第49話 旅の間隙(かんげき)に

 空港まで、オーティオススが全員で迎えに来てくれた。


「ようこそ。音楽の都へ」


 恭しく「ジェントルマンのポーズ」でルイが出迎え、レイは「ちょっと、痩せ過ぎちゃったね」と気遣った。


 リュウもケイも「久しぶり」「ようこそ」と歓迎の顔をして待っていてくれた。


「すみません。お忙しいのに」

「どのみち、昼間は時間があるから大丈夫さ」

「あ、自分で「任せて」すみません」


 静香のスーツケースを奪い取るようにして押し始めるケイだ。


 オーティオススのメンバーに会うのは嬉しくても、に会うのはちょっとだけ怖かった。

 

 だけど空港からホテルに向かう間、結局、何も言われなかった。


 というよりも、礼佳さんがレッスンを手伝ってくれていることを本気で知らないらしい。


 ビックリした。


「たまに連絡はするけど、顔を合わせたのは礼佳の成人式の時以来だったかな? あ、従姉妹の結婚式だったかも」


 真面目な顔でそう言って「元々、オレ、が苦手なんだよね」とプイと横を向いてしまった。


 どうやら兄妹間では話をしないと言うか、ケイは家族との仲が良くないのだろう。ケイの闇を垣間見た気がしたのに、ホッとしてしまう自分が情けなかった。


 ホテルにいったん連れて行ってもらった。


「時差ボケは、頑張って起きておいて、何か食べた方が早く戻せるからね」


 部屋まで付いてきてくれたレイさんに、そのまま誘い出された。他のメンバーはこの後の仕事の準備に回ったらしい。


「ここがケルントナー ストラッセっていうの。そうね、東京だと新宿みたいな感じかな? 街自体はぜんぜんコンパクトだけど。で、この先がモーツアルトの終焉の地よ。あ、これこれ。冬のウィーンに来たら、これがお勧めなの」


 キオスクのよりもさらに小さなスタンドの前にあるドラム缶のようなもの。


 買ったのは、新聞紙で包まれた焼き栗だった。


「熱いから気を付けてね。ふふふ。大丈夫、日本と違って、これを食べて歩いても、何とも思われないからね」

「わっ、美味しいです!」


 素朴な味だが、たしかに栗の甘みが強い。


「そう? よかった。市内には、たくさん、こんなスタンドがあるの。日本の焼き芋屋さんよりも、普通な感じかもね」

「へぇ~」


 ふたりで熱々の栗を頬張りながら、ゆっくりと歩いた。


「先生から聞いてるわ」

「あの……」

「知ってるでしょ、私と先生の関係は。だから、全部、聞いてる。あなたが痛がることも聞いてる。先生からは色々と頼まれたわ」

「それは……」

「いーの! そんな顔しないで。ウィーン滞在中は、私に任されてるんだから、安心して。あ、そうだ。ドレスは持ってきた?」

「はい。先生に言われました。パーティー用のドレスと靴ですよね?」

「よかった。今日のパーティーは、ハイリゲンシュタットっていう街なの。ルイの車で行くから8時までに用意しておいて」

「パーティーですか?」

「そうよ。あ、あなたは、そこに行くだけで良いの。私達も演奏するために行くわけだし。あなたは横で見ててくれれば、それでいいわ」

「お仕事、なんですか?」

「そうね。冬のヨーロッパは、あっちこっちで無意味なほどパーティーをしてるからね。けっこう、それでお小遣い稼ぎができるわ。そこそこ有名になれたおかげでオーティオススは引っ張りだこよ」


 すごいと思った。そんなの年の差はないのに、ものすごく大人に見えた。


「難しい話は、よ。あ、そうだ」

「はい」

「パーティーで、けっこう、こっちのイケメンも来るから、ナンパされてもついて行っちゃだめよ?」


 クスクスと笑っている。


「そんなことしません!」

 

 簡単に、そういう人に付いていけるくらいなら、こんなに悩まないのにと思う静香の頬がツンツンと突かれた。


「だ、か、らぁ~ 真面目すぎなの。確かにイケメンは来るけど、半世紀前なら、ってイケメンさん達だから」

「あっ」


 考えたことを見抜かれてしまったらしい。


「別に、こっちで新しい恋人選びをしなさい、なんて言うつもりはないけど。失恋したときくらいは、新しい街で、新しい空気を吸うものよ? もちろん、音楽院の方にも挨拶に行くし、先生のアパートなんかも見せるけど、そんなのは、この際、どうでも良いわ」

