のどこかでスイッチが入った気がした。
違う、自分がいるべきなのはここじゃない。
横に置いた花束にカードを丁寧に差し込んでから、静香は立ち上がった。
楽屋を出る。
履き慣れてないヒールは歩きにくい。ドレスの裾を翻して階段へと歩くスピードは少しずつ早くなる。
観客席との境目。それも上手側。
ヒールと裾が邪魔だ。
「クッ!」
知らず声を漏らした静香は、ためらわずにハイヒールを脱いだ。裾をグッと片手でまとめると、走り降りる。
角を曲がれば、いた。
『やっぱり!』
そこは一般立ち入り禁止区域との境界線。あの日、いた場所に立っていた。
ハア、ハア、ハア
上がった息を整えると、感じたゆーのニオイ。
「ど、どうしたのよ、こんなところで?」
泣きたくなるほどホッとした静香の口から出たのは強がりのセリフ。どうしても、こう言わなくちゃならないのだ。そのために、あのカードをくれたのだから。
あの日のコンサートと同じように。
でも、と静香は泣きそうになる。
『言葉が出ない、出ないよ! 助けて!』
心とやってることがバラバラだ。どうにもできない。
そんな静香にノンビリした笑顔を見せながら、祐太は頭を掻いてみせた。
「え~っと」
今、言葉を出したら、静香は自分が泣き出してしまうことを知っている。だから言葉が出ない。言わなくちゃいけないセリフがあるのに声が出ない。
祐太は、それを見抜いたんだろう。
「さすがだよね」
ゆっくりとした、穏やかな声。あの時と同じ声。
「何がさすがなの?」
同じ言葉を返す。あの時の言葉は、全部覚えているから、これなら簡単だ。
「なんとなくオレが来るのわかったんだろ? 愛だね~」
あの時、静香はこう返したはずだ。
『そっちこそ。なんでこんなところで待ってたの? ヒマなの? もうすぐ開演なの。忙しいんだから!』
わかってる。あの時は安心して寄りかかれたから言えたのだ。
今は、もう言えない
しかし、あの時と同じ葛藤をしていた。
『違うの! ありがとう、だよ! ありがとうって言わなきゃ。ゆーのおかげで安心できたって!』
心と身体がバラバラのまま。どうにもならない静香を見かねたのだろう。
「そのドレス、綺麗だな」
祐太がそんな風に、変化球を送ってくれた。
「あ、うん」
鼻の下を右手でグッとこすってから、笑顔を近づけてきた。
静香が一度後ろに手を回したのは、持っているハイヒールを後ろで落とすため。だって、次の言葉を静香は知っているから。
「開幕前のお忙しい時間ではありますが、本日のプリマドンナに握手をお願いしたいなと」
まるで自動人形のようにパッと手を差し出してしまう。
「おっ、今回は握手券はいらないね」
静香が「強がり」を言えないと、ちゃんと知ってくれてる。
早く手を握って。抱き締めてよ!
なんとかして、ゆー!
早く!
