第18話 蹂躙あるいはハメ殺し
ゆったりと歩いて気絶する水無瀬のもとへ向かう。同時にある魔法の準備をする。水無瀬のもとにたどり着くと、刀を突きつけながら水無瀬の腹を思い切り踏みつけた。
「カハッ」
痛みと空気が抜けるような感覚に水無瀬が目を覚ます。即座に起き上がろうとするが、目の前にある刀の切っ先に動きを止めた。
「おはよう。審判が寝ぼけてるからな。起きてもらった」
「…だとしても。私は命令を遂行するだけ、だっ」
竜司の言葉に大体のことを悟ったのだろう。水無瀬は一瞬だけ目をそらすと、そう言って腰に差していた大剣を抜き放った。
「っと」
ふわりと重さを感じさせない動作で後ろにとんで大剣の一撃を躱す。それを逃がすまいと、一瞬で立ち上がり両足に力をため跳躍の姿勢をとる。それを見て取った竜司は、水無瀬が地面をける寸前に準備していた魔法を発動させた。
「泥沼」
「なっ!だが、この程度‼」
ズブリ。水無瀬の両足が一気に地面に沈む。土魔法による地面の分解と水の発生により地面が一時的に底なし沼と化したのだ。だが、この程度で拘束できるなら水無瀬は期待のエースなどと呼ばれていない。その気になれば数秒で抜け出すことができる。それは竜司もわかっている。だから、そこで魔法を止めることなく、追撃の魔法を放つ。
「物理魔法発動。対象泥沼。分子運動の停止。…ぐうぅ」
着地と同時に詠唱。本来は必要ないが、イメージを確実にするために今回は詠唱を行った。発動と同時に泥沼が水無瀬の足ごと凍りついた。
対象範囲において分子の運動を完全に停止させるということは、その範囲において絶対零度となる。すべての物質は一瞬で凍り付く。絶対零度はマイナス273度。人間の足などひとたまりもない。
「…っ。解除!」
魔法の解除とともに、凍り付いた沼は解け、魔力によって発生していた水が消え、乾いた砂だけが残った。砂だけが残ったのは元が闘技場の舞台でもともと存在していた物質だからだ。
(今の一瞬で8割か…。強力だが重いな)
これだけの変化をもたらす魔法である以上、ほんの数瞬であっても消費する魔力も半端ではなかった。
ガシャンという音が響く。バランスを崩し、倒れるときの力で砂に埋まった水無瀬の足が太ももの半ばから、砕けたのだ。対象が泥沼だけであったために、その足は解凍されず破壊されてしまったのだ。
「ぐ、ぎ。ま、だああああ‼」
待機している治癒士が欠損の再生ができる者であると知っているのかはわからないが、彼女は止まらなかった。片腕の力のみで竜司に向かって飛び掛かる。その速度は片腕の跳躍とは思えないくらいに速い。
迫る大剣。猶予はない。竜司は残る魔力のほとんどを使って、水無瀬を止めるための魔法を発動した
「っ!気圧10‼時間指定1分‼」
「ガッ。ぐうう‼」
轟。竜司が腕を振り下ろすと、圧縮された大気が上から下へ水無瀬をたたきつける。それでも完全に拘束することはできず、身体を押しつぶそうとする圧力に、水無瀬は抗い起き上がろうと必死でもがいている。
竜司は10倍の気圧に押し付けられてなお、まだ動くことができる水無瀬に冷や汗をかく。なにもしなければ効果が切れたとたんに斬られて終わりだろう。効果時間は最初に指定した通り1分迷ってる暇はない。小さく詠唱する。
「風、気体成分調整。内容、純酸素」
詠唱。そして魔法が解き放たれた。風が吹き水無瀬を包み込む。そしてその数十秒後、変化は唐突に訪れた。
「ギ、が、げええええええ」
全身が痙攣し、血の混じった激しい嘔吐を繰り返す。痛みもあるのか胸をかきむしりもがく。高圧の魔法が解ける直前に気絶した。高圧時の純酸素は猛毒である。これは急性酸素中毒の症状であった。
「これでもダメかい?審判」
「し、しかし…」
『小物が…。いや、ある意味で大物か』
ぼろ雑巾のようにされている水無瀬に、ほぼ無傷の竜司。誰が見ても勝敗は明らかである。それでも、なお勝敗を宣言しようとしない審判に狐月が怒りをにじませる。その様子に固まっていた観客も疑問を抱き始めた。
「そんなにあいつらが怖い?」
「わ、私は、ぐぐ軍が必ず勝つからってしぶ、しぶちょうが」
