二、スサノオ登場!―はたしてこの男は味方なのか?―

「…はあ…」

「…ああっ…」

「…ついにこのときが来てしまった…」


 家の中にいる白い着物を着た三人、老夫婦とその一人娘はうつむいたまま異口同音にため息をつく。

 明日は娘の十五歳の誕生日。

 それはつまり今夜〝お迎え〟がやってくるということである。

 だがこの〝お迎え〟を拒否することはできない。

 それは〝全ての破滅〟を意味している。


「…うう…」

「…どうすれば…」

「…私たちはこのまま終わるしかないのか…?」


 三人は口々に自分たちの身の不幸を嘆(なげ)く。

 今の三人にはそれ以外のことは何もできない。


「…おい…」


 部屋の中に男の野太い声が聞こえる。

 しかし下を向き泣き伏(ふ)せている三人はその声に気づくことはない。


「…お前ら!いい加減にしろーッ!」


「ひいっ!」

「ああっ!」

「ええっ!」


 室内に響(ひび)き渡った〝爆音〟に思わず三人は悲鳴を上げる。

 そして声がしたほうを見上げる。


「…あ、あなたは…?」

「…いったい…?」

「…誰でしょう…?」


 三人が顔を上げて声のするほうを見た先には白い服を着た若い男がごう然と立っている。


「フンッ!このスサノオがこうして貴様らごときの家にわざわざ訪ねてきてやったのにろくにあいさつもできんのか!」


 スサノオは憤怒(ふんぬ)の表情を浮かべながら三人を一喝(いっかつ)する。


「こっ、これはまったく気づかず…」

「しっ、失礼しました!」

「す、すいませんっ!」


 スサノオの言葉に三人は地面に手をつき土下座の姿勢で必死に謝(あやま)る。


「家の外では何度入り口の戸を叩いても反応がないから無理やり戸を蹴破(けやぶ)って中に入ってやったぞ!」


 そう言うと、スサノオは真ん中に大きな穴が開いた四角形の木の戸を指差す。

 戸は完全に入り口からは外れてしまって地面に落ちており穴も大きく、もはや修復(しゅうふく)するのは不可能な状態である。


「…まあ、こんなボロい家の戸なんぞいくら壊れたところで大した問題でもあるまいがな」


 スサノオは一切悪びれる様子もなく言い放つと、どっかりと家の中央にある囲炉裏(いろり)の前に腰を下ろす。

 そして囲炉裏を中心に家の入り口側にスサノオ、スサノオと正対して年老いた男、スサノオの右側に年老いた女、左側に若い娘がそれぞれ座っている形になる。


「…ふん、まあどうやら先ほどまでこのスサノオの存在にも気づかぬほどに深刻(しんこく)な悩(なや)みを抱(かか)えている様子、話してみよ…」


 スサノオはふてぶてしい様子であぐらをかきながら、年老いた男のほうを見て話をするようにうながす。


「…はっ、はい…」


 突然〝指名〟された男は戸惑いながらも話を始める。


「…私の名はアシナヅチ、こちらは我が妻のテナヅチ、そしてこちらが娘の…」


「…チッ、誰がお前たちの名を名乗れといった…」


 スサノオは舌打ちしたあと、いらだった様子で言い放つ。


「…なっ…」


 スサノオの予想外の言葉にアシナヅチは言葉を失う。


「…貴様らの名前なんぞに興味はない。俺はお前たちが何に悩んでいるのかと聞いたんだ。それをさっさと喋(しゃべ)れ」


 スサノオはだるそうに足を崩しながら白(しら)けた様子で言う。


「…はっ、はいッ!」


「フン、頭の悪いジジイだ…」


 スサノオは慌(あわ)てふためくアシナヅチを横目に見ながら悪態(あくたい)をつく。


「…そ、それでは話させていただきます…」


 アシナヅチは気を取り直して話始める。


「…私たち夫婦にはもともと八人の娘がおりました。しかし今から七年前、八俣の大蛇ヤマタノオロチが我々の元にやってきて娘を一人自分によこすよう要求してきました。そして断ればお前たちの家も田畑も全てを破壊し尽くすと脅(おど)すのです。私はその要求を拒むことができずその時娘を一人いけにえとしてささげました。すると翌年にはまたやはりオロチがやってきて同じ要求をしてきたのです。そんなことが毎年続き、すでに私たちの七人の娘が犠牲(ぎせい)になりました。そしてまた今年の今夜…」


