第17話 模擬戦 

 当日朝、竜司は不思議と落ち着いていた。


「お兄ちゃん…」


 朝食を食べていると、鈴音が不安そうに呼びかけてきた。


「安心しろ。今日は行く」

「ホントに?」

「ああ、なんせ今日は模擬戦なんだからな」


 そこまで言うと、ようやく鈴音は安心したような表情を見せた。初日以降は靴を部屋に持って行って、自分の部屋から霊界に行っていたので、鈴音から見ればただの引きこもりに見えただろう。


「うし、行くか」

「ねえ、お兄ちゃん」

「うん?」

「ケガだけはしないでね」


 竜司は、おう。と笑顔でうなずいた。

 学校につくと、多くの生徒が竜司を見てヒソヒソと話をしている。おそらく今日の模擬戦と、今まで一切学校に来なかったことについて言っているのだろう。


「竜司君⁉」


 教室に入ると、ガタリとレーヴェが立ち上がって、竜司のもとに駆け寄ってきた。


「大丈夫なの?体調は?熱はない?」


 身体のあちこちをぺたぺた触りながら、そんなことを聞いてくる。一週間学校に来ていなかったことでかなり心配をかけていたのだろう。


「問題ないから落ち着け、レーヴェ」

「そ、そう?ほんとに大丈夫なのね?」

「ああ、問題ない」


 それでもまだ心配そうなレーヴェに、ちょっと申し訳ないなと思いながらも自分の席に向かう。


『ほう、あれが…。クックック』

(うるせえ、黙ってろ)


 口には出さず、頭の中だけで会話する。狐月によると魔装と契約者は頭の中で会話できるといっていたので、人がいるところでは基本的に頭の中で会話することにしたのだ。


「真島はいるか?」


 吉岡が教室に来てそう言った。おそらく模擬戦についてと、ここ一週間の休みについての話があるのだろう。


「はい」

「おお。模擬戦について話がある。ついてくるんだ」


 竜司がいることを確認すると、吉岡は安心したような様子を見せた。レーヴェがこちらを心配そうに見ていたので、大丈夫だとだけ伝えおとなしく吉岡の後について教室を出る。


「なあ、なんで学校に来なかったんだ?そのせいでお前は戦いの基礎すら学べてないんだぞ?」


 移動している途中、吉岡が話しかけてきた。その顔はとても心配そうな表情をしていた。


「準備をしていたので?」

「模擬戦のか?だったらなおさら来なかったんだよ!それでお前がけがをしたらどうする?せめて基礎ぐらいは学んでからやってほしかった…」

「はあ」


 なぜそこまで心配そうにしているか、いまいち竜司にはわからなかった。竜司にとっては、吉岡を含めてあの場にいた三人は、契約の切り替えを進めようとする敵のような認識だったから。


「はあ、じゃねえぞ!相手は国防軍の期待のエースてやつだ。名前は水無瀬 みなせ かなで武器は双大剣だ。お前が来てくれりゃあ、ある程度対策も教えれたってのに、ほんとになんで来ねえんだよ…家に行ってもいないしよ」

「そう、ですか」

「そうだよ。まあ、終わったことは仕方ない。もし負けても契約変えたくないってんなら俺に言え。土下座でも何でもして止めてやるよ」


 意外だった。まさか吉岡がそこまで考えていたとは思わなかった。


「どうした?」


 そんな思いが顔に出ていたのだろう。吉岡が不思議そうに聞いてきた。


「意外だったので」


 その一言で、大体の考えを悟ったのだろう。苦笑いを浮かべながら吉岡が答えた。


「俺は教師だぞ?生徒の道を応援すんのが仕事だ。そこにしっかりとした想いってのがあるならなおさらな。お前ら学生は難しいことなんてになんも考えず挑戦してりゃあいんだよ。なんにせよケガだけはすんなよ」


 そこでようやく気付いた。吉岡という男はどこまで行っても教師なのだと。ただひたすら竜司を心配するその姿に、竜司はかつての自分の仕事を思い出した。ああ、自分もこんなこと考えてやってた時があったなと。


「ありがとうございます。先生が土下座しないように頑張りますね」

「ははははは!おう、頼んだぞ。んじゃあ30分後に始まるからそれまでここにいてくれ」


 いつの間にか目的の場所についていたようである。扉には闘技場控室と書かれている。


『いいやつじゃの』

『賞賛』

(ああ、余計にまけらんねえな)


