第2話 まさかのソレ


 何かに、むぎゅむぎゅと押さえつけられている。そんな感覚を覚え、私は意識を浮上させた。


 なんだろ……。


 マッサージにしてはツボを外しすぎているし、時々つるりと滑ったようにどすりと重みが掛かる。むしろ人を踏みつけて乗り越えていく――そんな感じだ。


 ――って、ちょっと待てい!


 カッと目を開く。

 こっちは轢かれたばかりなのだ。そんな扱いをされて平気でいられると――。


 って……あれ?

 痛くない。


 思わず視線を巡らすと、見慣れない木の壁と天井が目に映った。


 ……外じゃ、ない?


 かといって病院という雰囲気でもない。見たところ、民家のようだけど……。


 はて何処だろう。

 そう首を捻り、何気なく横を向いた――次の瞬間。


 私の視界にとんでもないものが映り込んだ。


 ――っっ! も、もふもふ……!

 もふもふが、いる……っ!!


 白黒の、ふわっふわの毛の固まり。それが規則的に上下する様は、間違いなく呼吸をしているなまものだ。

 振り返れば、今しがたこの身を乗り越えていったらしき毛玉がそこにいて、短い手足をもちゃもちゃと動かし頼りなげに歩いていく。そしてまた数歩進んだところで、そやつはぺしゃりと地面に懐いてしまった。


 ちょ……っ!やだもう!

 めちゃくちゃかわいい……っ!!


 へにゃりと垂れた両耳に、ぴこぴこ動く短めの尻尾。白黒の八割れ模様をした頭は、胴体に比べて少し大きい。


 間違いなく、憧れの、こどもわんこだ。


 ずっと飼ってみたいと思っていたけれど、一人暮らしだし、そもそもアパートはペット禁止だ。なのでいつも画面越しにもふもふ達を愛でていたのだが、それがこのように至近距離に存在するとは。


 あぁ、幸せすぎる……っ。


 右を見れば、小さなお口をいっぱいに開け、伸びと欠伸をするわんこ。左を見れば、寝ている子によじ登ろうとするわんこ。その脚が若干ぷるぷるしているところなんか、もう最高だ。


 よし、わかったぞ。ここは楽園だなっ。


 だから寒さも痛さも感じることなく、至福の映像を眺め続けることができるんだ。


 ……ふふ、ふふふ。

 かわいい。

 ひたすらかわいい。


 語彙も少なくもこもこたちの奮闘を堪能する。

 でもそうしていると、徐々に私の中である欲望が沸き上がってきてしまう。


 つまりはそう。

 そろそろ抱いてしまいたいという欲望だ。


 怖がらせたくはないけれど、どうしてもあのもこもこに触りたい。抱っこして、もふもふして、すりすりして全力でい!と叫びたい!


 涎を垂らさんばかりに見つめ続け、とうとう私の足が、ふら、と動きだす。


 ――って、あれ?

 何か、視線を感じる気が。


 直感に従い首を回らせてみる。すると、少し高い位置にある黒い瞳とぶつかった。


 おおおっ、美人さん!


 すっと通った鼻筋に、切れ長の目。艶やかな白黒の毛並みが美しい――犬だった。

 恐らくボーダーコリーという犬種だろう。賢く運動能力の高い彼らは、初心者が飼うのは難しい種類だ。それこそ巡り会う機会の少ない相手に感激なのだが、気になることがひとつ。


 ……あの、ちょっと大きすぎやしませんか?


 自分の視界に占める『彼女』の割合が多過ぎる……気がするのだ。確かにかの犬種は中型犬で、実際成犬を見ると意外と大きく感じるらしいが、これは流石に規格外だろう。口を開けばこちらが飲み込まれそうなほどなのだ。


 ん?


 そこで、はたと気がついた。


 ……あれ、私どんな姿勢なんだっけ。


 寝ているわけでもないはずなのに、どうしてこんなに目線が低いのか。

 何故もちゃもちゃとした毛玉達が『小さい』と思えないのか。

 それに何より……何故あれが『彼女』だと分かるのか。


 そのすべての理由に答えが出そうになったとき、巨大犬がのそりと近づいてきた。

 つい、ぬいぐるみの振りをした黒猫に、大型犬が迫るアニメシーンが思い浮かぶ。

 ぽかんとしていると、鼻先でぐいぐいと腹を押され――身体がころりと転がった。慌てて起き上がろうとして、手足をじたばたと動かす。その瞬間目に入る、もこもこの毛皮。


 試しに声を出してみる。


「……きゃう……」


 喉から、昔よく萌えた鳴き声が飛び出した。


「……」


 どうやら、私も犬らしい。








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