第4話

 一方チャシャ猫は、城の前で一人の青年と相対あいたいしていた。

 青年の服装はきちんとした白のスーツ姿。髪は短髪。腰には帯刀たいとう。そして何より端整たんせいな顔立ちの青年だった。彼は、その静かな瞳でチャシャ猫を見下ろす。

 先に口を開いたのはチャシャ猫だった。


「あれ?ジャック。わざわざ出迎えなんてご苦労様だね」

「早く城の中へ。……女王陛下が大層たいそうお怒りです」

「うわ。あの人怒ると怖いからな~」


 そのわりにはたのしげな口調のチャシャ猫を振り返りもせず、ハートのジャックは廊下を歩いていく。それを後ろから眺めながら、チャシャ猫はぎらりと眼光がんこうを放った。




 女王との応接室に入っても、チャシャ猫は態度を改めようとはせず、その場に立つ。

 ハートのジャックは女王の斜め後ろに下がった。万が一の場合でもすぐに女王を護れるように、部屋全体が見渡せるこの位置に待機しているのだ。


「随分遅かったじゃない、チャシャ猫」

「俺もとっとと殺してくるつもりだったんだけど……面白い子見つけちゃってさっ」


 悪びれもなく話すチャシャ猫を睨み付け、女王は椅子に腰掛けて足を組んだ。

 女王は巻き髪を両端で2つ結びにした可憐な少女で、声も可愛らしく、背丈はさほど高くない。


「しかも、殺さなかったらしいじゃないのよ。私を裏切って、白ウサギの仲間にでもなるつもり?」

「まさか!白ウサギの仲間なんて冗談じゃない。……でも、俺は女王様の仲間にもならないよ」

「……何ですって?」


 女王はいぶかしげに眉を寄せる。

 ハートのジャックが腰に下げてある剣のつかに手をかけた。しかしチャシャ猫は気にした様子もなく話を続ける。


「俺が女王様と一緒に居たのは、面白い人だと思ってたから。その残虐ざんぎゃくな思考も俺と似てて好きだったからね。でも、今の女王様は好きじゃない」


 するとチャシャ猫は、何処から取り出したのか、林檎りんごを手の指に乗せ、くるくると回して弄ぶ。


「今の女王様はただ『鍵』に好かれたいだけの可愛い姫君。そんなものに興味はないよ」

「ーーーーなっ、」


 女王はかぁっと頬を赤らめて立ち上がった。

 チャシャ猫はくるりと回れ右をしてこの場から去ろうとする。


「ふざけないで!」


 女王の怒号どごうが飛んだ。


「これは命令よ、チャシャ猫!アリスを殺しなさい!」


 次の瞬間。


「…………あれー?俺言わなかったかなぁ?女王様……」


 ーー女王ははっと息を飲む。

 チャシャ猫は手に持っていた林檎を高くかかげると、女王を感情のない瞳で振り返った。


「俺、命令されるの、大っ嫌いだって」


 その言葉と共に、高く掲げた林檎を片手で握り潰す。……ぼろぼろと林檎の欠片かけらこぼれ落ちた。だが、チャシャ猫が次に見せたのは、いつも通りの不気味な笑みでーー。


「そんじゃ、バイバイ♪俺らの愛しの女王様っ♪」


 女王はその背を見ながら、拳を握り締める。女王はその抑えきれない怒りを抱えたまま、隣にひかえているハートのジャックを睨む。


「ジャック!チャシャ猫もろとも、アリスを殺して来なさい!城全部のカード兵を連れていっても構わないわっ!」

「ですが、それでは陛下が……」


 言葉をさえぎり、女王は椅子の横に置いてあった杖でハートのジャックの溝内みぞうちを思いっ切り突いた。

 ハートのジャックは顔をゆがめる。


「良いからさっさと行って!」


 女王の言葉に、ハートのジャックは右手を胸に当てて一礼した。


「……承知しました」



 * * *


 白ウサギの穴へと向かっている2人は、半分ほど歩いたところで一度休憩することにした。

 距離的にはさほど遠いわけではないのだが、アリスの体力が限界に達したのだ。

 アリスが草むらの上に横になる。三月ウサギはその隣に腰を落とした。

 ふわりと柔らかい風が2人を包み込む。


「チャシャ猫に何か聞いた?……この『不思議の国』のこと……」

「………………」


 アリスは体を起こすと、三月ウサギを横目で見る。彼が心配そうな顔をしているのを見て、アリスはゆっくりと口を開いた。

 そして、チャシャ猫から聞いた事を話し始める。全て話し終ると、三月ウサギは目を伏せた。


「……そっか」

「うん。でも、どうして私は殺されるの?……私、その理由が分からなくて」

「それは……」


 三月ウサギは一瞬言葉を躊躇ためらう。アリスは彼の表情が暗くなるのが分かった。


「ごめんね。それは『鍵』が決めた事だから、僕らにも分からない。ただ『鍵』の言うことはこの国では絶対だから。だから、皆がアリスを殺したがってる訳ではないんだよ」

「……じゃあ、なぜ不思議の国の住人同士で戦うの?皆が協力し合えば良いじゃない」


 先程の三月ウサギとチャシャ猫の戦いだってそうだ。殺すべき対象がアリスなら、なぜ戦うのか。


「それ、きみが言うの?」


 三月ウサギは苦笑いした。誰かが守らなければ殺されるというのに、協力しろとは。


「道理で……チャシャ猫が気に入るわけだ」

「………………?」


 三月ウサギは笑いを収めて遠くを見た。


「君が言ってる事はもっともだけど、でも、無理なんだ」

「どうして……?」

「この国の住人は『白ウサギ』と『ハートの女王』を軸に大きないがみ合いがある。互いが互いを嫌いなんだ。だから、決して混じり合う事はなんてないし、協力なんてもってのほかだよ」


 三月ウサギは立ち上がる。


「でもね、この不思議の国に最初のアリスが現れてからずっと、アリスの味方をしていたのはハートの女王なんだよ」

「えっ?」

「だから君は、白ウサギが初めて選んだアリスなんだーー」


 戸惑い気味のアリスに、三月ウサギはこう説明した。

 本来この不思議の国にアリスが来る時は、白ウサギの「穴」かハートの女王の「城」のどちらかに落ちてくる。落ちる場所は2人によって決定され、大抵その落ちた場所でアリスの敵味方が決まる。だが、白ウサギはアリスが穴に落ちてくるのを断固として拒否し続けた。そんなある日、白ウサギがハートの女王に断言したのだ。


『ーー今度のアリスは、俺が貰う』と。


「だからね、僕は君に賭けてみる事にしたんだ。白ウサギが選んだアリスだもん。きっと、大丈夫ーー」


 三月ウサギはアリスに手を伸ばす。


「行こ、アリス。白ウサギなら『鍵』と話せるから、君が殺される理由が知りたいなら、まず白ウサギに会わないと」


 ……三月ウサギの真っ直ぐな視線を受け、アリスはそっと、彼の手を取ったーー。

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