「え? でも、今回は留学の準備のためだと」

「ほらほら、それよ。あんまり真面目に考えすぎないでいーの! あなたの一番大事な準備は、心を切り替えることなんだから」


 なぜかポロポロと涙が落ちてきた。


 サッとハンカチが当てられる。


「すみません」

「ほら、時差ボケの身体なんて、いーっさい配慮しないで、一週間、あっちこっち引っ張り回してあげるんだから。覚悟なさい」

「……はい」

「とりあえず、このストリートを端から端まで歩いてモーツアルト終焉の地を見たら、後は早めにハイリゲンシュタットに行くわよ、あっちはベートーベンゆかりの地ね」

「はい」


 トンとコートの背中をレイが元気を出せと言わんばかりに叩いた。


「さすが音楽の街よ。ちょっと歩くだけで、教科書に載っていた人達のゆかりの建物なんかが、いーっぱいあるんだもん。さ、お腹も膨らんだし。すこし歩くわよ~」


 レイの、ことさらな明るさは、自分のためのものなんだろう。


 静香は、異国の街が自分を迎え入れてくれるのだろうかと思いながら、古い街並みを振り返ったのだった。



・・・・・・・・・・・


 ガレージの中はオイルのニオイに満ちていた。


 良い匂いかと言われれば、そんなことはないが、人の良さそうなオッサン顔の男は、とっても馴染んでいる。

 

 それが良いのよと佳奈は心から思っていた。


「ふぅ~ なんか、危機一髪って感じだったな」

 

 愛車のマフラーのナットを丁寧に外している。


「そうね。私が聞いたところでは、佐藤さんは…… えっとタナカさんになるらしいんだけど、大丈夫みたいよ」

「な~んか、危なっかしいんだね~ この子」


 引き出しに入れた通帳は、やっぱり気になる。まさか、その本人が「父親殺し」の疑いで警察に連れて行かれるなんて。 


 一時期は、犯人だろうとウワサになっていたが3日も経つと消えてしまった。後輩達から聞いた話だと、ウワサがのは合唱部の子あたりが大元らしい。


 佳奈は、何となく、その理由がわかった気がしている。

 

 そして何よりも佐藤さんからの返信が届き始めたのが大きい。バタバタしてて返事ができなかったの! と明るいメッセがどんどん返されているそうだ。


 一方で、代わりに流れたウワサがある。


 ずっと欠席している同じクラスの女子の名前だ。誰も連絡が付かなかった。同中オナチューの子が訪ねたら、家には誰もいない感じだったという話まである。


「後輩ちゃん達に聞いたら、その子、連絡が取れないらしいわ。田中さんについては、お父さまが亡くなられて、名前が変わることを担任が説明して、しばらく学校に来られないって話までされたんですって」

「すげぇな。父親が死んで、名前の変わるヤツなんて、そんなに普通じゃないだろうに」


 フミ高の子達は、その裏側に「事情」があるのは気付いていた。しかし、それを言葉にしないだけのデリカシーは持ち合わせていたのだ。


「ま、ウワサが本当なら、四月には、クラスが1名減ってるってことになるんだろうなぁ」


 どうやら、彼氏を取られたと思ったYさんが毒入りチョコを渡して、持って帰ったら、気付かずにお父さんが食べて亡くなったというのは本当らしい。


 今のところニュースにも取り上げられてないが、放任主義のフミ高で「当面の間、お菓子の受け渡しを禁止します」と宣言されたことからみて間違いない。


 と言っても、理不尽に自由を制限してくる指示なんて誰も守ってない。先生方ですら、生徒は守るはずがないと思えるフシがあるのはフミ高らしい。


 じゃあ、なんで、そんな指示が出るかと言えば、先生でもないスーツ姿の男女が何人も校内を歩いているのが目について、そこが発信源なんだろう。先生方も、しゃちほこばったスーツ達と距離を取っているのがわかる。

 

 校内に毒殺犯が出た、というのは、大人しいフミ高生にとっても、話題にはなっていた。佳奈のところにも後輩達から、色々とウワサが届いていた。

 

