第4話「合宿計画」
7月。長い梅雨が終わった。あの日以来久遠には会っていない。俺としても彼女の精神状態を受け入れることに難しさを感じてしまっていた。それは彼女にも伝わっていたようで、いつも通りポストにプリントを入れるだけで良いと言ってくれた。会いたいはずの星宮久遠は梅雨の間だけ何処かに行ってしまったようで、今日ようやく帰ってくる。
「おはよ、雨森」
「おはよう」
足音で期待したが、無駄。声の主は北庄司だった。
「悪かったわね、久遠じゃなくて」
「いや、こっちこそごめん」
こちらがそう返すと、北庄司は額にデコピンをしてくる。
「……なにすんだよ」
「謝られたら久遠待ってて、私は邪魔だったんだってなっちゃうでしょうが、馬鹿」
「……ごめん」
「仕方ない、許す! 私も久遠がいないのは寂しいし。でもさ、それより最近の雨森は部活にも身が入ってないし、ここで拗ねられて辞められでもしたら、私が悲しい」
私が悲しい、か。久遠がいない間、北庄司はよく話しかけてくれた。彼女なりに気を使ってくれていたのだろう。
「えっ! 涼平辞めんの!?」
凛太郎は入ってくるなり、俺の机の元に走りよる。その姿に北庄司は露骨に嫌そうな表情を見せる。
「辞めるつもりはねぇよ」
「うわぁ、良かったぁ。お前に辞められたらこっちも困るんだわ、ただでさえも北庄司のせいでイライラするし」
「奇遇ね、私もあんたのせいでいつもイライラさせられてんのよ」
夫婦喧嘩か。毎度の事ながら、同じ部活なのになぜここまで仲が悪くいられるのだろうか。
喧嘩している2人を眺めていると、その奥にある扉から見慣れた赤髪が入ってくる。
「……久遠」
「久遠!?」
俺の声に反応した北庄司は勢いよく振り向き、そこで固まる。それもそうだ、久遠は梅雨前に比べてとても痩せ、服の端からは包帯が覗いている。そこには病人がいるようだった。
「久しぶり、みんな」
「……久しぶり、大丈夫……?」
「ありがとう志帆。うん、もう元気だからしばらくすれば元に戻るよ」
「そっか、なら良かった」
何処か気まずい空気を破るように予鈴が鳴る。2人は散るように席に戻り、久遠は俺の隣の席に座る。
「大丈夫、じゃないよな」
「正直、大丈夫じゃないや。はは、強がっちゃった」
「ご飯は?」
「この前涼平に買ってきて貰った冷凍食品チンしてちょっとずつ食べてたよ」
「そうか」
「うん」
「……おかえり」
「ふふっ、ただいま」
授業が始まる。1限の授業に来た先生は出席を取ると、星宮久遠が教室にいることを珍しがり、どこか嬉しそうだった。
いつも通りの板書。書き写すだけの単純な作業だが、隣を見ると、ペンの持ち方も忘れてしまった人が座っている。
「ほら、今のところやったって分からないだろ? これ見とけ、今日の分のノートは後で見せてあげるから」
「お気遣いどうもーー」
1ヶ月もの間、ご飯もロクに食べず、ほとんど寝ていたとあれば筋力は相当落ちている。ただ雨が怖いという理由でここまでの事態になるのかとそう思わざるを得なかった。
◇
「星宮久しぶりだな!」
「久遠ーー!」
「大丈夫だった?」
放課後。2人で体育館に向かうと、男女問わず彼女の知り合いが駆け寄ってくる。流石は人たらし、人望が厚い。
「良かったな、嫁が帰ってきて」
「勘弁してくださいよ」
「冗談だ、じょーだん」
先輩にからかわれていることは分かるが、嫁という表現は正直嬉しかった。
「さっきぶり。久遠、雨森。合宿の計画出来たから、渡しとくね」
「合宿?」
「そう、運動部恒例の夏合宿。今年は長野でやるって言ってたかな」
「……期間は?」
「1週間だよ、久遠。7月の下旬から」
「……うん、分かった」
「何か予定とかあったりするの?」
「ちょっと用事があるかもしれないから、1回確認してからまた連絡するね」
久遠の返答を聞いた北庄司はいつも通りボールを取りに倉庫に向かっていき、周りの人達もついて行くように歩いていった。
「用事あるのか?」
「いや、ないよ」
「じゃあどうして」
「怖いの。1週間も外に泊まってたら、いつ雨が降るか分からない。家で防音にしてても雨が降ってたらおかしくなるのに、外で雨にあったら本当にどうしたらいいのか分からなくなる」
「なるほどな……もういっそのこと言ったら? 雨が怖いって」
「それは嫌。周りに知られたくないの」
精神的に崩れた時はどうか分からないが、普段の久遠はプライドが高い。周りに知られることを嫌がるのは当然だろう。
「だから、合宿は休もうかな」
「それが良いか」
久遠が合宿を休む。それだけのことなのにどこか不安で、どこか安堵している自分がいた。
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