第8話

 アリスとハートのジャックは、先程歩いた廊下をゆっくりと戻っていく。その途中、庭に赤い花が咲いているのに気付いた。

 あれは……ーー。


「あれは元は白い薔薇ばらだったのですよ」

「なぜ、赤く染まっているの?」

「貴女の前の"アリス"が、陛下が赤が好きだと聞いて、城の兵士と共に、ペンキで白い薔薇を赤く染めたのです」


 アリスは口をつぐんだ。ハートのジャックは続ける。


「……『アリス』は陛下の全てだったのです」

「女王の……全て……」


 ハートのジャックは頷く。


「ですからどうか、陛下を許して差し上げて下さい」


 アリスはすぐに言葉が出てこなかった。ただ、首を横に振る。

 許すも何も、ハートの女王は何も悪くないのだ。


「女王陛下は優しい人だもの。きっと、こんな戦いは望んでいないはず」


 アリスはハートのジャックに向き直る。


「私が、この戦いを終わらせます。だから貴方も、女王陛下の側で待っていて下さい」


 ハートのジャックは、アリスを見つめながら柔らかく微笑んだ。


「ーー……ありがとう、ございます」


 門の扉が閉まる。

 ハートのジャックは最後に、アリスに対し深々と頭を下げた。


 * * *


 アリスは白ウサギの穴へと向かう。その後ろ姿を、城の木の枝に座りながらじっと見つめる影があった。


「……あーあ。アリス帰しちゃうんだ?

 ーーダメだなぁ、女王陛下。優しさは毒だって、前に教えてあげたでしょ?」


 影はそう言いながら、にぃっと三日月形に口を動かした。




 翌朝。

 アリスは目覚めると、部屋を出て広間のような空間へ向かう。ここは白ウサギの穴の中。窓は存在せず、壁は土をコンクリートで固めてあるだけだ。

 部屋や廊下の明かりは、蝋燭ろうそくや電灯で成されている。

 昨日は着いてすぐに疲れて寝てしまったので、白ウサギ達と話すことが出来なかったのだ。

 広間に出ると、既に三月ウサギ達が集まっていた。


「あ、おはようアリス」

「おはよう」


 三月ウサギは笑顔でアリスを迎える。テーブルを見ると、作りたての料理がずらりと並んでいた。これらは全て白ウサギが作ったものだという。

 アリスのお腹が鳴った。そういえば、昨日は色々あって何も食べていないのだ。


「それ、アリスの分だよ」


 三月ウサギがアリスに耳打みみうちする。

 アリスは白ウサギを見た。相変わらず、白ウサギは無言のままだ。


「さ、アリス。食べて食べて♪白ウサギの料理は美味しいんだから」

「う、うん」


 アリスは椅子に座った。

 美味しそうな香りがアリスの鼻をくすぐる。


「いただきます」


 アリスは戸惑い気味にカチカチのフランスパンを野菜のたっぷり入ったスープにけて食べてみた。

 すると、


「……美味しいーー」


 アリスの言葉に、三月ウサギは更に笑顔になった。


「でしょー♪」


 空腹であったアリスは、目の前にあった食べ物を次々に胃袋の中におさめてゆき、それが満たされた頃、スプーンをテーブルに置いた。


「ごちそうさま」


 アリスのそんな様子をじっと見ていた白ウサギは、それを見てスッと立ち上がった。


「……行くぞ」

「え、……どこに?」


 アリスの発言に白ウサギは半眼はんがんになる。


「……『鍵』、探すんだろ?」

「あ……」


『殺されたくなければ鍵を探せ』

 アリスは最初の白ウサギの言葉を思い出した。そういえば、この国に来てからまともに白ウサギと会話した記憶がその時くらいしかないのだ。

 アリスは慌てて席を立つと、白ウサギを上目遣いに見上げた。


「あの、白ウサギ。その事なんだけど…」

「………………?」

「私、『鍵』と話がしたいの。三月ウサギから、白ウサギなら『鍵』と話が出来るって聞いたから」


 白ウサギは三月ウサギをちらりと見た。三月ウサギは笑顔で頷く。

 それを見て小さく嘆息たんそくすると、白ウサギは自分の服から何かを取り出した。

 それは、水晶玉のようにも見える。


「……これは?」

「これで『鍵』と会話が出来る。ただし、いつもは『鍵』が一方的にかけてくるだけだから、こちらからかけてもあいつが応じる保証はない」


 アリスはその水晶玉を受け取った。

 手のひらにすっぽりと納まるそれは、一見どう使うのか理解出来なかった。


「ただ、会話したい相手の名前を呼べば良い。それで繋がる」


 白ウサギの話によると、この水晶玉を持つのは「白ウサギ」「ハートの女王」「鍵」の3人だけだという。つまり、鍵と直接会話が出来るのは、不思議の国に2人だけだということだ。

 アリスは水晶玉を自分の顔に近付けると、瞳をゆっくりと閉じる。


「ーー『鍵』、応えて……」


 再び水晶玉を見ると、中の空気がぐるぐると動いていた。

 しばらくして。



「『ーーやあ……アリス』」

「!!」


 水晶玉の中は、相変わらずぐるぐると動いている。

 ……顔を見れる訳ではないのか。

 アリスはごくりとつばを飲み込んだ。


「……貴方が『鍵』……?」

「『うん。その通りだよ、アリス』」

「……どうして、私がアリスだって知っているの?」

「『ーーおかしな子。君は僕が連れてきたのに』」


 アリスをふと、その言葉に疑問を持った。

『鍵』がアリスを連れてきた……?

 だが、その疑問を投げかけるより先に、鍵が本題を切り出した。


「『それで?何か僕に話があるんでしょ?』」


 鍵のその言葉に、アリスは一つ頷く。


「……前に、白ウサギが私に言ったの。この国に来た"アリス"は全員死ぬって。でも、それっておかしいわ」

「『…………………』」

「"アリス"は白ウサギの穴か、ハートの女王の城に落ちてくる。つまり、アリスに不思議の国の住人じゃない。ならどうして、不思議の国はアリスを殺すための国になったのか、私はそれが知りたい」


 考えてみれば、この状況は初めから変な事ばかり。この国の住人がアリスに対して殺意を持っていないのはおかしい。

 まるで皆、本当はこんな事したくないみたいに。

 そう……まるでーー。

 誰かにやらされているような……。


「『……へぇ。賢いね、今度のアリスは』」


 はっとして、アリスは現実に引き戻された。

『鍵』の言葉の真意しんいを読み取ろうと、水晶玉に神経を集中させる。


「『君の言った通り、この国は元はアリスのいない国だった』」


 ーー不思議の国。

 それは唐突に、気が付いたらそこにあった。『鍵』が一番最初の住人だった。月日が経つにつれ、他の住人も次々と生まれていった。

 最初は平和だった。皆が不思議の国を良くしようと、幸せになろうと努力していたから。だがそれは、ある日突然に奪われる。

 この国に、一人の少女がやって来たのだ。

 その名はアリス。



『 不思議の国のアリス 』

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