『④お互いを好きになる?』②

 「君はなぜいつも、自分を否定するのだ。なぜとても魅力的であることに、気づいていないふりをするのだ」

 素敵だと思ってきたセリフだった。それが向けられていることに、イオリの胸がだんだん熱っぽくなってくる。

「これでは、私が君だけを好きなことが、とても愚かなことのようではないか・・・」

 キリが苦悶の表情を浮かべる。険しくなる眉根、悔しげな声。

 イオリはどういうわけかくらりとして、片手を頬に押し当てた。

「・・・どうかした?イオリの番だ」

 ふと顔を上げるとキリが不審そうにイオリを見つめている。

「あっ、あ、え、えと」

 台本を両手で握りしめて見失った次の自分のセリフを探す。

「少し休憩する?」

 キリはイオリの顔を覗き込み心配そうに尋ねた。

 目が合う。キリの美しく黒い瞳だけが、イオリの芯に迫ってくる。まるで、侵略を許してしまいそうな感覚だった。イオリの無意識下が、駄目だと声を上げた。

「だ、だだ大丈夫ですよ・・・!」

 耳の中でばくばくと唸る鼓動を無視し、イオリはなんとか次のセリフを絞り出す。

 こんなの、拷問に近い。イオリはこれが誰のせいでもないという状況を恨んだ。

「馬鹿を言わないでちょうだい。私は見ていたのよ」

「あの少女は貧血で私に寄りかかっただけだ。やましいことは何もなかった」

 キリは【恋せよ アンモナイト】を見ていた頃を感慨深く思い出しながらも、イオリがいつもと違うことを気にしていた。大丈夫だろうか、もしも課題が精神的に辛いのであれば、今すぐにでも止めなければならない。イオリが傷つくことは、したくなかった。

 自分の変化に疎かったのはお互い様らしい。

「なあ、本当に大丈夫?」

「大丈夫大丈夫・・・ええと次は」

 大丈夫でないときに猫背気味になるのはイオリの無意識の癖だ。

「嘘おっしゃい、このナンパもの!」

 これはマキコが涙ながらにカイを糾弾する場面だ。イオリの顔は真っ赤に近づいていく。

 追い討ちをかけるようにキリは、最悪であり最高でもある言葉を口にした。

「私が見ているのは初めから君だけだ。好きだよ・・・イオリ」

 イオリは脳味噌にパンチを食らったような衝撃とともに、声にならない呻きを上げた。

「・・・イオリさん、一旦中断しよう」

 心配で、少し焦ったキリが台本をテーブルに置くと立ち上がる。

「来ないでーーーー!!!」

 イオリは訳もわからずそう叫んでいた。ぎゅんぎゅんと矢で射抜かれたような胸、血が足りないみたいにくらくらし始めた視界。今キリに近づかれたら死ぬ。心臓が死ぬ。イオリは確信した。

「ごめん、やっぱりこの台本はまだキツかったか。もう少し配慮すれば良かったな」

 キリはイオリを傷つけたことに後悔した。男性恐怖症の彼女が、こんな告白紛いの演劇をすることに対しての負担をもっと考えるべきだったと項垂れる

「本当に悪かった。今日はもうやめよう」

 キリがリビングから出ていき、イオリは一人残される。イオリはただ戸惑って、胸を掌で押さえつけた。

 好きという響きが脳に焼き付いて取れなくなったみたいだった。掌の上から心臓の形がわかるぐらいに、それは早鐘を打ち続けていた。息ができないみたいで苦しい。なのに、パニックになった時とは違う。イオリは胸の端の方で、この状態を心地よく感じているのだろうか。

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