26  許嫁の幽霊

 利用者は好きなところに停めていいのだろう。広い駐車場には、あちらこちらと不規則に車が置かれている。青少年センターの駐車場だ。ざっと隼人はやとが見渡した。


「大丈夫、人は来ない。こんな時間なら研修所は出入り禁止になっているはずだ」

そうさんが請け合う。時刻は夜十一時を回っている。


 うん……と気のなさそうな隼人の返事、例によって僕にしがみ付いている。空を見て『晴れてるね』と言い、それから北の山に視線を移した。


 隼人にならって北の山を見る。こんもりとした、山というより丘に近い低い山、このあたりの山はみんなそんな感じだ。なんの変哲もない。


「もし人間が来るようなことがあったら、その時はまた考えよう。失神させて、夢を見たとでも思わせる――バンちゃん、その時は頼んだよ」

僕は隼人に頷いた。至近距離で目をのぞき込めば、僕は催眠術を掛けられる。人間ならば思い通りに操れる。


「ここにするしかない。ここでないとダメ」

ポツリと隼人が言い、さくみちるうなずいた。神である三人には判る何かがあるのだろう。奏さんは『そうか』と言っただけだった。


 僕たちは車を降りて、駐車場の一番奥に集まって立っていた。駐車場に設置された照明から離れた場所だ。薄闇に、物も言わずにひっそりたたずむ微動だにしない五人の人影、誰か人間が気付いたならばさぞかし驚くことだろう。集団幽霊と思うか? それとも警察に通報するか? 通報する人ははかなり冷静だと僕は思う。


 今日も夜鳴く鳥たちの声は聞こえない。これから起こる何かを感じて、固唾かたずを飲んで見守っているのだろう。風はそよとも吹かずにいる。恐ろしいほど静かな夜だ。


 僕の腕をつかむ隼人の手に力が入ると同時に僕を含む全員が顔を上げ、ある一点を注視した。微かに地面が揺れる。耳鳴りのような地響きも聞こえる――来る。気配がどんどん強くなる。


 今はまだ、何も見えない。けれど、そこには確実に濃密な空気が存在する。


 街灯の光が届かない薄暗闇が、やがてぼんやりと白っぽく変わっていく。もやか、かすみか? それとも霧か? いいや、霧雨だ。高さ二メートルで一メートル四方。そこにだけ降る霧雨だ。


「今夜は、トプトプちゃんはお休み……ううん、必要がなかった。ここに置いていくつもり、連れて帰る気はないようだね」

隼人の声がした。


 霧雨の中にだんだんと姿が見え始めているのが娘なら、人身御供ひとみごくうにされた娘なら、隼人のご供物くもつは受け入れられたという事だ。龍神はかなり気前がいいってことか。


 現れたのは白装束の小柄な女性、年のころは十五くらいか。長い黒髪を後ろに束ね、うつろな眼差しで前を見ている。


 隼人が僕の腕を離し、霧雨に向かって歩んでいく。もう一歩で娘さんに手が届く、そう思った時、霧雨が不意にやんだ。地面の揺れも地響きも、スパッと消えた。


「バンちゃん、ボクのところに来て」

隼人が僕を呼ぶ。言われたとおり、僕は隼人の隣に立つ。近くで見て判ったけれど、娘さんは霧雨の中にいたのにまるきり濡れていない。久喜里くきりはできる限りの手を尽くし、この娘さんを大事していると思った。


 隼人が女性の肩にポンと触れる。すると女性のうつろな目に生気が戻り、僕を見詰めた。


「待っていてくれたのですね」

音のない声、女性の声が脳裏に聞こえた。僕に話しかけた? 僕は返答するべきか? どうしたらいい?