「そんなこと聞いてないんだけどねえ」
話にならない。この様子だと周りの誰かが止めなければ、結界が解かれるようなことにはなりそうにない。しかも、この場のトップがあれだ。下手したら一日以上この場にとどまることになるだろう。
(ちぎった足も解けちまったら戻んなくなるしな…。多少強引でもちょいと脅しをかけるべきか)
「いけるか狐月」
『生命力を多少使うことになるが…。それでも良いなら』
「…やろう」
深呼吸を一つ。あえて審判に向かい合う位置で結界に手をつく。この術の発動には、まだ狐月のサポートとそれなりの時間が必要だ。
「行くぞ…」
『うむ』
「『変質・劣化』………発動」
詠唱から約十秒。身体から何かが抜けるような感覚とともに魔法が発動した。
竜司の手が触れた場所からビシリ、ビシリと音を立てて結界にヒビが入り始めた。この魔法は、手に触れたモノを劣化させ脆くする。そしてついに、パキンと結界に穴が開いた。穴の大きさは、手の一個分程度。だが、竜司にとってはこれで十分だった。結界と外がつながりさえすればいいのだ。
「おい、クソ審判」
「ひ、な、なんだ⁉」
審判の男に話しかけながら腕を伸ばし掌を掲げる。この場にいるすべての人間に見えるように。
「あんたは支部長サンが怖いんだよなぁ?」
「そ、それは―――」
何かを言い切る前に掌を握りこむ。途端、後ろで悲鳴が上がった。見なくてもわかる。支部長の一宮が倒れたのだ。水無瀬にやったようにして酸欠を起こしたのだ。
「ほれ、お前の怖がってた。支部長サンは消えたぞ?これで安心して審判業務にはげめるな。……というか早くしねえと、お前もやんぞ」
最初はゆっくりと言い聞かせるように。最後は低く脅すように。
「ひ、ヒィいいいい、い、いやだ!殺さないで、じにたくない」
「おい、俺が聞きたいのはそれじゃない。そんなこともわからないのか?ああ、逃げても無駄だぞ?その前にやれるからな」
泣きわめく男にゆっくりと手を向けながら言う。本格的な死の恐怖にガタガタと震え始めた。
「わわがりまず。わがりまずがら、ごろざないで。しょうじゃ、まし、ましまりゅうじいいいいいあああアアアア」
男は涙と鼻水で顔をぐちゃぐちゃにしながら、勝利宣言を行うと即座に会場から逃げていった。
宣言がなされるとヴォンという音とともに結界が消え、同時に駆け込んできた治癒士が水無瀬の治療を始めている。
(…気分最悪)
貴賓席や舞台の様子を見てため息を一つ。憂鬱な気分で混沌とした異様な空気の舞台から去っていった。
闘技場控室、室内にある椅子にドサリと座り込む。
(疲れた…)
魔力も枯渇し頭がガンガンする。今にも眠ってしまいそうだ。そんな竜司のもとにやってきたものがいた。
「竜司君…」
「レーヴェ」
「ケガはないかしら」
ゆっくりと竜司のそばにやってきて、その隣にに静かに座った。しおれたように耳が下がっているのは心配か、それとも別の感情か。
「ああ」
「本当に?体調も問題ない?魔力を限界以上に使っていたでしょう。エルフだものそれくらいは分かるのよ」
あれだけのことをしたにもかかわらず、レーヴェはいつもと変わらぬ様子で竜司とやり取りをする。
「なあ、レーヴェ」
「なにかしら」
名前を呼ばれたレーヴェが竜司のほうを向く。その瞳は不安げに揺れていた。
「レーヴェは怖くないのか?」
その質問にほんの少しの間、目をそらし考え込むような表情になる。やがて、考えがまとまったのか、まっすぐ竜司の目を見た。
「あれだけのことしたのだもの。正直に言えば……少し怖いわ」
「なら―――」
「でも!ずっと一人だった私を助けてくれたのもあなただもの。だから私は、あなたを信じることにしたわ」
「そう、か……。あり、がとう」
あの場で竜司がやったのは、その気になれば何時でも簡単に人を殺せるということだ。多くの人に忌避されるその覚悟をもってやったつもりではあった。それでも、心のどこかに重いものはあったのだろう。レーヴェの言葉は竜司とってとてもうれしいものだった。
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