「ありがたく」
おどけた声とともに、握ってくれた手はとっても温かい。心の底からの安心。
膝から力が抜けてしまいそうだ。思わず、すがりつきそうなカタチになるけど、ゆーは黙ってる。
温かい手が心地よい強さで握ってくれて、力が流れ込んで来るみたいだ。
何も言葉が出ない。優しさが、静香を包み込んでくれる。
『あぁ、私は、いつも、こうして支えてもらってきたんだ』
ありがとう。
でも、今、何か言ったら、きっと泣いてしまう。そんな気がして言葉が出せない。
『あぁ、このまま抱きしめて! お願い!』
しかし、それが無理なことは知っている。
『こんな私を抱き締めてくるはずないよね』
思った瞬間、ギュッと包み込まれた。抱きしめられたのだ。
耳に口を寄せてきた。
「大丈夫。しーが頑張ったのは誰よりもオレが知ってる。何があってもオレは応援してるから。君ならできるさ」
ふぅ~
不思議だ。
何か重いモノが肩から吹き飛んだ感じ。
「うん」
「行ってこい。オレが聞いてるから。最後まで、歌っておいで」
サッと引かれた腕。もう一度、抱きしめてほしい。でも、ここは、自分が頑張るところだとゆーは言ってる。
「ありがとう、応援してくれて。ちゃんと歌ってくるね」
あの時と同じように、グッと親指を突き上げて見せてきた。
「ちゃんと、最後まで聞いてるから…… あのさ」
「え?」
「考えてみたら、オレって、君が一番好きなことを思いっきりやるのを応援するのが好きだったんだ。だから、ただ、君を応援したかっただけなんだって。今さら、わかったんだ」
「ゆー」
「だから、応援してる。しーができる最高のステージを…… 聞かせてくれ」
「うん。ありがとう。聞いてて。ゆーのために歌うから」
その瞬間だった。
不思議とパチンと安定したのだ。例えて言うなら、ジグソーパズルの最後のワンピースをはめ込んだ瞬間だ。
「じゃ!」
「あっ」
待って、と言うセリフを飲み込んだのは、祐太の背中が「ここからは、歌だよ」と伝えていた気がしたからだった。
しかし、ひとり、振り返った瞬間の静香は、誰よりも気品に満ち、自信に溢れた表情になっていた。
それは歌姫と呼ばれるにふさわしい顔だった。
第2部のステージに立った白いドレスは、その研ぎ澄まされた音楽センスと美貌で観客を圧倒した。
会場の誰もが息を呑むほどに魅了する独唱を響かせたのである。
Amazing grace! How sweet the sound!
素晴らしいあなた! なんと甘き調べ!
That saved a wretch like me!
私をいつも見守ってくれるというの!
I once was lost, but now I am found;
道を踏み外した私を、あなたは見つけてくれた。
Was blind, but now I see.
一度は見失ったあなたも、今なら見つけられるの
'Twas grace that taught my heart to fear,
恐れる心も持った時も、あなたはいつも教えてくれた
And grace my fears relieved;
あなたの優しさが私を勇気づけ
How precious did that grace appear!
あらゆる恐れから心を解き放ってくれる!
The hour I first believed.
あなたを信じていた時が、どれほど大切だったか
Through many dangers, toils, and snares,
これまで数多くの危機や苦しみや悩みから
I have already come;
いつもあなたがいた
'Tis grace hath brought me safe thus far,
私が恐れる全てのことから助けてくれる
And grace will lead me home.
あなたはいつも、私の戻る場所であったの
Amazing grace! how sweet the sound
あなたは約束してくれた、あなたの言葉は優しい調べ
That saved a wretch like me
命の限り、あなたは私の盾となり私の一部となった
I once was lost, but now I am found
そうだ この心と体が朽ち果てて命の尽きるとき
Was blind, but now I see.
私はあなたに包まれ喜びと安らぎを手に入れるのだろう
全ての観客の情感を包み込む、大いなる慈しみが会場に響き渡ったのである。
冴え渡るソプラノが会場の隅々まで響き渡る。
そして静寂が訪れた……
最後の響きが消えるまで、誰ひとり動けなかった。
ドッ
聞いていた者は、今自分が経験した「何か」を言葉にすらできなかったのだ。ただ、会場が揺れんばかりの万雷の拍手だけが、表現できる感動だったのかもしれない。
まさに絶唱と呼ぶにふさわしい歌姫の歌に巨匠も圧倒されていた。身動きできなかったのだ。