 迷っているうち、何もしなくていいと答えが出る。

「待っていたとも――たとえこの身が朽ち果てようとも」


やはり音のない、今度は若い男の声。もちろん僕の声じゃない。僕を見つめる娘の目に涙が溢れる。


「なに!?」

再び地が揺れ鳴り響く。しっかり立っていなければ倒れそうなくらい、今度は激しい。大地震? いったいどうなる? 隼人が僕の腕にしがみ付いた。

「バンちゃん! 娘さんの手を取って」


 見ると娘は地揺れに影響されることなく平然と、僕を見つめたまま立っている。差し出した僕の手を握りしめ、さらにまじまじと僕を見つめる。娘に手を握られた僕は地揺れを感じても姿勢が保てるようになった。なぜだ?


「幻覚?」

僕の問いかけに隼人は答えず、

「あの山、さっき見たあの山。やっぱりあそこだ、バンちゃん!」

と、北を見る。

「光ってる?」

「うん、ぼんやり光っているあそこ。あそこまで、ボクと娘さんを連れて飛んで行って」

「え?」


 無理だ。僕の移動能力は、水平垂直、共に十メートル。あの山頂まで標高差五十メートル、水平距離は五百メートルをくらいか? 完全にキャパオーバーだ。


「無理だってば、隼人!」

「大丈夫、バンちゃんならいける!」

何を根拠に?


「龍神が助けてくれる。そのための地揺れだ」

え? え? そのための地揺れ?


 揺れの方向を確かめる。うん、うねりはあの山に向かっている。

「バンちゃん、思いきれ!」

「判った、行くよ!」

娘さんの手をしっかり握りながら、隼人に頷く。次のうねり、それに乗って跳躍する。


「今だ、せーーーのっ!」

えいっ! 踏み切って宙に身体を躍らせる。思わず、娘さんを片腕に抱きかかえた。確かに、何かが僕を押している。だが、届かない、もう少しなのに! あの山頂、かすかな光を放つあの場所、あそこに行けと隼人は言った。あそこでなきゃ、きっとダメなんだ。宙を蹴って再び僕は跳躍する。こんなことしたのは初めてだ。果たしてちゃんと飛べるかどうか――


「巧いよ、バンちゃん!」

隼人の嬉しそうな声が響いた。再び僕は宙を切り、目指す山頂にたどり着く。きっと、龍神が助けてくれたんだと僕は思った。


 隼人と僕は投げ出されるように着地した。けれど娘さんは、すっくとそこに降り立った。放した覚えはないのに、娘さんは僕の腕をすり抜けている。


 そこにあるのは墓だった。そしてその墓の横に立つ人物が、うっすらと光を放っていた。


 僕と同じ年頃の若者の幽霊が娘さんを真直まっすぐに見る。娘さんはもう僕を見ることもない。ゆっくりと近づく娘さんを若者が抱き締める。そしてそのまま二人とも、すーーーっと姿が消えていく。


「バンちゃん、頑張ったね」

隼人が嬉しそうに笑った。


 墓と僕は思ったけれど、ただ石がいくつか積み重ねられただけ、誰のものだか、いつもものだか判らない。でも、今の光景を目にした。僕は墓と信じている。人身御供にされた娘の恋人とか、許嫁いいなずけとかだった若者が眠っているに違いない。


 まじまじと墓を見る僕と違い、隼人は周辺を探っていた。そして墓から少し離れたやぶを覗き込み、

「あったよ、バンちゃん」

と、僕を呼んだ。


 行ってみるとそこには『雨止め祈祷の丘』と彫られた一メートルくらいの高さの石碑があった。


「ここで雨が止むのを願い、娘さんを置き去りにした、ってところかな――娘さんの遺体は見つかるはずもない、久喜里が連れて行ったからね。でも若者はこの場所で待ち続け、やがて命を落とした」


 残された人たちは若者の思いにせめてもと、若者をここに葬った。亡くなった時、若者はすでに若者ではなかったかもしれない。でも、そんなことはどうでもいい。若者の時間は娘さんの喪失とともに止まった。だから娘さんは娘さんの姿のまま、若者は若者の姿のまま、再会しなければならなかった。再会したかったのだ。きっとそうだ。隼人は何も言わなかったけれど、僕はそう思った。


「それにしてもバンちゃん!」

急に隼人が僕を怒鳴りつける。


「こんなところにボクを連れてきて……いったいどうやって帰るつもり?」

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