紅雨




 もしかしたら、と。

 予感があったんだ。

 だから。


「消えないか」


 そうだよな。

 少しだけ、肩を落として。

 身体の向きを変えて、丸くて大きい木の机に額を預けた。

 最初は、ひんやりとして。

 次第に、ほんのりじんわりと温かくなって行った。

 のは。

 木のぬくもりだけじゃなくて。


(莫迦だな私は本当に)


 彼女が消えて。私の中に戻って。

 彼への未練があっさりと消えて。私の中から完全に。

 終わりを迎える。

 無理だ。


 期待、している。

 彼が来てくれる事を。

 どうして。

 見ただろう。

 恐怖で挙動不審になっていた彼の姿を。

 来てくれるわけがない。

 私に気持ちがあったとしても。

 縁を切る事を選ぶだろう。


(どうして私は)


 顔を少し動かして、しゃがみ込んで机の下から仰ぎ見る彼女を見て、ごめんと呟いた。 

 ごめんでももう私からは。

 言えるわけがないのだ。

 ゆるしてほしいだなんて。

 だから。


「君にもう暴力を振るう自分を見たくないんだ」


 澱みなく立ち上がって、振り返り、肩で息をする彼を真正面から見つめる。

 静かに。ただ、静かに。

 小学三年生時の彼の幽霊も。

 

(互いの未練はいずれ。消えなくても折り合いはつけられる)


 私は静かに歩き出して、歩き続けて、彼の横を通り過ぎようとした。

 名前を呼ばれても構う事なく。

 歩き続けて、そして。

  

「止めよう」


 私の前に立ちはだかる彼をただ静かに見据えた。


「野中さん。もう止めよう」


 暴力を振るった原因は、自分でもよく分かっていない。

 演じて本来の自分を抑え込んだからか。

 演じて本来の自分を解放したからか。

 分からない。

 分からないから。

 分からないから、私は彼から離れた。

 ならば何故また彼の前に現れた。

 謝罪したかったから。

 ああ、そうだ。

 だけどそれだけじゃなくて。

 本当は。


「梅田さん」


 あまりにも、静かで、深くて、広い声だった。

 思わずこちらの静けさが身じろいでしまうくらいに。


「梅田さん。俺と一緒に踊ってみませんか?」


 あいつらみたいに。

 そう言う彼の視線の先では、ぎくしゃくとぎこちなく手に手を取り合って踊る彼女と小学三年生時の彼の幽霊が居た。











(2022.9.8)


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