第5話

 白ウサギの穴まであと少しという所で、三月ウサギの足が止まる。草むらの方角を凝視ぎょうしした。

 ーー来る。

 直感でそう感じた。

 三月ウサギはアリスの手を掴むと、ぐいっと強引に自分のほうに引っ張って走り出す。

 すると、アリス達が通過した所に、次々とやりが突き刺さっていく。それらをかわしながら、敵の居場所を確認する。

 既に近くの茂みに隠れていたのだろう。敵の数は相当なものだった。

 二十……いや、三十か。

 それら全てがハートの女王の城のカード兵達だ。この国で槍を扱える者など、彼らしか存在しない。

 だが、敵の数がこちらの数に対して随分多い。銃で応戦するにしても部が悪すぎる。

 三月ウサギが考えを巡らせる。カード兵が2人の間に向けて槍を投げた。

 思わず、アリスの手を離してしまう。


「しまっ……!」


 そのすきを見逃さず、ハートのジャックは一瞬で距離を詰めると、アリスの心臓目掛けて剣を突き出した。



「っ、危ない!アリスっ!!」

「ーーーーーーっ!!」


 アリスは目を見開く。

 三月ウサギがギリギリでアリスをかばい、ハートのジャックの剣をその身に受けた。

 腹部に深々と剣が突き刺さっている。三月ウサギはごほっと血反吐ちへどを吐いた。ハートのジャックが彼の体から剣を引き抜くと、三月ウサギはその場に倒れ込む。腹部からは血がどろどろと流れ出し、彼はそのまま動かなくなった。

 アリスは膝をついて三月ウサギに手を伸ばす。


「さ、三月ウサギ……」


 声が震える。

 視界の片隅かたすみで、ハートのジャックが剣を構えるのが見えた。

 アリスは反射的に目を閉じる。



 ーーーーしかし。


「ーー下がれ、アリス」


 はっとして顔を上がると、ハートのジャックの剣を剣で受けている白ウサギの姿が映った。瞬時にハートのジャックが後ろに下がって距離を取る。

 白ウサギは無表情でアリスを見る。次にその瞳が下に動いた。

 三月ウサギの顔色がどんどん悪くなっている。白ウサギは彼の頬に触れると、剣を掴む手に力を込めた。


「三月ウサギに手を出すなんて、良い度胸だな」


 白ウサギのまとう空気に、カード兵達が狼狽うろたえる。

 彼にとって三月ウサギは家族のような存在。それを傷付ければどうなるのか。

 白ウサギの周りに砂塵さじんが舞う。

 それを見たカード兵の一人が恐怖のあまりその場から逃げ出そうとすると、その体が内側から弾けて灰になった。


「ひっ……!!」


 白ウサギはその灰を見ながら、語気ごきを低くした。


「ーー逃げられると思うなよ」


 その言葉を合図に、その場にいたカード兵達が次々とはじけて灰になっていく。辺りを恐怖と混乱が包み込んだ。


「た、助けてくれっ!」


 カード兵が悲鳴を上げながら叫ぶ。だが次の瞬間には、そのカード兵も灰になっていた。

 白ウサギはこの不思議の国の中で『鍵』を除けば一番強い。それを怒らせたらどうなるか……そんなの分かりきっていたのに。


「や、めて……」


 白ウサギが下を向くと、三月ウサギが真っ青な顔のまま、彼のほうを懸命に見やる。


「僕は、生きて……る、から。だから……これ以上、皆を殺さないで……っ」


 白ウサギは三月ウサギを睨むが、彼は無理やりの笑みを作った。暫くして、白ウサギは攻撃を止める。

 辺りを静寂が包み込んだ。

 ……仲間が殺された中、ハートのジャックは白ウサギを静かに見下ろす。

 白ウサギも彼を見つめ返した。


「……どうして、私は殺さないのですか?」


 彼のその言葉に、白ウサギは瞳を閉じる。


「……お前は嫌いじゃない。だから、まだ殺さない」


 ハートのジャックは無言で目を細める。彼はそのままアリスを見た。


「本日は申し訳ありませんでした。良ければこの薬を彼に」

「え、あ、ありがとう……ございます」


 受け取って中を確認すると、ごく普通の血止め薬のようだった。アリスはそこから薬をすくい取って三月ウサギの腹部に塗ってやる。

 それが終わって前を見ると、もうそこにハートのジャックの姿は無かった。

 白ウサギは膝を折ってアリスと目線を合わせる。


「とりあえず、三月ウサギを穴まで連れていく。ついて来い」

「う、うん」


 アリスは立ち上がった。すると、三月ウサギと目線がかち合う。


「三月ウサギ、ごめんなさい。……ありがとう、庇ってくれて」


 心の底から心配そうな声でお礼を言うアリスの姿に、三月ウサギは苦笑いした。


「あはは、大丈夫だよ。まったく……、ジャックは相変わらず優しいんだから」


 そう言って傷口に触れた。


「ギリギリで致命傷になる部分を避けてくれたし」


 嬉しそうに笑う三月ウサギに、アリスはほっと息をついた。

 本当に大丈夫そうで良かった。

 アリスは先程の青年の事を思い出す。敵であるはずなのに助けてくれたあの青年は、悪い人には見えなかった。

 彼のように、この国の中にも戦いを望んでいない人は大勢いるはず。

 自分のせいで誰かが犠牲になるのは、もう見たくない。

 だけど、自分が死んで済む問題ではない気がするのだ。自分が死ねば、また新しいアリスと名のつく人々がこの国に引き込まれ、殺される。その繰り返しだ。

 ならばもっと奥のほう……この複雑に絡み合った迷路から、住人全員が抜け出せる方法を導き出さなくては。

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