 廊下を戻っていく吉岡の後ろ姿を見送りながら、己の勝利をより深く心に決めた。


 ―――約20分後―――


「真島さん。もうすぐ模擬戦が始まりますので闘技場に入ってください」


 係りの者からの言葉を受けゆっくりと立ち上がる。そこに緊張はなく、静かな闘志が感じられた。


 ―――ワアアアアアアァァ‼―――


 入場とともに大きな歓声が聞こえる。しかし、竜司を見ている者は少なく、皆一様に相手の方を見ていた。

 闘技場の反対側には、軍服を着て茶色の髪を後ろに三つ編みにしている釣り目の女が立っていた。あれが今回の対戦相手、『水無瀬 奏』だろう。


「両者、闘技場に上ってください」


 審判の指示に合わせて場内に上る。闘技場は50メートル四方の正方形だった。二人が上るとヴォンという音ともに、四方を壁のようなものが覆う。


「うお!なんじゃこりゃ⁉」

「そんなことも知らないのかお前は」


 竜司が驚いていると水無瀬が馬鹿にするようにに言ってきた。


「これは、場内での戦いの余波がいかないようにする結界だ。これがある間は中から外へは出れない。だから逃げるなんて真似はできないと思っておけ」

「おー、なるほど。あ、説明ありがとうございます」

「チッ」


 結界を見ながら竜司がお礼を言うと、なぜか水無瀬は舌打ちをした。竜司としては素直にお礼を言ったつもりだったので、なぜ舌打ちをされたのかよくわからなかった。


『さあ、ついにこの時がやってまいりましたやってまいりました!今回対戦するのは己の魔装をかけて戦う真島竜司と、己の道を行くなら力で示せと言わんばかりに立ちふさがる、若くして大尉にまで上り詰めた日本国軍期待のエース水無瀬奏だあ!」

「あほくさ」


 実況の言葉を聞いて水無瀬がぼそりとつぶやいた。


「なんでですか?」

「ふん、魔法型との対戦などやるだけ無駄だというだけだ」


 水無瀬は自分が負けることなどありえないと思っているのだろう。竜司との模擬戦はただの時間の無駄だと考えているようだ。見くだしたような視線が物語っている。


(うへえ。顔はいいのに、性格はきついなあ)

『まあ、エースと呼ばれているくらいじゃ。それなりの自信はあるのじゃろう』

「双方、構え!」


 審判が合図を出したので竜司は刀を抜き、半身に構える。雪花は抜かない。一方、水無瀬は剣を抜いてすらいなかった。


「み、水無瀬さん?抜剣は?」


 審判が戸惑いながら呼びかける。


「必要ない。国軍がどれくらいの実力か見せておけと言われているのでな。最初の数分は何もせずにいてやるだけだ」


 おおおお。と会場にどよめきが走る。その絶対の自信にみな感心しているようだ。対する竜司は、一瞬何を言われているのか理解できなかった。そして言葉の意味を理解した時、その胸中にあふれたのはあきれの感情だった。


(油断しすぎだろ…)

『そういうな、魔法型がそれだけ弱いと思われておるのじゃろう。腹は立つがチャンスでもある』

『同意。蹂躙。提案』


 狐月たちは自分の力を見下され怒りを感じているようだ。雪花などはかなり物騒な提案をしている。


(加減できないので今のところ蹂躙する予定はありません)

『無念』


 雪花の提案を却下しているうちに水無瀬に対する最終確認が終わったようだ。


「本当にいいんですか?」

「かまわん」


 どうやら、水無瀬の意志は固く本当に最初は何もしないつもりのようだ。貴賓席を見れば、一宮と水沢がいやらしい笑顔を浮かべてこちらを見ていた。テレビカメラもあることを考えると、彼らはずいぶんと性格が悪いようだ。

 審判が所定の位置に立ち、試合開始の宣言をする。


「で、ではいきます。模擬戦闘、はじめ‼」


 開始の合図があっても、宣言通り水無瀬は一切動かなかった。


「どうした、来ないのか?」

「いきますよ。ちゃんとね。はあ」


 この一週間の否定されたような気がして竜司はため息をつく。だからと言って何もしないわけにもいかないので、用意していたものを使えるか水無瀬を観察した。


(身体強化は…使ってんな。なら、よし)

「んじゃ、いきますね」

「フン」

「ほい」


 竜司が腕を払うと微かに風が吹いた。ただ、それだけだった。だというのに、


「このて――」


 この程度か。その言葉を言いきれぬうちに水無瀬は仰向けに倒れた。彼女は気絶していた。会場が静まり返る。何が起きたのか誰も理解できなかった。

 竜司のやったことは簡単である。水無瀬の周りの空気だけ、すべて窒素に変えたのだ。

 身体強化をすれば、おのずと心肺機能も強化される。したがって、常人よりも血液の循環速度が速く、エネルギー効率を上げるため呼吸効率が上がっている。通常状態ですら数回息をするだけで意識を失うのだから、強化状態で酸素のない空間に放り出されれば、一息で重度の酸欠に陥ってしまうのだ。


「審判」


 固まっている審判に竜司が呼びかける。審判は、はっと我を取り戻したが、ちらちらと別の場所を見て一向に勝敗宣言をしようとしない。その視線の先を確認すれば、会場の人たちと同じように固まっている一宮と水沢の二人がいた。


(はあ、そこまでするかよ…。ようは、誰が見ても負けって言うようにしないとダメなわけね。放送もされてんだろうし、憂鬱だな)

「なあ狐月、待機している治癒士は欠損の回復はできるか?」


 ぼそり、竜司が狐月に聞いた。

 

『ふむ…………何とか可能、じゃの。しからば、この娘には悪いが犠牲になってもらおう』

『蹂躙。歓喜』


 何が起きたか分からないのではなく、目に見える敗北を。静まり返った会場で、雪花だけが歓喜していた。

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