第15話

 アリスは、そのあまりの凄まじさに息を飲んだ。白ウサギがアリスの腕を引く。


「行くぞ」

「う、うん」


 慌ててアリスも走り出す。

 その周辺では、三月ウサギと眠りネズミの2人が公爵夫人の騎馬兵きばへいを相手に銃戦を繰り広げていた。

 アリスは振り返らずに白ウサギの背中を追う。そこから前を覗くと、何かが見えてきた。


「……人?」


 アリスは思わず立ち止まる。

 目の前にいたのは、二十歳程度に見える女の人だった。

 こちらに向かって剣を構えている。

 その気品溢れる立ち振舞ふるまいに何となく予感があって、アリスはその名を呼んだ。


「……公爵夫人?」


 アリスの声が聞こえたのか、公爵夫人と呼ばれた女性がこちらをギリッと睨む。

 どうやら当たっているらしい。

 その目は殺意に満ちていて、その迫力に気圧けおされる。

 すると目の前の女性がその口を開いた。


「…………して」

「え?」

「…………返してよ……。私の可愛いペットを返して!!」


 アリスは反射的に後ろに下がった。

 その直後には、アリスがいた場所を公爵夫人が振り下ろした剣がぎる。

 次いで真横に振り払われた剣は、白ウサギによって受け止められた。そのまま白ウサギの剣が公爵夫人の剣を押し返す。

 剣技では白ウサギのほうが公爵夫人より上手うわてだった。

 彼女は息をつく間もなく次の技を繰り出す。


「返して!!返せ、返せ、返せ、返してよ!!」


 公爵夫人はもはやアリスしか見えていない。アリスに動揺の色が浮かんだ。

 公爵夫人は一体何を返せと……ーーーー。

 白ウサギはアリスの隣に着地する。目線は公爵夫人から外さない。


「アリス」

「は、はい」

「ーー公爵夫人の飼い猫は、チャシャ猫だ」

「!」


 アリスは、今までの疑問が全て確信に変わる音を聞いた。

 最初にハートの女王に出会った時、本当にハートの女王と白ウサギが敵対しているのか疑問を持っていた。

 白ウサギは魔法が使える。白ウサギと敵対するなら、その者も同様に魔法が使えなければ、初めから対立なんて出来ない。

 だが、ハートの女王は魔法を使えない。

 なら、ハートの女王を影で操っている『誰か』がいるのではないかと思った。

 そして、眠りネズミの言葉。

 公爵夫人。

 全てがパズルのように組み立てられていく。


「ーーーー私……行かなくちゃ」


 アリスの言葉に白ウサギの視線が移る。

 "行け"と目が語っていた。


「……俺も後から追いかける」


 アリスは強く頷く。

 そして、公爵夫人の横をすり抜けた。

 すかさず公爵夫人が剣を突き出す。…が、しかし、それも白ウサギによって受け止められた。

 ぐぐっ、と彼女の剣を押す。

 そして一気に力を抜いた。


「ーーーーな…っ」


 彼女の体が前のめりになる。白ウサギは、そのまま渾身こんしんの力で彼女の剣を振り払った。

 剣は宙を舞い、公爵夫人は尻餅をつく。


「…………悪いな。俺も急いでるんだ」


 白ウサギが剣を収める。カチャン、という音を聞いて、公爵夫人ははっと我に返る。みるみるうちにその白い肌が更に青ざめ、恐怖に満ちた表情へと変わる。彼女は可哀想かわいそうなくらい、カタカタと震え出した。

