結婚
力強く緩急が激しい和太鼓の演奏みたいに、拍動音がやばかった。
特に胸とふくらはぎの。
これまでも動悸が激しかったが、それとは理由が違う。
ふわふわ掴めそうで掴めない恐怖が、一気に現実味をなして今になって襲いかかって来たからだ。
結婚。
相手は幽霊で、小学校三年生の姿で、初恋の人で、もしかしたら今すぐにでも成仏しちゃうかもしれない人で。
結婚も一生じゃなくて、仮初で、離婚が決まっていて、たかだか秒単位の期間で。
すぐに手の届かなくなる。
だと言うのに。
わざと失敗しようか。
恐怖に慄いた思考が姑息な選択を前面に押し出す。
時間をじっくりとかけて本棚を巡り歩き本を選ぶ中、中央の椅子に座ってこちらを見ているだろう彼女の気配を強く感じて、さらに恐怖が増す。
ぞっと悪寒が走るのは、雨のせいか、冷や汗のせいか。
今までの五人の彼女たちの顔が脳裏を過る。だけではないのだ。
幸福の象徴と打ち出されているにも拘らず。
ずっとずっとずっとずっとだ。
結婚なんて。
二人で手を強く握りしめて崖の上から飛び降りるイメージしか持てなかった。
先の見えない真っ暗闇へと。
手にあるのは相手の手だけ。
途中に生命を維持できる道具があるのか、手助けとなる人間が、生物が居るのかさえ、そもそも生きていられるのかさえ分からない中へと、まっさかさま。
何故かと問われると。
分からない。
ただ、現実でも映像でも変わらないのだ。
時に赤面し、時に微笑み、時に涙ぐむ結婚する二人を見ていても、幸福たらしめる姿を間近に感じても、このイメージが覆る事はなかった。
こわくて、こわくて、こわい。
よくも世の人間たちはこんな恐ろしい行為を決断できるものだ。
(やっぱり、求婚を取り消す、か、な)
どんどん梅雨で侵された思考が正常な判断を見つけていく。
結婚願望がないのに。
結婚してほしいと願う両親を、一時の両親を喜ばせたい一心で。
嘘をついて結婚相手を見つけたと言って、即結婚衣装を身に着けた俺と結婚相手が婚姻届けを印籠のように見せたって。
両親だって喜ばない。俺も喜ばない。彼女だって喜ばない。
分かるだろう?
だから彼女に説明をするんだ。
どこか。
どこかは追い切れないが、身体の一部の体温が下がり続けて留まる所を知らず。
命じても動かない足を必死に上へ、後ろへ、横へ、前へと着実に動かしていく。
彼女の方へと身体を向けて。上、前、上、前、上、前、上、前へと。
俯いたまま。
どんな表情をすれば決めかねていた。
お茶らけた?
真剣?
苦笑?
涙する?
外面を優先?
本音を優先?
「梅田さん!」
決められないまま。当たって砕けよとの命の下。彼女の足元を視界に捉えた瞬間。勢いよく頭を上げて、口を開いて。
閉じようとしたが、口は開いたまま。大きく。
口につられたのか、目も大きく見開いていた。
人生で一番間抜けな顔だって自負できる。
だって。
「ああ、それにしたのか」
だって、だって、反則だろう、その顔は。
心を、
身体の内側の、どことも断言できない部分を、やわらかく直にくすぐって。
背筋に、全身にソーダ水をかけ巡らせて。
思わず赤面させてしまうその顔は。
もういいやって。
先に崖から飛び降りた俺の頭は、多分また、梅雨に侵されたんだと思う。
(2022.7.2)
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます