飛雨




 まだ生まれて数か月しか経っていない、頼りない木のように見えた。

 当時の。

 小学三年生の彼の片手読みは。


 しかめっ面で。

 本を大きく揺らして。

 本の内容を読む余裕がなくて。

 けれど、諦めなくて。

 ずっとずっと諦めなかったのだろう。


 今の彼は、生まれて百年以上は経つ大樹。

 どっしりと構えて、大抵の荒波には対処できる。

 けれど、しなやかにそつなく、ではなく、必死に歯を食いしばって。

 情けない顔を覗かせる。


 ただの感想だ。

 事実かどうかは分からない。


(私は、)


 憧れの司書さんは、花のようだった。

 桔梗のようだった。

 涼しい顔で何でもしなやかにそつなくこなして、でも、いつもどこか寂しさが拭えない雰囲気が伴っていた。

 微動する大樹に、微動だにしない桔梗。

 正反対なようでいて、似ている部分もある二人。

 きっと、純粋な気持ちを持ち続けた二人。


(私は)


 二人の事をまるで知らない。

 ただ、一面しか見ていない。

 憧れの司書さんは、その一面だけで満足していた。

 では、彼は。

 彼も、今見せている一面だけで満足するのか。

 それとももっと、


(でも私は、)


 幽霊で、きっと死んでいて、憧れの司書さんみたいになりたくて、なれなかったのが未練で、だから成仏できなくて、この世を彷徨っていた。

 何故か、小学三年生の姿で。

 何故か、花嫁衣装でこの身を飾りつけて。


(結婚しても)


 彼が望むのは秒単位の結婚で、離婚ありきの結婚で、求婚してくれたのも、私を見た結果かどうかも、正直分からなくて。

 分からない事だらけで。


 でもきっと、

 独りで死にたくなかったから、必死で呼び続けて、応えて来てくれたのが彼で。

 知っていて、気になっていて、覚えている彼で。


(どうせ)


 ただの戯れ。

 ただの現実逃避。

 少し、憧れに触れてみたいだけ。

 少し、彼に触れてみたいだけだ。


「野中さん」


 再び襲いかかる飛雨の中、私は少しだけ声量を気にして言葉を紡いだ。











(2022.7.8)


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