 ……知っている。白ウサギは最初から、剣などなくても公爵夫人を殺せるのだ。


「……あ……」


 公爵夫人は、恐怖のあまり声まで震えた。

 白ウサギの瞳から光が消える。


「……た、助け……っ」


 それ以上、声が出なかった。

 だが、白ウサギは何もしない。

 そのまま公爵夫人を静かに見下ろした。


「……俺は、お前の飼い猫に用があるんだ。お前はせいぜい、黙ってそこで座ってろ」


 白ウサギは走り出す。

 公爵夫人はへたっと地面に手をつくと、暫くそこから動く事が出来なかった。



 * * *



 アリスは森の奥深くをひたすら走る。目的は分かってる。

 今、会うべき人。今、自分がやらなければならないこと。

 居る、分かる。

 彼のほうから自分を呼んでる。

 実際に呼ばれている訳ではないけど、でも感じる。

 そこに……ーーーー。


「………………」


 カサッと音がして、アリスは足を止めた。

 上を見上げると、彼はやはり、木の枝の上に立っていた。

 いつもと変わらずに、不気味な笑みを顔に乗せて。


「……貴方に会いに来たの」


 アリスが言葉を発すると、チャシャ猫はにやりと口端こうたんり上げた。


「あはっ♪ーー俺も会いたかったよ……アリス」


 チャシャ猫は目を細める。


「でも、アリスが本当に会いたいの、僕じゃあないよね?」


『鍵』の事を言っているんだと思い、アリスは頷く。


「『鍵』の居場所も教えてもらいたいの。『鍵』は不思議の国にも鏡の国にもいないよね?」

「………………」


『鏡の国』の双子は言った。

 この世界には僕ら2人以外は誰もいないと。

 それにもし、不思議の国に『鍵』がいるなら、白ウサギが分からないはずはない。

 つまりーー。


「『もう一つの世界』」


 ぴくっとチャシャ猫の瞳が動いた。アリスは断言する。


「そこに『鍵』は居る。……そうでしょう?」


 チャシャ猫はしばらく無言だったが、突然ニイッと笑った。


「せぇーかぁーい♪……くくっ。俺、本当に君がだぁい好きだよ、アリス。今までのアリスと違って賢くてさぁ」

「………………どうして」

「……は?」

「……どうして、こんな事したの?」

「………………」


 チャシャ猫から笑顔が消える。

 アリスはぎゅっと拳を握り締めてチャシャ猫を見上げた。


「今までのアリスを殺すように仕向けたの、貴方だよね?どうしてこんな事したの?」

「……どうしてって…………」


 チャシャ猫は絶望したような瞳でアリスを見た。


「ーーーーつまらないからだよ」


 アリスは目を見開いた。

 チャシャ猫は続ける。


「アリスは知らないだろ?……死ねない事がどれだけ苦痛な事か」


 チャシャ猫は語り出す。


「誰も、俺を殺してくれないんだ。……皆、俺より弱くて、誰も俺を殺せない」


 この苦しみから解放されたくて、死の森に迷い込んだ住人達に殺し合いを何度も挑んだ。

 でも皆、自分より弱くて。本当に弱くて。

 誰も自分を殺してくれない。

 だから、白ウサギに頼んだんだ。

 自分と対等かそれ以上の実力を持つ白ウサギなら、確実に自分を殺せるだろうと思って。


『ーーねぇ、白ウサギ。……僕、もう疲れちゃった』


 その時、目で懸命に訴えていたのに。

 殺して欲しい、自由になりたいと。


「……でも、白ウサギはそれを拒んだ」


 それから自分は、この森に姿を隠すようになった。

 このどうしようもない苦しみから解放される方法が、これしかなかったから。

 だがある時、一人の少女が森の中にやって来た。

 それが、一番最初のアリスだった。


「だから俺は、アリスを利用したんだよ。……アリスは不思議の国で一番純粋な少女だったから」


 純粋な少女は、自分が教えたデタラメな事でも真剣に受け止めて行動した。

 しかも、自分も予想出来なかったくらいくるい始めた。

 それがたのしくて、面白くて。

 この子を使って、世界をぶっ壊してやろうと思ったんだ。

 こんなくだらない、つまらない、不愉快な世界なんて全部、滅んでしまえば良いと思った。

 だって……。


「ーーそのほうが、ずっと愉しいでしょ?」


 アリスはチャシャ猫を睨む。

 チャシャ猫は涼しい顔でアリスを見返した。


「アーーリス♪」


 チャシャ猫の言葉の重圧がアリスにのし掛かる。

 重く、苦しい声音こわねだった。



「……君は、俺を殺せるかなーーーー?」


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