第3話「梅雨到来」
6月。例年よりも早い梅雨入りだった。久遠は宣言通りの体調不良で、ここ数日学校を休んでいた。
「久遠が居なくて寂しい?」
「……北庄司か」
ぼーっと外の雨模様を眺めていると、話しかけてきた。席替えで俺は窓際の席になったが、彼女は通路側。わざわざここまで来てくれたのは心配だろうか。
「私が連絡しても返信来ないし、先生の電話も取らないみたいなんだよね。雨森も?」
「ここ1週間、全く返って来てない」
「ありゃあ、なんか悪いことしちゃったとか?」
「そんなことないけどな」
我ながら驚くほど心当たりがない。抱いた時、当たり前のように彼女がゴムを持っていたことに少し嫌な気分になったのが伝わったとかだろうか。だが、そんなことを一々気に留める彼女でもない。
「単純に気分が悪いんじゃないか?」
「それはそれで心配だよ。私だったら気分悪くても好きな人には返信はするし」
「そんなもんか?」
「久遠がどうかは分からないけどね。だけど、雨森にはちょっと同情しちゃうかも」
「……ありがと」
「どういたしまして。今日はさ、久遠に会ってきなよ。毎日プリント届けてるんでしょ?」
久遠は休む前、担任に配布物は全て俺に渡すように頼んであったらしく、毎日届けている。だが、いつもはポストに入れるだけ入れて帰っている。
「……そうするかな」
「うん、その方が良いよ。浮かない顔してるしさ」
そう言って、北庄司は俺に笑みを向けた。
◇
部活帰り、時計の針は既に19時を回っている。電車で彼女の家の最寄り駅に向かい、そこから雨降る夜道をゆっくりと歩いていた。
久遠の体調に対する心配と、もうすぐ会えるという期待感。そして、心の奥底で秘めている、愛想を尽かされたのではないかという一抹の不安。混ざりあって、今にもこぼれてしまいそうだった。
揺らして、整えて、揺らして、整えて。そうこうしている間に彼女の家の前に辿り着いた。大きな家の窓はすべて雨戸で閉め切られ、雷雲と重なって廃墟のような雰囲気を醸し出していた。
ポストの中には俺が投函した数日分のプリントが溜まっており、それを回収して玄関に向かう。鍵がかかっていたら面倒なので、ゆっくりドアを開くと、施錠されていなかったようでそのまま開いた。
玄関に彼女の靴があり、ここにいることは間違いない。一階にその姿はなく、二階ある彼女の部屋に向かう。ゆっくり3回扉を叩き、静かにその扉を引いた。
「……久遠?」
彼女は部屋の真ん中でぺたんと座り込んでいた。その姿には生気がなく、普段の綺麗なセットとは打って異なるボサボサな髪、身体中には痣と傷、その周りには血のついたカッターナイフが転がっていた。
「涼平……? なんで……来たの?」
「なんでって……ずっと休んでるから心配で……」
「あぁ……ごめんね。私のせいで心配させちゃったよね、私が弱いせいで傷つけちゃったよね……」
「いや、そんなこと……」
「ははっ、優しいね。でも、いいや。好きな人を傷つけちゃうなんて最低だし、終わってるし、生きてる価値ないし、死んだ方がいいや」
彼女は死神のようなその姿でゆらゆらとナイフを拾い、自分の首に向ける。
「久遠!」
呆然としていた俺はその姿を見てようやく少し我に返り、彼女の腕を無理矢理引き離し、その手に掴まれたナイフを投げ飛ばす。
「なんで……? なんで邪魔するの?」
「馬鹿かお前は!」
怒鳴った瞬間、時が止まったような感覚に陥る。そして、再び時を進めるように彼女の身体が震え、大粒の涙が溢れる。
「ごめ……ごめんなざい……いい子にしますから……捨てないで……」
普段の強気で自信に満ち溢れた姿は鳴りを潜め、別人のようなその姿に圧倒される。
『離さないで。私を嫌いになるその日まで』
不穏な言葉だと思ったが、どこか繋がった気がした。ゆっくりと抱きしめ、その背中を撫でる。
「大丈夫、大丈夫」
「…………めちゃくちゃにして……私を愛してるって、私に見せつけて……」
呑まれるように彼女をベッドに押し倒し、服を脱がせる。以前した時には無かった切り傷と痣がその身体にはあったが、そんなことは些細なことだった。
◇
シャワーの水が風呂場の地面を叩き、俺の意識の外で時間を進めてくれていた。
身体中の鬱血痕が今日の行為を物語っている。先月の初体験の時にはあんなにもロマンチックだった行為も数回重ねれば別物になる。現に今日は違う人を相手にしているようだった。鬼気迫る彼女は何かに怯え、縋り、壊してしまいそうな迫力だった。身体が重いのは何度も出したからではなく、行為に疲れたからでもない。精神的な疲労、その一言に尽きる。
以前泊まりに来た時に忘れてしまっていた部屋着に着替え、部屋に戻る。ベッドには眠っていたはずの久遠が横たわったまま、目を開けて呆然としていた。
「久遠」
「……ごめんね」
「ううん、大丈夫」
「雨……まだ降ってる?」
閉め切られたこの部屋では外を見ることはおろか、雨音すら聞こえない。携帯で確認すると、雨はもう止んでいた。
「止んでる」
「……そっか、じゃあもう大丈夫だ」
起き上がり、ベッドフレームに座ろうとするが、途中で支えきれずに倒れてしまう。
「大丈夫か?」
隣に座り、もう一度起き上がろうとする彼女を助け、俺に寄りかかる形でようやく座ることが出来た。
「あはは……そういえばしばらくご飯も食べてないんだった」
「そんなに気分悪かったのか?」
「気分悪くなるというより、おかしくなってた。ここ数日雨降ってたから」
「雨?」
「うん。私ね、雨が怖いの。怖くて怖くて、おかしくなるの。1日くらいだったら雨が止むまで薬とか飲んで寝ておくんだけど、こうも連日になると、薬も効かなくなる」
久遠の豹変の原因はそれだったのか。親が無くなったことと何か関係しているのだろうか。
「ありがと、怖かったでしょ?」
「……うん」
「ふふっ、正直で良いね。変に気を使われるとさ、こっちも辛いの。だって傍から見てて怖くないわけがないもん。不安になって、自分が嫌いになって、自傷して、性欲が爆発するなんて」
俺の身体に付いた鬱血痕を申し訳なさそうに撫でる。
「だからさ、嫌いになったらちゃんと言ってほしい。こんな私に付き合わせるのも、可哀想だからさ」
「……ご飯作ってくるよ、寝てて」
「うん、ありがと」
彼女をベッドに再び倒し、俺は部屋を出る。その瞬間に安堵してしまったことに対する罪悪感とそれにまたしても被さる当然だという理性。幾重にも重なっていく感情を剥ぎ取るように冷蔵庫を開け、中から白ご飯を取り出す。
鍋に水を張り、火にかける。ご飯を入れようとしたところで沸騰まで待つのか、このまま入れるのか分からなくなる。分からなくなって、分からなくなって、分からなくなる。
あれ? 何が分からないんだろう? 粥の作り方? 美味しい料理の作り方? 久遠とのこれから? 人との付き合い方?
何もかも分からないまま、水は沸騰してしまった。
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