一面に広がる紅の花

 今日は君と一緒に植物園に来ている。君は花をとても好いているし、僕は木々の囲まれているととても心地のよい気持ちになれる。そういうわけで植物園は、デートスポットとしてとても気に入っている。


 手をつなぐわけでもなく、かと言って離れすぎるでもなく。時折肩が触れ合うくらいの距離感のまま、植物園の中を進む。突き当たった花壇一面に黄色い花が立ち並ぶのを見て、君ははしゃぎながら僕の手を取って引きだした。


「見てくださいよ、先輩!ベニバナですよ、ベニバナ。生で見るのは初めてかも…」


 黄色いベニバナを夢中になっている君を見やる。紅なのに黄色?と不思議に思って、君に聞いてみる。


「確かに今は、黄色の方が強いですね。でもそのうち橙みを帯びてきて、やがて紅く変わっていくんですよ」


 花壇に広がる黄色を、楽しそうに見つめている。そこに隠れ潜む紅色が、君の目には映っているのだろうか?もしそうだとしたら、ちょっとうらやましい。


 隣に立っていた看板に、ちょっと面白いことが書いてある。このベニバナ、どうやら旧い和名は呉藍くれのあいと言うそうだ。

 

「くれの…藍?え、藍?えー…どういうことなんでしょう」


 驚きに満ちた目で、看板を二度見る君。隣を見やれば、頬が触れ合いそうなほどの距離に君の顔がある。


「へー。中国伝来の染料、って意味なんですね。ここから、よくある音の訛りとかが出てくれないになったんですかね。ね、せんぱ…」


 そうわくわくとした声色で君が言う。そしてこちらを見やった君は、驚きながら顔を紅く染めて固まってしまった。


「あ、あの。先輩。近いです…」


 寄ってきたのは君のほうだろうに。


「うー…それはそうでも、やっぱ近いです。近いんです」


 理不尽だと思いつつも、ちょっと離れてやる。やがて一緒になって看板から離れると、うつむき加減に君が言う。


「あの、先輩。ちょっと…この景色をちょっとだけ描いてもいいですか?あの、そんなに時間は取らせませんので」


 もとより、絵を描くつもりで、そして描かせるつもりで僕もここに来ているのだ。懇願するような上目遣いに、もちろん、と快く言ってやる。すると君の顔にぱあっと華が咲く。


「ありがとうございます、先輩。あ。あっちにベンチがありますよ」


 君が手を取りベンチまで引く。ベンチに座り、鞄からタブレットを取り出して花畑を撮る。更にペンを取り出し、タブレットの上をなぞりだす。覗き込むと、瞬く間に写真から輪郭だけが取り出され、まるで即席の塗り絵が出来たように見えた。


「先輩、どうしたんです?あー、これですか?お姉ちゃんがくれたんです。『たまちゃんや、天の川家に伝わる、秘伝の家宝をくれてやろう…』なんて言って。そもそも私もお姉ちゃんも星月家だし、子孫はおろか子供もいないし、秘伝の家宝が最先端の電子機器なのもなんかやだし。黙ってれば頭も良くて綺麗なのに、口開くとこうなんだから…」


 どうやら君のお姉さんは、非常にユーモラスな人らしい。しかしまあ、こんな高価な物をくれるなんて、相当可愛がられているに違いない。


「それはまあ、はい。紅介…弟なんですけど、二人ともお姉ちゃんとは歳が離れてるのもあって。一緒に、とても可愛がられてますね」


 そう、なぜかそっぽを向きながら答えた君は、耳の先までを紅に染めていた。何を考えていたのだろう?悪戯心が働いて、掘り下げようと思ったときには、君はもう塗りを始めていて。僕も続くようにスケッチブックと鉛筆を取り出した。


 二人並んで、ベンチの上。もくもくと絵を描き進めていく。僕は大雑把に形を捉え、素早く素早く描いていく。このやり方なら、君が夢中になって多くの時間を使っても何度も何度も繰り返せば良いし、本当に短い時間で切り上げた時でも、作品はほぼ完成している。もっとも君が絵に使う時間は、一時間を下回ったことはないけれど。


 二つほどクロッキーを仕上げてなお、君は夢中になってタブレットに色を置いている。ちょっと疲れて伸びをした時に、近くでソフトクリームの売っているのを思い出したので、休憩がてら、買いに行こうと立ち上がる。その瞬間を、僕の袖をはっしと掴む君がいた。


「ダーリンどこ行くの?ソフトクリーム?うーん…後で一緒に行こ?もうちょっとで終わるから、待ってて欲しいなー」


 君のもうちょっとはあまりアテにならないけれど、これ以上に動く気にもなれなくて、僕は素直にベンチに引き戻されることにする。僕がもう絵を描かないと見たか、君はまた膝の上にするりと乗り出す。本当に、君って人は。頭を抱える僕に、振り返った君は笑う。


「えへへー。だめ?」


 だめではないんだけどね。そう言いながら、もう、と心の中で独り言ちる。


「ありがとー。こうしてると、落ち着くんだよねえ」


 君の言った一言に、妙な感触を覚えた。君が絵を描いているときに僕が近づくと、いつもこうやって引っ付きたがるよね。でも、絵を描き終わる頃には、爆発しそうなくらいに顔を紅く染め上げて、まともに動く事も出来なくなるじゃない。


 だからちょっと、気になって。落ち着くんだって、聞いてみる。


「あー…うん。落ち着く…安心する、のほうが近いかも。受け入れられてるんだって思えるし、その分素の自分になれる気がするし。やっぱ私は、次女っ子の甘えっ子なんだろうね。でも普段は人目も気になるし、すごい恥ずかしいし、ドキドキももうもの凄くてどうにかなっちゃいそうだから、出来ないけど。絵を描いてる時だって、気にしないフリをしてるだけで、やっぱりドキドキしてるんだけどね。でも何もしてないよりは平気なの」


 はっきり言って意外だった。でも、君の心根に触れられた気がして、少し嬉しい。愛おしさあまりにお腹を抱えるように手を回すと、うつむき加減な君はタブレットをぼうっと眺めてるだけで、ペンを握る手を止めている事に気付く。


「あ、あの、ダー…リン。そのまますこーしずつ、ゆーっくりと私を隣に降ろしてくれませんか?」


 声が震えている。口調が戻っている。耳がおもむろに紅くなる。覗き込もうとすると、顔を背けられる。なるほど、話しているうちに恥ずかしさあまって、普段の君が戻ってきちゃったのか。僕はもう堪らなくなって、君を抱く腕にあえて力を加え、君の背中にもたれかかる。


「先輩、ギブ!ギブアップです!後生ですからもう離してください!」


 君が僕の腕を、鎖骨のあたりをぺしぺしと叩く。そのさまがやっぱり愛らしくてたまらなくて、僕はまだもうちょっと、君を甘やかせておくことにした。君の望むと望まないと、関わらずに。

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