2  雨を降らせる水溜り

 次の瞬間――


 美都みつめんのドアが揺さぶられ、ガタガタと音を立ててきしむ。風か? 風の仕業しわざか?


 隼人はやとの左目がかすかに光り、ウジャトの目を使ったと僕にも判る。


 尻もちをついたまま奥羽おくうさんが隼人に訊いた。

「なんだ? ドアを叩いているのか?」

「……開けろと叫んでいるね。そこにいるのは判っているぞ、だって」

「ひっ……!」

奥羽さんはますます縮こまったが、隼人はフンと鼻で笑う。


「神たるボクに挑もうなどと、いい度胸だ。目にものを見せてくれる……」

と、ずかずかとドアに近づいていく。


「やめとけ、隼人。挑発に乗るな!」

そうさんが止める声も聞こえないようだ。そしてドアの前まで行き、ぐるりと左手で大きな円を描いた。ずんと、空気が重くなったのを感じる。

「これでドアを開けても外にいるヤツらは入ってこれない」


 なるほど、結界を張ったのか。って、隼人、なんで僕を見てニヤリと笑う? 嫌な予感に縮こまるのは僕の番だ。


「バンちゃん、ちょっと外に出て、ヤツらをぱらってきてよ」

また、僕かい! ま、いつものこと。いつもこうだ。いつも……


「追っ払うってどうやって?」

「家に帰りたいから道をけろって言えばいいよ」

「素直に言うこと聞く?」

「さぁ?」


 隼人ぉ……冷たすぎないか? 僕がどうなってもいいのかよっ?


「目にものを見せるんじゃなかったの?」

「誰が? バンちゃんがそうしたいなら、勝手にしなよ」


 言っても無駄だ、三歩で忘れる……ってあれはニワトリか。僕はもう一度、格子戸の上部から外の様子をうかがった。


 今度は雨が降っている。店の前、一メートルくらい先で、雨が降っている。つまり、手前一メートルには降ってない。もう、これ、それだけで怪しいよね?


 雨……と言ってもいいのか? なんとなくを感じる。隼人たちは何かが潜んでいると言ったけど、僕にはその何かが。でも、確かに何かがうごめく気配がある。


 格子戸に手を当てながら空を見上げると、やはり月が輝いている。半月と言ったところだが、やけに明るい光を放つ。


 雲はない。どこで雨粒は発生するんだろう……雨に視線を戻し、来るかたを辿たどる。なるほど、五メートルほど上の水溜り、あそこから落ちてくるのか――


「えっ!? えっ? えっ?」


 驚いて素っ頓狂な声を上げる僕、同時にどこかから犬の遠吠えが聞こえ、隼人が

「中止! ドアを開けるなっ!」

と叫ぶが間に合わない。五メートル上をよく見ようとガラガラと僕はドアを開け、一歩踏み出してしまった。チッと隼人が舌打ちする。


≪下がれ!≫


 隼人が叫び、腕を振り上げる。雨の領域が一メートル後退し、見あげると宙に浮かんだ水溜りも同じくらい後退している。


「奏ちゃん、奥羽ちゃんをよろしく!」

隼人が叫ぶ。

「おう! おまえの結界の中から出るもんか!」


 ドアの前でほうけて立ち尽くす僕に隼人がしがみ付く。すぐ後ろで奥羽さんがドアを閉めた。


「バンちゃん、上に飛んで! あのヘンなのに触らないように! さくちゃんを助けに行くよ!」


 あの遠吠えは人狼の朔が助けを呼ぶ声だ。朔が助けを呼ぶなんて滅多にない。美都麵よりも人狼兄弟だと、隼人は判断した。それには外に出るほかない。別の方法を考えたのかもしれないが、僕がドアを開けてしまった。だから退、正面突破に切り替えた。


 ちなみに僕の最大の武器は瞬間移動だ。水平方向なら障害物を通りぬけ、十メートル移動できる。垂直にも移動できるが、こっちは障害物を無視できない。すかさず隼人を抱きすくめ、僕は上へと跳躍した。


 僕の腕の中で、隼人は雨に向かって掌をかざしている。近寄らせないためだろう。


「行くよ!」

水たまりを充分下に見る高さで隼人の身体が縮んだと思えば、すぐに翼がザッと広がった。ハヤブサに変化へんげしたのだ。とっさにハツカネズミに変化へんげした僕を隼人の鉤爪かぎつめが柔らかく包み込む。僕は落とされないよう、尻尾を隼人の足に巻き付けた。


 隼人はどんどん上昇していく。上空から見ると水溜りは、長さ五メートルくらい幅は三メートルほどの楕円形、その端からダラダラとよだれのように水を落としている。落とした水がおりのように中に何かを捕らえている。


 朔たちの住むお屋敷が向こうに見えた。美都麵の前のように水溜りがあるようには見えない。なにが朔たちを襲ったんだろう?


「ピッ!」

隼人が合図した。ここからは急降下、一気に朔たちの家に突っ込む。鉤爪が僕をしっかり包み込む。


 最速で時速二百四十キロメートル超を誇るハヤブサ、あっという間に朔たちが住む屋敷の屋根に到着すると、ホバリングして僕を落とす。隼人はハヤブサ姿のまま、庭から室内に飛び込んだ。


 屋根から庭を見おろすと、無数の赤茶色いモアモアしたものがうごめいて、どんどん屋敷の中に入っていく。一体の大きさは鶏の卵ほど、体表が煙のようにかすんでいて、はっきりとした形がよく判らない。時々何かが飛び出したり、へっこんだり、なにしろモアモアは常時体型を変えている。


≪寄るな!≫


部屋の中から隼人の声が聞こえた。モアモアが僅かに庭に押し戻される。


 隙間を見つけて天井裏に忍び込み室内を窺うと、部屋の中には二頭のオオカミ、その前に人形ひとなりに戻った隼人が立ちふさがり、モアモアが円を描くように取り巻いている。円周にモアモアが積み重なって高さが出ているところを見ると、隼人は見えない壁を出現させている。


 よくよく見るとソファーやテーブルがない。どこだ、と見ると、庭に打ち捨てられている。庭にいたモアモアたちは全部部屋に入ったようだ。壁を取り囲んで集結したモアモアたち、その高さが増している。が、隼人の壁を超えられずにいる。


 でも、隼人、どうする? おまえ、人狼もろともすっかり囲まれてるぞ? そして僕はどうする? ハツカネズミになったまま、見物けんぶつしてていいはずがない。

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