 外したボルトを数え直してから、宗一郎がこっちを向いた。


「ウワサって言えばさ、これはライライから…… ま、要するに茉莉ちゃんの情報なんだろうけど」

「ふふふ。あの雷漢君が『ライライ』ですものね。いいわねぇ。私もソウソウって呼ぼうか?」

「それだと、草々って手紙の終わりみたいじゃん」

「ううん。三国志にいるじゃない」

「そっちかよ。言っとくけど、オレの野望値は、かなり低いし、人妻狙いもしないぞ」

「処女狙いさせてあげられなくて、ごめんね」


 そこにあった説明書の束で、パサッと佳奈の頭が叩かれた。痛みなんて出るような勢いではないが、ムッとした表情を見せている。


 宗一郎にしては珍しい反応だ。


「ごめんなさい」

「いや、オレが悪かった」


 ちょっと、肩をすくめた後、話題を変える佳奈だ。


「私もイッチーのまんまが良いな」

「あぁ、この先、100年くらいは、それで頼まぁ」

「あら? でも、普通、その間にパパとか、おとうさんだとか、おじいちゃんになるものよ」

「あー 確かに、そうかも。はい、、これよろしく」


 人の良いオッサン顔をした男は「で、合唱部情報だけどさ」と、外したヨシムラ集合を、将来の「ママ」に渡しながら言った。


あなたゆー呼びできなくなっちゃった彼女しーは、オーストリアに行ったみたいだぜ」

「え? コアラを見に?」

「ここでボケはいらないぞ。まだ留学じゃなくて、下見だそうだ」


 留学が早まったのだと思った佳奈が、とっさに間を取らせようとしたのだろうと宗一郎は見抜いている。


 佳奈が、ちょくちょく静香にメッセをしているが、このところ極端に返信が遅く、そして簡単なものとなっているのは聞いていた。


『たぶん、新井田さんも悩んでるんだよなぁ』


 なんとかしてあげたい。


 それがふたりの一致したところだが、実際問題として受験が迫っている祐太に手を付けかねているところだ。


 突破口が見つかってなかった。


「ふふふ。たまには、私がボケた方が良いかなって思っただけ。下見なの? じゃあ、すぐ帰ってくるんだ?」

「10日くらいは練習を休むらしいから、帰りは、今月の終わりか3月の頭じゃねぇか?」

「そっかー そうすると、そこで、どうするかよね?」


 ふたりの頭に「勝負」という言葉が浮かんでいるが、勝ち筋が見えてないのは同じだった。


「どうにかしてやりたいんだけどなぁ。あ、古川は引っ越して、今はホテル暮らしらしいぞ。23日に徳島に行くそうだ」


 佳奈の頭には「古川君が引っ越したこと、シズは私に言わなかったよ」と浮かんでいる。静香の今までからしたら、考えられなかった。


「イッチー ね?」


 いよいよ、時間が無くなった。思わず、言葉をせがんでしまった。


 しかし、は、情け無さそうに顔を振った。


「オレにも浮かばないよ。ずっと考えてきたけどなぁ」

「古川君、試験の後はどうするの?」


 ふたりの予定が問題となる。どこかで会わせないと、と佳奈は思う。


「え? あぁ、卒業式の前にはこっちに来るはずだぞ。ま、でき次第だっていってたけど、ヤツが落ちるわけが無い。発表が8日でな、その日は、遊ぶ約束をしてる」


 そのぶっきらぼうな言い方で読み取った。


「そこがラストチャンスってこと?」


 後期試験のことを無視して、約束を取り付けたのだろう。強引なやり方は珍しい。それだけ切羽詰まってるということ。


「おそらくな。そこで何とかならなかったら、もう、どうにもならんさ」

「さすがのイッチーでも?」


 新しいヨシムラ集合を箱から出すと慎重に取り付け始めた。


「オレの手は、マフラーを持つ程度にしか広くないんでな」


 知恵者、宗一郎の顔は見たこともないほど哀しい顔に見えた。


  

◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇

作者より

「ヨシムラ集合」とは、バイクの後付けの部品です。

趣味のバイクいじりの一環ですが、けっこうお高いものです。

旅の途中で引き返してきたため、貯めてきたお金が余って

買えたことは、佳奈に内緒です。

なお、タイトルに使った「間隙」という言葉ですが

『①ひま。すきま。②へだたり。なかたがい。不和』

と言う意味が、広辞苑に載っています

◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇

  

 









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