16  愛情表現は半分で

 隼人はやとが暴れている間にそうさんが食事の用意をしてくれた。奏さんの『出来たぞ!』という声に、ピヨッと隼人がハヤブサのままダイニングに飛んでいく。椅子の背もたれに止まったまでは良かったものの、そこでフルフルと体を震わせ、フケを飛ばして奏さんに怒られた。フケって、羽根が生えるときのさや、あれの残りカスね。


 慌てた隼人は急いで自分の部屋に戻ろうとし、締めっぱなしのドアにぶち当たる。哀れ、地上(床だけど)に落ちて、情けなく翼を垂れる。抱き上げて、ドアを開けてあげると人形ひとなりに変化しながら部屋に飛び込み、僕の腕から降りていった。


「バンちゃん!」

おいおい、八つ当たりかい? 何を怒っているんだよっ?


「今、ボクのこと、笑ったでしょ!?」

「笑ってないよ。それより早く服を着て。今日はどれにするんだい?」


「服っ? えっとね、今日はシルクの白いのがいい」

話題を変えるとそれに気を取られ、今、思っていたことさえ忘れる隼人、ニワトリ頭でよかったよ。


 なるほどツルツルの肌触り、ゆったりとしたシルエットのシャツ、羽根が生えたばかりの状態にはちょうどいいのか。


 着替えた隼人の髪にブラシを当てて整えると、鏡を見ながら隼人がニンマリする。

「噂に聞く鶴の妙薬。髪もツヤツヤだね」

ご機嫌も直ったようだ。隼人の機嫌は悪くなるのも早いがよくなるのも早い。隼人、おまえ、単純だな。


 ダイニングに戻ると、さくも顔を出していた。隼人がすっ飛んで行って、そっと朔の腕に触れ『見せて』と呟く。


「やめとけ、隼人。朔の腕はほっといても治る」

奏さんの言葉に、朔が腕を引っ込める。


「奏ちゃん、やっぱケチ」

しぶしぶ隼人は自分の席に座った。きっと隼人は力を使って、朔の腕の傷をさらに回復しようとした。それを奏さんに止められたんだ。隼人自身回復したばかり、力を温存しろと奏さんは言ったんだ。


「朔、痛みは?」

聞いたのは僕だ。

「痛むなら、もう一度催眠術をかけようか?」


「いや、バン、それもやめとけ――痛くないと無理な使い方をしちまうもんだ。却って治りが遅くなる。見たところ、そこまで痛むわけじゃなかろう?」

これも奏さん、最後のほうは朔に話しかけている。


「うん、奏さん、ありがとう。バンも」

答える朔を隼人が目をクリクリさせて見つめる。自分への言葉を待っている。でも、朔が隼人に声をかける前に奏さんが皿をみんなに配り始め、隼人はツンとソッポを向いた。


 メニューは刻んだ野菜がたっぷりの溶き卵スープ、ハンバーグにはニンジンのグラッセと茹でたブロッコリー、バターコーンが添えられている。レタスとトマトときゅうりを角切りにしてドレッシングでえたサラダ、そして焼き立てのバターロール、ホワホワと温かい。


 みちるが左腕が使えない朔に気を使ってあれこれ世話を焼いている。朔はちょっとうるさそうな顔をしたけれど、黙って満に従っている。ずっと満は朔に付き添っていた。どれほど朔を心配したか、朔にだって判っている。


 隼人は僕に朔の看病をさせると言ったけれど、僕は隼人につきっきりで、ホンの少しもてあげられなかった。そうでなくとも満は朔のそばを離れなかっただろう。満は母親とはぐれてから、ずっと朔に守られてきた。その朔が大怪我をした。離れられるはずがない。


「で、隼人、今日はどうする?」

奏さんが隼人に話しかける。


 隼人は手にしていたパンを千切って『バンちゃんにあげる』と半分、僕の皿に置くと、残ったパンにバターをたっぷり塗り付けて、

「ボクね、お日様の出ているうちに行きたいところがあるんだ」

と言った。


「朔ちゃんとミチルはお留守番……奏ちゃん、車、出して。ボクとバンちゃんと奥羽ちゃんを連れてって」

「いいけど隼人、奥羽を連れていくのか?」


「うん、ボクね、カラスに用事があるんだ――バンちゃん、ハンバーグ、食べやすくして」

隼人のヤツ、満が朔の分を食べ易く切り分けているのを見て、自分もやって欲しくなったらしい。むろん、何も言わずリクエストに応えてあげる。


「で、隼人、どこに行くんだ?」

「判んない。なるべくカラスを多く呼べるところ――高尾からは少し離れたところがいいな。カラス天狗てんぐが勘違いして、来たら面倒」


 一口大に切ったハンバーグを口に放り込み、モグモグしながら隼人が言う。僕は内心、高尾山の天狗さんが自分をカラスと間違えるはずがないと思う。わざわざ言わないけどね。


「カラスを呼ぶんなら、殿出とのいで菜々国ななくに峠、御敷ごしき山、あのあたりかな?」


「御敷山はこないだの遣泉やりいずみから近すぎる。殿出は高尾に近すぎる」

朔が口出しして隼人がムッとする。


 隼人は自分が朔に、お礼を言われなかったのを根に持っているっぽい。でも、ムッとしただけで何も言わない。これが僕ならすぐ怒り出すのにね。


「あと矢間森やまもり公園もいいかもしれないよね。野球場なんか、夜中に見に来る人、いないでしょ?」

と隼人が言えば、

「公園は無理だ。夜でも散歩に来る人間がいる。野球場は塀に囲まれて、人目を避けるにはいいな。でもカラスは来るか? 周囲の木になら集まりそうだけど」

と奏さんが答え、

「矢間森公園は『ハヤブサの目』から近すぎる。やめたほうがいいよ」

と朔が続く。


「ま、いっか。奥羽ちゃん待ち。奥羽ちゃんならどこがいいか判るはず――バンちゃん、ボクとパン、して」

さっき僕に寄越した分が今さら惜しくなったのか? めんどくさいヤツ、と思いながら慌ててパンを半分にして隼人に渡す。


 パンにバターをぬりぬりしている隼人に奏さんがさらに聞く。


「で、隼人。カラスに何を聞くんだ?」

「さぁ?」

バターナイフを舐めながら……おいっ! それ、舐めるな!

「そんなの、判んないよ」


 奏さんの質問に隼人が首をかしげているうちに、バターナイフを取り上げてシンクに運ぶ。奏さんに気を取られているのか、別のことを考えているのか、隼人は僕がバターナイフを取ったことに気が付かない。


「カラスちゃんたちがなんて言うか判らないのに、ボクに判るはずないでしょ?」

「そうだな、それもそうだな」

奏さんが苦笑した。


 そうこうするうちに奥羽さんが現れた。もちろん食事は終わっている。奏さんがコーヒー淹れに席を立つ。


「隼人も朔も元気になったようだな」

吾輩のおかげだ、感謝しろよ、とソファーに深々と座り、カアカア笑う。

「で、隼人。やくの謝礼を貰おうじゃないか」


 奥羽さんはいつも通り、黒のハンチングに丸いサングラス、トレンチコートにブーツも黒の真っ黒け。そんな格好で『ヤク』だなんて言わないでよ。


「シャレー? シャレーねぇ……欲しいんだ? 要求しちゃうんだ? ボクを相手に?」

隼人が怖い顔で奥羽さんを睨みつけた。なにおッと奥羽さんも隼人を睨み返す。


 おい、隼人、奥羽さんとやりあうつもりか? おまえ、回復したてだぞ? それに奥羽さんは、地場の神だぞ!?

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る