第6話「熱帯夜」

「夜なのにあっついね。かと言ってクーラー付けたら寒いし。梅雨は嫌いだけど夏も大概だよ」

「だな」

「はぁ、早く冬にならないかな。絶対暑いより寒い方がマシだって」

「そうか? 寒い方が辛いと思うけど」

「だって着込めばなんとかなるんだよ? 楽勝楽勝」

「着込んでも寒いもんは寒いと思うけどな」

「うわ、意固地。彼氏たるもの彼女には同情してよ」


 なんてね、とすぐに笑顔で続ける久遠は快晴の月明かりに照らされていつも以上に綺麗だった。


「最近眠れてんの?」

「うん。ここ数日は雨降ってないし、ちゃんと食べて、ちゃんと寝てるよ」


 北庄司とご飯に行ってから一週間。生気のなかった久遠の表情も随分回復したと思う。綺麗に見えるのはそういうことも起因しているのかもしれない。


「夏の雨って急に降り出して、すぐ止むみたいなのが多いから、これからは早退とか遅刻が増えると思う」

「先生には言ってんの?」

「言ってないよ。中学の頃に言ったら、学年中にバレて馬鹿にされたのがトラウマでさ」


 好奇心と悪戯心が混在する中学生ともなれば、こんな珍しい病気が格好の獲物だったのだと想像に難くない。


「あーあ、また先生達に嫌われちゃうな。髪も赤い上に休みがちで。愛想振りまいた方が良いと思う?」

「そんなことしなくていい」

「そーだねぇ。やきもち焼きの涼平に聞くことではなかったね」


 ニヤニヤと不敵な笑みを浮かべて俺の頬をつつく。あまり自覚はないのだが、それなりに嫉妬深いらしい。


「ありがとね、今日も送ってくれて」

「いいよ。送りたかっただけだから」

「良い彼氏、ご褒美あげる」


 久遠は俺の首に両手を回し、近づける形で口づけを交わす。程なくして熱の塊が口腔に入り込み、互いのエネルギーを吸い合うようにゆっくりと動く。


「久遠……」

「物欲しそうに見ないでよ……もう」


 熱を帯びた久遠の手が俺の腕を掴み、彼女の家に引き入れる。入るなり貪るように唇を奪い、それをしばし受け入れた久遠は落ち着かせるように俺の背中を叩く。


「ベッド……ベッド行こ?」


 久しぶりだったからか、俺まで症状にあてられたのか、それとも夏の熱気に呆気なく流されてしまったからなのか。衝動に突き動かされていた。


 求めて、触れて、溶け合っていくように快楽に溺れていった。情事が終わったのは日を跨いだ頃だった。


「今日の涼平……激しかった」


 シャワーを浴び、後から入った久遠は戻ってくるなり、少し疲れたような顔つきでそう告げる。


「……ごめん」

「良いよ、嬉しかった」


 久遠は俺が座っていたベッドフレームの隣に腰を降ろす。


「あのさ、志帆から聞いたんだけど、涼平合宿行かないの?」

「うん、そのつもり」

「……なんで?」

「正直あんまり興味なくて。別に合宿に行かなくても夏休みの練習は出るしさ」

「なんで嘘つくわけ?」


 俺の軽い返答を簡単に看破する久遠の表情は険しく、それでいてどこか寂しそうに返してくる。先程までの空気が一変したのが即座に分かった。


「志帆から全部聞いたよ。私のことが心配だから合宿行かないんでしょ? なんで正直に言わないの?」

「それは……」

「変な気つかわないでよ! 私に言ったら何か不都合あるとでも思ったの!? それとも私が怒るかもって!?」

「それは違うよ、久遠」

「何が違うの。今だって私が怒ってるから取り繕うとしてるんでしょ? 涼平の中の私ってそんな弱いかな? 頼りないかな!?」


 久遠は怒りを露わに立ち上がる。半分は事実だとしても半分は妄言。快晴の時にこうして彼女に詰められるのは初めての経験で、呆気に取られてしまう。


「そんなこと言ってないだろ?」

「言ってないけど、そう思ってるから志帆に相談したんじゃないの?」

「あれは北庄司が──」

「──じゃあ、なんで言わないわけ!? 自分は嫉妬深いんだからさ、恋人が異性とどっか行ったって聞いたらもやもやする気持ちわかるでしょ!? 私だって不安になるの! 雨が降ってなくたって、怖いものは怖いし、不安なものは不安なの!」

「……それは俺の理解が足りなかった、ごめん」

「それだけならまだ良い。だけどさ、なんで私の雨恐怖症の話までするわけ……?」

「……は?」

「とぼけないで! 志帆から連絡が来てたの、久遠は雨が怖くて学校に来れないんだねって!」

「言ってない! 北庄司とご飯は食べに行った、だけどそれは言ってない!」

「じゃあ、誰が教えたって言うのよ!高校の先生は知らないし、中学の同級生はこんな高校来てる人いない! 涼平以外に知ってる人なんていないのに!」


 久遠の激昂と心当たりのない過失。酸欠で座り込む彼女は涙を浮かべて俺を睨みつけた。


「志帆は……私とも仲がいいから……教えちゃったって言ってくれたら……許そうって思ったのに……なんで……なんで嘘つくの……? ……もう信用できない。別れよう……雨森くん」

「……意味わからないんだけど。俺はやってないって言ってるだろ?」

「もう無理なの。信じたかったのに……もう信用できない。そばにいて欲しくない……だから、もう終わりにして……?」


 この空間から酸素が消えたようだった。弾き出されるように荷物をまとめて外に出る。防音仕様になっている久遠の部屋では分からなかったが、外は雨が降っていた。輝いていた恋模様を打ち消すように。

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