 そう言ってアシナヅチは言葉を止めると、娘が座っている自分の右側に視線を移す。


「…この娘がオロチに喰(く)われるというわけか…」


 スサノオの言葉にアシナヅチは無言でうつむく。そしてつぶやくように言う。


「…我々はおしまいだ。もはや助かる術はない…」


 そしてその場に重い沈黙の時が流れる。


「…よし、決めた…」


 そんな沈黙をスサノオからおもむろに放たれた言葉が破る。


「…おい、アシナヅチよ」


「はい?」


 スサノオの呼びかけに答えたアシナヅチに対してスサノオは娘を指差しながら言う。


「…この娘は俺がもらうぞ」


「…はっ…?」


 スサノオの口からあまりに自然に放たれた言葉にアシナヅチは自分の耳を疑う。


「この娘は俺の妻になるのだ」


 スサノオは眉(まゆ)尻(じり)一つ動かさず再び言う。


「なっ、ななななっ!」

「どういう意味です!」


 アシナヅチに続いてテナヅチも会話に加わってくる。


「言った通りの意味だよ」


 慌てふためく老夫婦とは対照的に、スサノオは白け切った調子で話す。


「このままでは娘はオロチに食べられてしまうのだろう?だったらその前にこのスサノオがいただくというだけの話だ。この娘は今でこそまだ幼さをいくらか残してはいるが、あと五年もすればいい女に成長することだろう。それをオロチのヤツにくれてやるのはあまりにも惜(お)しい」


「しっ、しかし私はすでにオロチに娘を差し出すと約束してしまったのですぞ!」


「フンッ、この娘一人程度このスサノオが守るさ。俺はこの娘を連れて早々にここを立ち去る」


「なっ!そ、それでは私たちは…?」


「ハッ、そんなことをこのスサノオが知るわけがなかろう?」


「そんな!あなたは私たちを見捨てるというのですか!」


「何を抜かすかッ!」


 スサノオはアシナヅチとテナヅチを一喝する。


「お前たちは娘を七人も犠牲にしながら今の今までのうのうと生きながらえてきたこの地上で最悪の鬼畜(きちく)親だ!そんなお前らがどうなろうと知ったことではないわ!」


「ええっ!」

「なんとっ!」


 スサノオの言葉にアシナヅチとテナヅチはただひたすら慌てふためくことしかできない。


「たまには貴様らが娘の身代わりになればいいではないか?そうすれば娘がいったいどんな気持ちでオロチに喰われていったのかもよくわかることだろうよ」


 スサノオは二人に冷ややかな侮蔑(ぶべつ)のまなざしを向けたまま言い放つ。


「…さて、さっさと行くとするか…」


「…あっ、ちょっと…」


 スサノオは左手で娘の右手首を強引につかむと、そのまま家から出て行こうとする。


「…お待ちくだされっ、あっ!」


「ああっ!」


 アシナヅチはスサノオを呼び止めながら必死にスサノオの体をつかもうとする。

 しかし焦(あせ)るあまり途中囲炉裏の段差で足を引っ掛けてしまい、倒れこみながらスサノオの足首をつかむ形になってしまう。

 だがそれにかまわずアシナヅチはうつぶせの体勢のまま頭を上げて、必死にスサノオに訴(うった)える。


「私たちがなんの痛みも感じることなく娘をオロチに差し出したとでもお思いかっ!我々はその身を切られるような思いでやむにやまれず娘を犠牲に…」


「下らぬっ!」


 スサノオはアシナヅチの顔を見下ろしながら吐(は)き捨(す)てる。


「貴様はただ単に自らの弱さをオロチのせいにしているだけだ!貴様がオロチを倒せるほどに強ければ娘は犠牲にならずに済(す)んだのだ!弱者はいつもそうだ!自分の弱さゆえに起こった身の不幸を自分以外の何かに押しつける!」


