黒鉛で模る君の姿

 定期試験も無事に終わり、結果が帰ってきた。僕は相変わらずそこそこといったところで、あまり変わり映えはしない。


 美術室の扉を開けると、そこに君の姿はなかった。荷物を置いて戻ってきた頃に、ぱたぱたと急ぎ足に入ってきた君を見た。


「あ、先輩。お疲れ様です。テストは…あはは。あとで結果持ってきますね」


 そう言って、君は荷物を置きに部室に駆けていく。スケッチブックと鉛筆を準備して、何を描こうかと逡巡している僕の隣に、君がぱたぱたとやってきて座る。


「先輩のおかげで、なんとか補習は免れました。けど、妙な成績のせいで悪目立ちしちゃって」


 そう言って君は、はにかみながらとテストの結果を見せてくれた。国語と英語は満点の一方、それ以外は赤点すれすれ。合計は、平均よりやや下といった具合だった。


「クラスの子から『星月さん、国語と英語は凄いのにねー』なんて不思議がられちゃいました。『昔からこうなの。不思議なんだよねー』って、ごまかしちゃったんですけど」


 そう言って君は、どことなく寂しそうに笑う。クラスにあまり馴染めていないのかな、と心配になる。そんな僕の表情を汲みっとたか君は、不意に僕の肩にこちんと額をぶつけてくる。


「でも、いいんです。私の感覚は、先輩にさえ知っておいてもらえたら。下手に喋っても、私、さらに変な子扱いされちゃうだけですし」


 寄せられた頭を、そこから僕の腕に這って落ちる髪を優しく撫ぜる。何かしてやりたい気も起きるけれど、きっと余計なお節介になってしまうだろう。ちょっと歯痒い。


「久しぶりの部活で、テスト勉強からも解放されて。私、ライムライトに彩られたようにふわふわした気分です。そうだ。先輩、久しぶりの部活なんですし、二人でなにか描きませんか?」


 まあ美術部なんだし、何かを描かないととは思うけれど。ここであえて君が二人で、と言ったのがちょっと気になる。そわそわした心持ちで、僕は続きを促す。


「先輩が下絵を描いて、私が色を乗せるんです。どうでしょう、面白いものが出来そうな気がしませんか?」


 確かに、今まで誰かと二人で一つの作品を作り上げるようなことはなかった。純粋に面白そうで、僕は首を縦に振る。


「はい、是非に。ところで、何を描きましょう?先輩が描きたいものを、私、彩りたいです」


 君はきらきらと双眸を輝かせ、僕の回答を待つ。僕は、そんな君を描きたい。


「え。私ですか?私なんですか?ええー。嫌ではないです。嫌ではないんですけど、もっと他に綺麗なものが、この学校やここから見える景色にもあると思うのです」


 窓の外を見渡しながら君は言う。でも僕は君の見る世界を語る時の、きらきらと輝く君以上に綺麗なものを他に知らない。そう言った瞬間に、肩にぺしっとビンタが飛んできた。


「なに小っ恥ずかしいことを真顔で言ってるんですか、先輩!そういうとこですよ!」


 本当のことなんだけどな、と思ったけど、これ以上に言うとまたビンタが、今度は一発で済まないかもしれない。喉元まで出かかった言葉達を、無理矢理飲み込んで胸の奥へと押し込んだ。


「それで、結局どうするんですか?やっぱり、私を描きたいのですか?」


 俯き加減に君は問う。一度は君を描いてみたかったし、それが僕達の初の共同作業とあれば、これほど魅力的なものはない。僕はちょっぴり甘えるように、描きたいと答える。


「…分かりました」


 そう言った君は僕から離れ、ややあって息を大きく吸い込んだ。そして一息に吐き出して、表情を凛と引き締める。


「先輩の視線に射殺される覚悟も、じっくりと舐め回されて辱められる覚悟も出来ました。さあ、思う存分に来なさい」


 あまりにも酷い言い草だ。やることは、大して変わりはないけれど。ともかく僕は君を座らせて、キャンバス越しに君を見る。君はこちらを見やっていて、視線と視線がぶつかる。


「言っときますけど、先輩だから許すんですよ。私、こうじっくり見られるの、恥ずかしいんですからね」


 君は僕から視線を外して姿勢を正す。張り切ってくれているのはありがたいのだけれど、君から妙な緊張を感じていて、僕の描きたかった君の姿とは違う。描きかけの手を止めて、これでどうにかなったらベタだよな、と思いつつ、美術室に置いてあった写真集と色図鑑を君に手渡す。


「なんでしょう、先輩。これを読むんですか?はい、分かりました。先輩の仰せのままに、望むままに」


 君はつんと冷たく言い放つと、写真集のほうを広げて読み始めた。何かが変わってくれると良いけれど。


 間もなく君に、わかりやすく変化が現れた。色の世界をきらきら語る、いつもの魅力的な君だ。でもこの姿を、魅力を、僕はきちんと描ききれるだろうか。なんとなく不安になり、鉛筆を持つ腕が思うように進まない。


「先輩、あまり気負わなくても大丈夫です。これは二人の合作なんですから。素敵な作品が出来上がったら、それはきっと先輩のおかげですし、うまく出来なかったら、それはきっと私のせいです。私のほうも、その逆に考えるので。だからどうか、どうかいつも通りにお願いします。私、先輩の描く、黒鉛グラファイトで出来た絵が大好きなんですから」


 僕の絵を、君は大好きと言った。それだけで、僕の腹は決まった。もう気負うのも不安がるのもやめにして、君の姿を捉える事に集中する。

 

「あの、先輩。心なしか、目が血走っているように見えるんですけど…むしろ怖いくらいなんですけど…」


 不安げにこちらを見やる君を尻目に、僕はひたすらに鉛筆を動かす。陰影を描きかけて、ここは君が色を乗せるのだと思い出す。最低限に留めながら、君の姿を、背に映る教室たちを描き込んでいく。


 描き上がると同時に、手招きして君を呼び寄せる。キャンバスを覗き込む君の顔が、瞬く間に変わっていく。


「凄い。やっぱ私、先輩の絵、好きだな…。あの、先輩。これと同じのをもう一枚描いてもらえませんか。今度は、陰影まできちんと描き込んだのを。先輩の絵から、もっと世界を感じ取りたいです。そしてそこから、私、先輩の絵に合う色を見つけたいのです」


 先刻までの君は、モデルになるのを相当嫌がっていたように見えたのだけれど。でも君が望むとあらばと快諾し、またキャンバス越しに君を見る。夕に焼けた空の色が、君の顔に映えていた。

 


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