第7話

「ん……」


 誰かに呼ばれた気がして、アリスは目覚める。辺りを見渡すと、一面が花畑だった。不思議の国ではないーー直感でそう思った。


「……ここは…………?」

「ここは『鏡の国』だよ、アリス」


 後ろから声がした。

 慌てて振り向くと、双子の小さな少年達が、2人仲良く手を繋いでアリスを眺めていた。見た目は5、6歳程度に見える。


「鏡の国って?」


 アリスが疑問を投げ掛けると、2人は顔を見合わせて笑う。


「鏡の国は不思議の国と対になる世界」

「鏡の国には僕ら2人以外は誰もいない」

「貴方達は誰?」

「僕はトウィードル・ダム」

「僕はトウィードル・ディー」


 アリスは、ここは夢の世界だと思った。だって、先程まで自分はハートの女王と共に不思議の国にいたはずだ。

 鏡の国に来た記憶はない。


「ーーねぇ、アリス」

「ねぇ、アリス」


 双子はアリスに語りかける。


「「君は何を迷っているの?」」

「ーーーー!!」


 アリスは頭を殴られたような衝撃に襲われた。

 思わず、自分の手のひらを見つめる。


 ーー私は、何を……迷っているんだろう……?


「私……」

「アリスはもう、分かってる」

「心の中では、もう決まってる」

「どちらを選ぶかなんて、アリスは最初から分かってる」

「なのに、何をそんなに迷っているの?」

「……あっ…………」


 ーーそうだ。

 私は、もう決めたじゃないか。

 あの時、あの……死の森で。

 アリスは手のひらをぎゅっと握った。


「そう……だね」


 再び双子を見返すと、彼らはアリスの今までとは違う表情を見て、子どものように笑った。


「悩みは全部、置いて行って」

「僕たちが貰ってあげるから」


 双子の申し出に、アリスは首を横に振る。


「これは……きっとダメ。私は悩まないとダメなんだ。なぜ、殺されるのか。なぜ……生きたいか」


 アリスのその答えに、双子は満足そうだった。


「もう……大丈夫だね」

「バイバイ、アリス」


 次の瞬間、アリスは光に包まれた。よく見ると、段々と体が透けていくようだった。


「また、いつでも僕らを呼んでね」

「いつでも助けてあげる」

「……ありがとう。でも、なんで……」

「だって」

「だってさ……」

「「……僕たちはーー……」」


 双子の言葉の最後を聞くと同時に、アリスの体は『鏡の国』から消えてしまった。

 ……それからすぐに目覚めると、アリスはベッドの中にいた。体を起こして部屋を見渡す。そこはとても大きな部屋で、壁際かべぎわには調度品ちょうどひんが綺麗に並んでいる。

 たぶんここはハートの女王の城だろう。倒れた後、ここまで運んで来てくれたのだろうか。

 とりあえず、ハートの女王の所に行かなければ、と、扉に手をかける。


「………………」


 扉を開けると、その横にハートのジャックがひかえていた。アリスが部屋を出たのを確認すると、彼女に向かって一礼する。


「お体の具合は大丈夫ですか?」

「は、はい。大丈夫みたいです。ご迷惑をお掛け致しました」

「いえ……それでは、どうぞこちらへ。陛下がお待ちです」


 アリスはハートのジャックに導かれるままに進んだ。城の廊下はかなり長いのに対し、その壁には絵画が飾られている以外は特に何もない。城を見るのは初めてだが、随分寂しい場所だなと思った。

 ハートのジャックは一番大きな扉の前で立ち止まる。コン、コンと2回ノックをした後、ゆっくりと扉を開いた。


「陛下。アリス様を連れて参りました」

「ご苦労だったわ、ジャック。アリス、こちらへ」


 アリスは戸惑い気味に歩を進めていく。ハートの女王は数段高い所にある椅子に腰掛けていた。階段の出前まで来ると、スカートを広げて一礼する。

 アリスから言葉を発することはしない。それは失礼に当たる行為だと、どこかの本に書いてあった記憶がある。


「……いきなり倒れてしまったからびっくりしたわ。でも、もう大丈夫そうね」

「はい。助けて下さってありがとうございました」


 アリスはハートの女王を見上げる。腰の辺りまでヴェーブのかかった赤い髪を、上のほうで2つ結びにされているのが見えた。

 最初に出会った時は、男の子かと思ったけれど、こうして対面たいめんすると、まぎれもなく女の子だ。


「それで?アリス……私の『お願い』の返事は決まったかしら?」

「はい、女王陛下」


 アリスは地面をじっと見つめたまま、鏡の国で出会った双子の言葉を思い返す。

 今度は目をつむって、気にならない程度に深呼吸した。

 ……大丈夫。

 私の心は決まってる。

 ここが『不思議の国』で、自分の知っている人が誰一人存在しない世界なら……せめて、誰を信じるかは自分で決める。

 アリスは瞳を開き、ハートの女王を真っ直ぐに見返した。


「……私は『白ウサギ』と共に戦います!」

「………………」


『白ウサギ』と敵対している『ハートの女王』の前でこれを公言する。これは宣戦布告にも等しい行為だった。

 今ここで襲われても、助けてくれる人は側にいない。

 それでも……。


「……女王陛下が私を誘って下さったのは嬉しかったです。でも……」


 でも……。


『君は白ウサギが選んだアリスだもん。きっと、大丈夫ーー』

 そう言ったのは三月ウサギ。


『いつでも助けてあげる』

 そう言ってくれたのはトウィードル・ダムとディー。


『……お前、アリスだろ?』

『殺されたくなければ鍵を探せーー』

 それは「白ウサギ」から放たれた言葉。その言葉がアリスをここまで導いた……っ、だから!


「私は、最初に決めた自分の決意と、私の為に傷ついた者の心に報いたい!……それが私の答えです」

「…………そう」


 ハートの女王は嘆息たんそくした。


「まぁ、ある程度予想していた答えだから驚きはしないけれど……ーー本当に良いのね?」

「ーーーーはい」

「………………」


 一瞬の沈黙の後、緊張の糸が切れたように、ハートの女王はふっと笑った。


「……ジャック」

「はい、陛下」

「アリスを城の外まで送ってあげなさい」

「承知致しました」


 アリスがハートの女王を振り返ると、彼女はアリスに気付いて意地悪そうに笑う。


「せっかく見逃してあげるんだから、さっさと帰らないと兵士達に命じて貴女を殺してしまうからね」

「………………」


 アリスは何も言わなかった。けれど一度だけ、ハート女王に対し一礼をすると、今度は振り返らずにジャックの後ろを追い掛けていった。

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