 スサノオはアシナヅチに対してまくし立てる。

 アシナヅチはスサノオの顔を見上げながらその両目から涙を流すことしかできない。


「フンッ、その汚らわしい手を離せ!」


 そう言うとスサノオはアシナヅチの手を力ずくで振りほどき、家を出ようとする。しかし―


「いやっ!」


 今度は娘がスサノオに抵抗(ていこう)する。体をよじらせ、家にとどまろうとする。


「…小娘よ、お前にこの家に残る理由などないはずだ。お前の両親、この人間のクズどもはお前をオロチのいけにえにしようとしたのだぞ」


 スサノオは娘の〝反抗〟にわずかに戸惑(とまど)うような様子を見せながら、娘のほうを見て言う。


「たとえそうだとしても父上と母上はこの私をここまで育ててくれました。その恩義(おんぎ)が私にはあります」


 娘ははっきりとした口調で断言しながら、スサノオの方をまっすぐに見すえる。


「…ほう、こんなゴミのような親どもに恩義があると…」


「はい」


「…ふん、小娘にしてはたいそうな心がけ…」


 スサノオは娘を見ながら感心したようにつぶやく。


「…それと先ほどからあなたは私のことを〝小娘〟と呼んでおりますが…」


 〝小娘〟はまだ幼さの残るその顔立ちでなおもスサノオを見ながら言う。


「私には櫛名田比売クシナダヒメというちゃんとした名があります!」


 クシナダヒメはスサノオの方をキッとにらみつけながら言う。

 その全身からは高貴な生まれのものが身にまとう気品のあるオーラのようなものが漂(ただよ)っている。


「…そうか、それは悪かったな。クシナダヒメよ…」


 スサノオはそれまでの傲(ごう)岸(がん)不遜(ふそん)な姿勢からすれば意外なほど素直に自分の非を認める。


「…しかしクシナダよ。お前はこのスサノオの妻にならねばならない。その点については一切譲(ゆず)るつもりはない」


「嫌です!」


 クシナダはスサノオの言葉をきっぱりと拒絶する。


「…なんだと…」


 クシナダの言葉を聞いてスサノオの表情がみるみる険しくなる。


「私はあなたがヤマタノオロチを退治(たいじ)しない限りは決してあなたの妻になることはありません!」


 クシナダはスサノオに対してはっきりと宣言(せんげん)する。


「…貴様、女の分際(ぶんざい)でこのスサノオに〝要求〟するつもりか…?」


「そうです!」


「俺はスサノオ、建速須佐之男命タケハヤスサノオノミコトだぞ!大神天照大御神アマテラスオオミカミの弟にして高天原より降った神なのだぞ!その俺に…」


 スサノオはその口調にいら立ちを滲(にじ)ませながらクシナダに詰(つ)め寄る。


「あなたは先ほどからずいぶんと自分の強さを誇示(こじ)しようとしているみたいだけど、本当は大して強くないんじゃないの?」


「なにっ!」


 クシナダの言葉に意表(いひょう)を突かれたスサノオは思わず声を上げる。


「だってそうでしょう?あなたは父上を弱いとおっしゃいましたが、あなただって今私を連れてヤマタノオロチから逃げようとされているではありませんか?」


「言わせておけば!」


 ついに怒りが頂点に達したスサノオはクシナダの両肩を両手でつかみ家の壁際(かべぎわ)まで一気に押しつけ、その顔をクシナダの顔の鼻先にまで近づける。


「ああっ!」

「クシナダっ!」


 スサノオの行動を見たアシナヅチとテナヅチは悲鳴(ひめい)を上げる。


「俺は反抗するやつがこの世で一番嫌いなんだ!たとえそれが女だったとしても容赦(ようしゃ)はせぬ!貴様をどうにかすることなど俺にとっては簡単なことだ!」


 スサノオはその怒気(どき)を込めた脅(おど)し文句をクシナダに対して並べる。


「…確かにあなたは私を容易(ようい)に手ごめにできるでしょうね。でも…」


 クシナダはこの状況(じょうきょう)においてもなおスサノオの目をまっすぐに見すえながら言う。


「たとえあなたが私の体をどうにかできたとしても心までは支配できないわ!絶対にね!」


 クシナダはこれまででもっとも強い口調で決然(けつぜん)と言い放つ。


「…むう…」


 その言葉は完全に予想外のものだったらしく、スサノオはうなったあとしばらくあごに手を当てて考え込むようなしぐさをする。そして―


「…クックックックッ…」


 なぜかスサノオはクシナダをつかんでいる手を離し、笑い声を漏(も)らす。


「…ハーッハッハッハッ…!」


 ついには、スサノオは顔を上に上げたまま、大笑いし始める。

 その突然の笑いの理由がまったく理解できないクシナダたちは唖然(あぜん)とする。


「…ハッハッハッハッ…、心までは支配できない。なるほど確かにそうだ!」


 スサノオは笑うのを止めると、再びクシナダのほうを向く。


「クシナダよ、なかなか面白いことをぬかすではないか!ますます気に入ったぞ!」


 スサノオはそう言いながら、ニヤリと笑う。


「よしっ!このスサノオはヤマタノオロチを退治するぞ!」


 このスサノオの言葉を聞いてその場にいる他の三人はええっ、本当に、などと歓声(かんせい)を上げる。


「ああっ、本当だ!あとついでにそこのジジイとババアも救(すく)ってやる…」


 そう言ってスサノオはアシナヅチとテナヅチを見たあと、フンッと鼻を鳴(な)らす。


「…だがクシナダよ…」


 そしてスサノオは再びクシナダの顔をまっすぐに見ながら言う。


「オロチを退治したあかつきには、おぬしは本当にこのスサノオの妻となるのであろうな?」


 スサノオは険(けわ)しい表情でクシナダをにらみつけながら言う。


「…ええ、あなたの妻になるわ…」


 クシナダもスサノオの目をまっすぐに見ながら言う。


「ようしっ!」


 クシナダの言葉を聞くと、スサノオは凶悪(きょうあく)な笑みを浮かべながら喜ぶ。


「…クックックッ、クシナダよ。オロチを退治したあとはお前を妻にして身も心も支配してくれようぞ!ハハッ、今から楽しみでしょうがないわ!」


 スサノオは心底|嬉(うれ)しそうに加虐(かぎゃく)的(てき)な表情で笑う。


「…さて、と。そうと決めたらオロチを倒すための準備をせねば!」


 スサノオはそう言うと、一気に真剣な表情に戻る。


「おぬしらにも手伝ってもらうぞ!何しろ今夜にはヤツはやってくるのだ。全員で作業を急がねばとても間に合うものではない!」


 そうしてスサノオの指示(しじ)のもと、クシナダたち三人も参加して準備を大急ぎで行うのだった。

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