7  たかが虫けら

 来た、と隼人はやとつぶやいた途端とたん、インターホンの呼び出し音が響く。人狼ちゃんたちだよ、と隼人が言うが、念のためモニターをのぞくとグレイのロングヘア、の男がこっちを見てニッコリ笑う。みちるだ。


 ドアロックを外すと、入ってくる音とともに満の姿が消え、後ろにいた、やはりグレイの短髪の、の男、さくが見えて消えて、ドアが閉まる音がする。そこで僕はドアをロックしインターホンのスイッチを切った。二人はすぐにリビングに上がってきた。


 二人は生後五年の時に隼人と知り合っている。人間でいうと八歳くらい、トビに狙われているところを隼人が救った。って山の中だと聞いている。


 隼人は二人に隠れ場所を教え、三年の間、毎日食べ物を二人に運んだ。


『ボクはオオカミの狩りの仕方を知らない。だから二人で工夫するんだ』

そう言って隼人は木の上で二人を見守り、危ないと思えば隼人も獲物を襲い、二人が仕留めるか逃げるかする手助けをした。


『もう大丈夫、二人一緒なら狼として生きていける。ボクとは今日でお別れだ』

二人が成獣になるころ、隼人は二頭の狼に別れを告げた。満は泣いて隼人を引き止めようとしたらしい。だが、ハヤブサに化身して飛び立った隼人をオオカミは見送ることしかできなかった。


 大寒波が日本を覆い、山の獣たちを寒さと飢えが襲った年、再び二頭の前に隼人が姿を現す。そして二人が人間として生きていけるようにいざない、さくみちると言う人間の名を付けた。


 人狼の幼獣の成長は早い。生後八年から十年で一人前になる。が、そのあと二百年間は二十五年で人間の一歳くらいの速度で年を取り、寿命は三百年程度、最後の百年で人間ならば五十歳程度になるが、体内エネルギーが大きく減少し、生命を維持できなくなる。


 現在、隼人の人狼兄弟は百年ほど生きている。人形ひとなりの時の見た目は二十二、三と言ったところ。


 朔の髪はオリジナル、満の髪は狼姿の時はオリジナルに戻るが、隼人が力を使ってサラサラのロングヘアに変えた。見分けがつかなかったんだもん、と隼人が言うが、朔は身長百八十センチ、満は百七十センチ、それだけでも判るんじゃないか、と思うのは僕だけか? まぁ、満もその髪が気に入って、ついでに女装趣味にはまった。というわけで、対外的には兄妹としている。そのほうが、いろいろ都合がいいことも多かったようだ。ついでに言うと、僕のメッシュ入りの茶髪も隼人の仕業だ。


「隼人ぉ~」

隼人の隣に座った満がいつも通りに甘える。朔と満にとって隼人は育ての親だし、特に満は隼人のことが大好きだ。もちろん朔も隼人のことは好きだろうけど、無口な朔はわざわざそれを口にすることもない。気分屋の隼人も満相手にはいつも優しい。


 コーヒーを淹れて持って行くと、朔が地図をしまうところだった。ちらりと見えた赤いマークは川や湖だったと思う。


「やっぱり水に関係するの?」

見ていただけの満が隼人に訊く。

「判んないよ、そんなの……だから調べてるんでしょ」


九里くのさとさんとも渡りをつけておく?」

そう訊いたのは朔だ。そして九里さんは河童かっぱだ。


「うーーん、もうちょっと調べてからでいいかな。九里ちゃん、水がないとめっぽう弱いから足手まとい」


おい、隼人、そんなこと言っていいのか? 九里さんは、巨大ナマズがおまえを沼底に引っ張り込んだ時、助けてくれた恩人だぞ?


「まずは昨日の打ち合わせ通り、あのトプトプがどこから来たかを突き止めよう。この際、モアモアちゃんたちの出どころは二の次でいいや」


 トプトプって、あの宙に浮いている水溜りのことか。


「中に囚われているモノについては?」

朔の質問に隼人は

「あんま、問題ない……トプトプが消滅すれば放たれる」

と答えるが、それって、

「放たれるって、かなりの数だよ? 正体も判らないのに放っちゃっていいの?」

と、思わず僕が口を挟む。


「バンちゃん、うるさい! 口を挟むな!」

「だって、隼人。妖怪とか亡霊とかだって言ってたじゃん。放っていいわけ――」

「うっさいっ!」

言い募る僕を隼人が怒鳴りつける。


「たかがお化けがボクに意見するなっ!」

「たかがお化けって……」

めなよ隼人、と蒼褪あおざめた満が小さな声で言う。


「ははん! バンちゃんなんか、蚊より少しマシなだけじゃん! おしゃべりできる蚊ごときが、喋れるからって偉そうに自分の見解、口にするな! ブンブン言ってりゃいいんだよっ!」

「……ブンブン?」


「あ……こいつ、マジでブンブン言った」

ケラケラと隼人が笑う。


 普段から青白い僕の顔はきっとさらに蒼褪めていることだろう。満が心配そうに僕を見上げている。朔があきれ顔で隼人を見ている。でもさ、でもさ、そうだよね。朔も満も神の末裔まつえいだもん、太陽神はやとそばにいたって奇怪おかしくないよね。


 それに引き換え僕は、首を切られて一度は死んだ人間、しかも今じゃ人間ですりゃありゃしない――


 笑う隼人を置き去りに、僕は自分の部屋に向かった。

「バン!」

「バンちゃん!」

朔と満が呼び止めてくれたけど、隼人の声は聞こえない。


 僕が自分の部屋に入り、ドアを閉める頃やっと、

「あれ? バンちゃんは?」

と僕がいないことに気が付いた隼人の声が微かに聞こえた。


 クローゼットの扉を開ける。隼人が僕のために、わざわざ工務店に発注して作ってくれたクローゼット……高さ二メートル、横幅と奥行きは六十センチ、中に入って寄り掛かると、僅かに傾斜する居心地のいいクローゼット――


 僕は中に入ると内側から鍵をかけた。ここで永遠に眠り続けてやる。どうせ僕は隼人にとって、たかが虫けら、いなくたって困らない。だったら、だったら……


 最初から起こすなよっ!

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