13  嫌いになれない

 許しとは何か――またも僕は自分に問いかける。


 みちるは『隼人はやとを許して』と僕に言った。そうさんは『誰よりも隼人を許してやれるのはおまえだ』と僕に言った。


 きっと二人が言うは、同じ言葉でも別のものだ。だけどやっぱりどこかで繋がっていると感じる。


「どうする、バン?」

僕は……奏さんにうなずいた。許しとは何か、その答えは隼人の顔を見ればきっと判る。そんな気がした。


 大きなトレイに奥羽おくうさんが持ってきた薬瓶とカフェオレボウル、お湯を張った洗面器、洗面器にはタオルを放り込み、僕は隼人の部屋に運んだ。


 施錠されていないドアを開けるとベッドに仰向あおむけで横たわったまま、隼人が首だけをこちらに向けた。全裸で何もかぶっていない。そして目の端が赤い。熱があるのか、それとも泣いたのか?


「奥羽ちゃん、来たんでしょ? なんの用だった?」

「うん……それより隼人、奏さんが身体を拭いてやれって。お湯を持ってきた」

「やだよ……」

隼人が目をらす。


「奏ちゃんに聞いたんでしょ? ボク、今、痛いの」

やっぱり痛むのか……羽根を無理にむしれば痛くないはずがない。


「奏さんがね、一度ちゃんと拭いてからハヤブサに化身けしんさせて、鶴の回復薬ポーションを飲ませろって、言うんだ」

「鶴の回復薬? あれ、ほかの鳥にはそう簡単にくれないのに?」


「奥羽さんが頼んだみたい」

「でも……苦いって聞いてる。ボク、苦いのイヤ」


「薬を飲んだらね、そのあとはハヤブサのままでも、人形ひとなりに戻っても、僕が抱いていてあげるよ」

横たわったままの隼人が首を持ち上げてもう一度僕を見た。


「奏さんから聞いた……どんなに柔らかな布でも引っかかって、新しい羽根がうまくえてこない、って。しかも痛む、って」

「奏ちゃんのオシャベリ――」


「だけど人の肌なら引っかかりも軽減される、滑ってすんなり生えてくる、って奏さんが――隼人、いつも僕の背中を使うじゃないか。今夜は僕の胸と腹を使うといい」


 隼人は何も答えない。顔を何かに突っ込んで座ったままか、うつぶせになって隼人は眠る。今、仰向けで横になっているが、そのままでは眠れない。ただでさえしょっちゅう眠る隼人だ、眠れなければ辛いし、回復も遅くなる。


 僕は隼人の机にトレイを置いてタオルを絞った。


「背中にはほとんど損傷がないんだ、右腕も」

おとなしく体を拭かれながら隼人が言う。


「左の翼を少し朔の腕に使った。風切り羽も何本か……本当はもっと広い範囲で霧を起こせばよかったんだけど、あの翼で飛べるのはあれが限界だった」

「うん、よく頑張ったね」

そっと押さえるように隼人の身体を拭きながら僕は答える。悔しかったのか、痛みを思い出したのか、隼人の声が震えている。僕はそれに気が付かないふりをした。


形代かたしろなんかなくても霧は出せたけど、途中で人形ひとなりに戻って力を使ったら、きっともうハヤブサに戻れないって思ったの。おなかの毛をむしって百倍に増やしてき散らしたんだ。さすがに羽根をすべて毟るわけにはいかないし、全部使ったところで足りないしね。で、奏さんのところに戻ってから霧に変えたんだ」


 隼人といえど、ハヤブサ姿のままでは力を振るえない。奏さんのもとに帰り、人形ひとなりに戻ってから形代かたしろに、霧になるよう命じたのだ。


「バンちゃん……」

「うん?」


「あのね……ボクね、今、とってもみにくいの」

「羽根がむしられて、皮膚が丸出しになっているから?」

「うん、そう――バンちゃんが、綺麗だって言ってくれるボクじゃないの」

隼人の声がまた震えた。


「隼人、怪我をしているだけだ。ちゃんと養生すれば羽根も生えるし、姿も元通りになる」

「でも、今は醜いの……醜いボクを見ても、バンちゃんはボクを嫌いにならない?」


 それくらいで嫌いになるならとっくに嫌いになっている。自分勝手なおまえの我儘に振り回されたり、虐められたり、何度嫌気がさしたことか。


「嫌いになんかよ」

笑いながら僕は言った。嫌いになんかよ……笑っているのに胸が苦しくなって、目頭が熱くなる。


「バンちゃん……なんで泣くの?」

あふれ出た涙をぬぐいながら僕は答える。


「そんなの判んない。でもきっと、隼人が好きだからだ」

「変なバンちゃん……」


 身体を拭き終わり、薬をカフェオレボウルにそそぐ。隼人を抱き上げるとすぐさまハヤブサに化身して、僕の腕の中に納まった。服を着たままだった僕は慌てて隼人を膝に移し、シャツを脱ぐ。そして隼人を抱き寄せ、カフェオレボウルを手にし、くちばしの前に持って行く。


 隼人はものすごく大人しい。鉤爪かぎづめを丸めた状態で僕に抱かれたまま、腹を僕の腹に押し当てている。ぷつぷつとした感触、僅かに突き刺さるのは中途半端に残った羽根の根元だろうか。


 隼人は一度 僕を見上げ、それから首をかしげてカフェオレボウルに突っ込んだ。くちばしで薬液をすくうと、上を向き飲み込む。それを何度か繰り返し、カフェオレボウルは空になった。


 飲み終わると僕の胸に頭をもたれさせた。何も考えず、僕はその頭を撫でた。すると隼人は首を傾け、僕の指先に頬を寄せる。指先で撫でると、隼人はフワッと頬を膨らませた……


 隼人が眠る態勢に入ったのを見届けて、僕も隼人のベッドに横たわる。仰向けになればハヤブサはそのまま腹に乗る。一キロもない体重、腹に乗せていたってどうということもない。敏感な鳥類は、僕の動きに少し目を覚まし、自分に添えられた僕の指を甘噛みした。


 僕から見て右、つまり左の翼はだらりと垂れ下がっている。僕は右の翼に左手を添えて、腹から落ちないように支えていた。そして右手の指先で、そっと隼人の頬を撫でた。気が付いただろうに、隼人は目を開けもしない。嫌がる様子もない。


 僕は隼人に許されている――陽光が差し込こむようにそう思い、僕を照らしたと感じた。


『バンちゃんはね、バンちゃんのままでいいの』

隼人はよく僕にそう言う。


『記憶がないならないままでいい、バンちゃんはね、どんなことがあってもバンちゃんなんだよ』


 許しとは、ありのままを受け入れることか? あるものをそのままに、認めることか? 僕が欲しい答えはこれか?


 腹の上で眠るハヤブサに僕は触れた。もう一度、そっと頭を撫でる。腹の上のハヤブサ、鳩より少し大きいだけ、体重は一キロにも満たない。腹の上にいたってどうってことはない。


 そう、ハヤブサのままならば――

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