第8話 私が生きていくコト

 そうしてお母様から聞いた話から、私は現状をより詳しく知ることができた。


 屋根があり餌をもらえた時点で人の管理下にあることは分かっていたが、なんと我々、ただの飼い犬ではなかった。母犬であるシリカは人間の指示を受けて羊を追う、所謂いわゆる牧羊犬だったのだ。


 とはいえ今は冬で、シリカも子育てをしなければならないため、仕事の方は免除されているらしい。


「そとにはいつごろ、でられるんですか?」

「そうねぇ、春頃になるかしら。でもそれまでも、お仕事のための訓練はするのよ」


 訓練か。けど室内となると、実際に羊を追うわけにはいかない。自分達の歳を考えると、お手とお座り、伏せとかになるのかな。


 ……、うーん。

 どうしよう。


 私の頭にある未来が浮かび、少しばかり俯いた。じっと一点を見つめて考え込む娘の姿に、母シリカがぽつりと呟く。


「……あなたなら……、きっと」

「? はい」


 掛けられた言葉に応え、私は母の顔を見上げた。けれどもそこから一向に先が続かない。こてんと首を傾げた私に、ふと、母が目を細めた。


「……どうあることが幸せか、大事にしたいものは何なのか……きっとそれぞれ違うでしょう」


 柔らかく、囁くように降る母の声。それを、私は真っ直ぐ受け止めた。これはきっと、子どもにするには難しい、それでも大切な話だ。


「でも皆私の大事な子なの。だから私はあなたに、自分に嘘はつかないで……幸せになれる道を選んで欲しいわ」

「わかり、ました」


 優しい母だ。

 私は教わらなくても状況を見れば、ある程度望まれる振る舞いをすることが出来る。多分、どの子どもよりも有利に生きられるだろう。知識も技能も平等ではないと分かっていて、伝えてくれたのだ。

 私の持つ記憶ものは、否定されるものではないのだと。


 幸せだ。

 ますます母が好きになる。


 子どもらしく、甘えるようにすり寄れば、母は私の頬をぺろりと舐めた。


「覚えていて。私があなたを想っていること」

「ありがとうございます」


 その言葉だけで十分だ。


 羊飼いの暮らしは詳しくは知らない。けれど、一つの家庭に六匹以上も牧羊犬は要らないと思うのだ。恐らく生まれた家で暮らせるのは、兄妹のうち一匹か二匹だけ。


 だから、私は。


「わたしも、おかあさまがだいすきです」

「……あなた、苦労しそうな性格ね」


 なんか木崎さんみたいなことを言うなぁ。

 可笑しくなって私は笑った。


「そうでもないですよ。こんどこそ、らくをしようともくろんでいます」


 そうだ。能力以上の期待と仕事を背負い込み、喘ぐなんて以ての外だ。今度こそスローライフを送るって決めたんだもん。必要とあらば前世で発揮できなかった愛嬌を振りまいてやる。


 目をくりくりさせて小首を傾げて見上げれば、母がくすりと笑ってくれた。


 よし、今後はこれで良さげな人に媚びていこう。


 ……あ、そうだ。人と言えば。


「おかあさま」

「なぁに?」

「おかあさまのごしゅじんさまは、どんなひとなんですか?」


 尋ねながら、私はつい、某スイスの山の無口なお爺さんを思い浮かべた。まぁ、あれは羊じゃないんだけど。


「あら? 毎日いらしていたのだけれど……。もしかすると、その頃はまだいたのかもしれないわね。とってもすごい方よ。同じ仕事をしている人間たちを纏めたりもしているの」


 一気に社畜時代の上司が頭に。

 私がどんな顔をしたのか、お母様はまた娘の頬をぺろりと舐めた。


「大丈夫よ。厳しいときもあるけど、その分とても優しいわ」


 それから、と付け足す。


「末のお嬢様は、貴女と仲良くなれそうよ」

「すえのむすめさんといいますと……」

「よくお食事を持ってきてくれる子よ」


 なるほど、あの天使か。彼女と仲良くなれるとは楽しみだ。

 私はにまにましながら、ころりと床に転がった。






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