「完璧じゃないか」
どこにも隙のない、巨匠が目指している「音楽」がそこにあった。
しかし、その巨匠は、最後の挨拶に頭を下げる静香を見つめながら、これ以上にないほど苦く歪んでいたのを前沢が目撃している。
静香の目が、会場の右後ろ側に座った、ただ一人の男を見つめていたことに巨匠だけが気付いてしまったからである。その目は、ついに自分に向けられることがなかったものだった。
観客を送り出し、控え室に戻ってきた部員達は、最高のステージに立てた喜びを爆発させ、自分がそのステージに立てたことが誇らしげだった。
「お疲れ様~」
「すごかったね!」
「オレ、後ろで泣きそうだった」
様々な声が、嬉しげに錯綜する楽屋B。
制服に着替えた静香が戻ってくると、一斉の拍手で迎えられる。そこにあるのは、既に「仲間」に対すると言うよりも、別格の「歌の巨人」に対する尊敬だった。
文字通り「世界が違う」歌手を間近で見た合唱部員達にとっては、ホントはサインをねだりたいほどに、尊敬の気持ちが強かった。
しかし、楽屋に一人の女の子がいきなり入ってくると、その堂々とした仕草に全員がフリーズしてしまった。
ツカツカツカと迷わず静香の目の前にきた。
あまりのことに、部員達は息を呑んで見守ってしまったのだ。
フミ高の制服を着た女の子は、小さな花束を叩きつけてきた。
春先には珍しい、黄色のチューリップだ。
「今日は、こっそり付いてきたんです」
その子が「佐藤さん」だと言うのは、気が付いていた。
『ふたりで来たんじゃないんだ』
まるで静香の心に気付いたかのように「先輩が、私をここに連れてくるわけないでしょ、そこまで信じてないんですか?」と低い声を出した。
そして、改めて真っ正面から視線を向けてきた。
「あなたは先輩を放っておくんですか」
「え?」
「私が盗っちゃってもいーんですか?」
「あ、で、でも、彼は、その、あなたを」
みんなが見つめていた。これがとても大事な会話なんだということをなんとなく気が付いて、誰も口を挟めなかったのだ。
佐藤さんは、小さなため息を吐いてから、静香の手元から、さっき叩きつけてきた花束を奪い取った。
「絶対に言うなって念を押されてたんですけどね。でも、今度だけ先輩を裏切ります。これ1回だけ。最初で最後ですからね!」
「何を言うなって……」
「今夜の船に乗るそうです」
「ふね?」
「あなたは、どうしたいんですか?」
ドキンとした。
「でも、ゆーはあなたのことを」
好きなのだ、と言いかけて、相手の目が真摯なものであることに気付いてしまったのだ。
柳眉を逆立てたシュガーは、声を張り上げた。
「わかってるのに知らないふりをするんですか! 先輩が、ホントは誰を見ていたのか! あなたが、ホントは何をしたいのか、わからないんですか!」
「わ、私は、わたし、は」
動きたい、でも動けない。追いかけて良いの? 私が? ゆーの迷惑に……
ムッといったん口をつぐんだシュガーは目に涙を浮かべながら、叫んだのだ。
「走りなさーい、愚か者! 有明ふ頭です!」
その瞬間、静香は全てを忘れて走り出していた。
唖然とする部員達は、無言で「説明しろよ」とシュガーを見つめる。
その視線を感じてクスッと肩をすくめてみせると「あ~あ、余計なこと、しちゃいましたね」と花束のよじれを直しながら呟いた。
その時、実は、ドアの陰に坂下先生が居合わせていた。
飛び出していく静香の背中を見ながら「さ~て、誰から謝ればいーかなぁ」と小さく微笑んだのは誰も知らなかったのである。
◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇
作者より
白いバラ10本の花束は「「あなたは完璧」という花言葉になります。
たとえば演奏会や舞台を迎えた人に贈れば、シンプルな応援となります。
他にも、自信をなくして落ち込んでいる方に10本の白いバラを贈ることで、勇気づけることもできると言われています。意外にも、これを選んだのは宗一郎君です。
ちなみに、黄色のチューリップの花言葉は「報われぬ恋」です。タマちゃんは、自分用に持って帰りました。廊下で誰かさんと話していたシーンを目撃したのは、ナイショです。
作中のAmazingGraceの歌詞の訳は、全て、静香の想いに合わせた新川の意訳となっております。
春の第21話「開演」のシーンと見比べていただくとわかりやすいかと存じます。静香は、全ての言葉を覚えていました。
◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇
最終話は、12月3日 午前9時に公開予約してあります。
◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇
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