『② 3時間話す』

 『② 3時間話す』は、突然の来訪者が無ければ決して達成できなかっただろう。

 無事に①を達成したその翌日の昼のことだった。

 イオリが3階の部屋に引きこもっていると、誰かが何かを叫ぶ声がする。女性の声だった。

 イオリが怖くなってイヤホンをつけると、その誰かはなんと3階までリズミカルな調子で上がってきた。イオリは一瞬びくついたが、部屋には鍵をかけてあると思い軽く安心した。何が何だかわからないので音楽を流しながらじっと目を瞑っていた。すると、なんと誰かにイヤホンの線を引っ張られる。イオリは小さく叫び、目を開けた。

 派手な柄をいくつも組み合わせた、攻めた服装の女性が目の前に立っているではないか。

「こんちはぁ。あたし、キリの妹のぉ、まあ妹でもあり弟でもあるみたいな感じなんだけどぉ」

 その女性(少なくとも顔立ちはそうだ)は、金髪に赤いメッシュをかけており、これからも成長していきそうなふさふさしたまつげをしていた。艶やかなメイクだ。

 その人はイオリにばっちりとウィンクをし、ポーズを決めた。

「季子(キコ)っていいまぁす」

 イオリが震える指で扉を指さすと、キコは何気なく言った。

「ん?ああ、鍵ならちゃぁんと掛かってたよぉ。ダイジョブダイジョブ」

 イオリはキコの無邪気な笑顔にゾッとした。

「にいちゃぁん、女の人がいるんだけどぉ。羨ましいっつーのぉ」

 イオリはキコに、リビングに連れてこられた。キコとイオリが白いソファに隣同士で座り、その向かいにキリが座っていた。

 キコはキリの少しの説明で、すぐに全貌を理解した。

「ふむふむ、なるほどねぇ。それで二人は今同居してるのかぁ」

 テレビが昼のバラエティ番組を流している。

「イオ、ごめんね。にいちゃんってばゴーインだからさ。きっとものすごく迷惑かけてるよねぇ」

 キコはいつの間にかイオリのことをイオと呼んでいる。人懐こいのでイオリもいつの間にか警戒を緩めていた。

「幼稚園の頃なんて、おねしょしてよく先生に慰められてたんだよ?にいちゃん、すぐ泣いちゃうもんだから、先生も怒るに怒れなくて」

「おい、それはもう言うなってば!」

 キリの焦る声とキコの笑い声ばかりが重なった。イオリはそっとキリの表情を伺う。キリは病気になりそうなほど赤い顔をしていた。しかし、キコに怒鳴ったりはしなかった。

 イオリはこの時初めて、キリの顔をまじまじと見た。キコの陽気なペースに巻き込まれて、一瞬キリが男性であるという不安が朧げになったのだった。

 ふと、キリと目が合う。イオリとキリは同時にビクッと肩を震わせる。

 キコはイオリを落ち着かせるように笑顔を見せた。

「大丈夫だよぉ、にいちゃんアホだからそんなに警戒しなくてもいいよ。イオの嫌がることなんて絶対できないから」

「誰がアホだ」

 それはそうと、とキコはイオリに問いかける。

「イオ、にいちゃんと何かしゃべった?怖い顔してるけど、人の言葉は通じるよ?」

 イオリはキコに小さく首を横に振った。イオリは、いきなり「ステージに立て」と言われたような気分だった。

 そしてこの時、テレビがとあるCmを流したのだ。

『あの伝説の騎士と巻貝姫が帰ってくる!伝説のドラマシリーズ【恋せよ アンモナイト】、待望のスペシャルドラマ制作決定!』

 辺りが急に静まり返り、初めに静寂を破ったのは、キコだった。

「信じられない!」

 キリがそれに被さるように声を上げる。

 二人はまるで子供のように、イオリがこの場にいないかのようにはしゃいだ。そしてしばらくしてはっとする。

「ごめんねぇ。はしゃいじゃってぇ。【恋せよ アンモナイト】ってドラマシリーズがあってねぇ」

 キコは振り向いてイオリに説明しようとした。しかしイオリもキコと同じく恍惚としていたのだった。

「わ、私、これ、好きでした」

 キコの方だけを向いてやっと言葉を発したイオリに、勢い余ったキリがくいついた。

「そうだったのか!」

 叫んだ瞬間、キリは同志を見つけた喜びに目が眩んでいた。発言したことをきっかけとして、言葉がぽろぽろと溢れ出す。

「特にどこの場面が好きだった?」

 イオリは一瞬怯んだが、隣にキコがいることで僅かに余計な力が抜け、小さく声を発した。

「・・・ラストの」

「そこか!!俺も好きだ!」

 キリはここで、自分が大きな声を上げたことにやっと気づいたのだが、答えるイオリの瞳には恐怖以外の感情が確かに存在していた。今までにないことだった。

「あぁ、告白する場面だよねぇ。騎士さまが」

 イオリから言葉を引き出せると感じたキコは、空気を察知して話題を振ってみる。イオリはキコに微笑み返す。

「・・・その時のセリフが素敵で・・・」

「そう、そうなんだよ」

 キリがおずおずと言葉を返した。キコはスッと口を閉じてソファにもたれ、二人を見守る体勢に入るのだった。

「あれは、奇跡だったと思うんだ。監督、キャスト、音楽、そしてストーリー、全てが完全に組み合わさったことが大前提だったからこそ起こった、化学反応だった」

 イオリが、キリの言葉に相槌を打っていた。そして時々、声を挟んでいた。

 2人は『② 3時間話す』を、なんとか達成するのだった。

 キコは、「また来るねぇ」と言って家を出ていった。イオリは、嵐のような子だと思ったが悪い印象は受けなかった。むしろ、キコが今までの人生をどのように考え、生きてきたのか聞いてみたいと思った。興味深かったのだ。

 そしてキコのおかげでイオリとキリに話しやすいムードが流れたのは、間違いなかった。

 イオリが銭湯から帰ってきて3階への階段を上がろうとすると、書斎にいるキリの後ろ姿が見えた。ボールペンの頭についているユニコーンもだ。

 ボールペンの切先から生まれゆく文字、言葉、キリの中で育っている新たな世界に、イオリは思いを馳せる。もしも砂星桐の物語を、完成した直後に見ることができたなら。

 まだ誰も足を踏み入れていない未開の地に、最初に入りこむのがイオリだとしたら、それはとても嬉しいことだ。

 直後、イオリはキリの視線に気づく。

「写ってるよパソコンに」

「ひゃあ!」

 よく見ると、パソコンの画面にキリの苦笑いが写っているのが見てとれた。

 イオリは後ずさる。心臓が不安げな音を立て始める。

「邪魔してすいません・・・も、もう近づきませんので・・・」

「そうなの?」

 キリは振り返って、きょとんとする。

「見てもらおうと思ってたんだけど」

 イオリは燃え上がるように赤くなる。キリはそんなイオリを見て、微かに笑った。

 ②を達成した日から1週間が経つ頃には、二人はぎこちないながらドラマ以外の話を少しずつするようになっていた。

 2人は話している間、不安はあっても嫌悪感は抱かないことに気づき始めた。不安と嫌悪はまるで違う。

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