今はまだ、このままでいい

束白心吏

今はまだ、このままで

「色恋は見る分には面白い。当事者にはなりたくないが」



 それは私の所属する文芸部の部長、石長いしなが天彦あまひこ先輩がある日に残した迷言である。

 名言ではなく、迷言。新聞部のインタビューでそう発言した直後に瞬く間に広まったその言葉は、以前からある先輩の堅物なイメージを壊すと共に、また新たな壁を作ったことは言うまでもない。

 だから――


「今日も誰も来ませんでしたね……部員の人たち」

「そういうものさ。本来の文芸部なんてね」


 静かな部室で、パタンと音を立てて本を閉じた天彦先輩が私の呟きのそう返した。読んでいたのが最近流行りの可愛いイラストの恋愛小説でなかったなら、絵になった光景だろう。

 ――部室には私と先輩しかいない。二人っきりだ。以前はもう少し人がいた。主に女子生徒が、先輩目当てで。ただ先の言葉を聞いて先輩が本心から恋愛に興味ないと悟り多くの人が幽霊部員となった。そのことについて先輩は少し残念そうな表情をするだけだった。なお理由には気づいていない。

 私としては役得ではあるけれど、二人ではロクに活動も出来ない。読書も文芸部のれっきとした活動であるとはわかっているけれど、会話量が減った現在、不満がないと言えば嘘になる。

 そんな私の雰囲気に気づいたのか、先輩は苦笑して口を開く。


「確かに少し前まで文芸部は活発で、週一で文芸評論もしていたな。が、毎日毎日そうでは気疲れするし、何より皆にやる気がなくなる。文化祭で大きくやったくらいが適度なのだろうな」

「……なんだか、納得いかないです」

白菊しらぎくはそれだけ、真面目に取り組んでいるということだ」

「……っ」


 不意打ちのような先輩の微笑みにドキリとする。この人、普段は一切笑顔なんて見せないのに、こうして誰かを褒める時だけは笑顔になるのだ。元々顔がいいから、心臓に悪すぎる。無自覚なのが更にタチ悪い。あと眼鏡フェチなんでそこがまた刺さる。

 そんな私の内心を知らずに先輩は外に視線を向ける。日は落ち、窓が鏡のように私達を写す。


「もう冬だな」

「ここ数日で一気に寒くなりましたね」

「本当にそうだ」


 まだ防寒着も出してないのにと先輩は眉間に皺を寄せてぼやく。

 今年も秋はなかったなぁ……それに私も防寒着はクローゼットの中だ。着てこれて来週からかなぁ。

 そんな雑談をしていると、完全下校十分前を告げるチャイムが鳴った。


「そろそろ解散しようか」

「あ、鍵閉めやります」

「では、頼もう」


 先輩は傍にあった鍵を渡して、荷物を持って部室を出る。電気と暖房も消してもらってしまった。

 私も荷物を持って先輩の後に続いて廊下に出る。

 途端、肌を刺すような冷気が襲いかかって来た。


「寒い……マフラーくらいは持ってきた方がいいかもしれないな」

「先輩、まだ冬に入ったばかりなのにそんなこと言ってたら冬越せないですよ」

「案外人間は丈夫に出来ているさ。きっと今年もどうにかなる」

「そうですね」


 私は肩を並べて階段を下りる。三階にある文芸部の部室から、下駄箱や職員室のある一階までは少し距離があるため、その間に先程の話題を掘り返す。


「でもやっぱり、私はやりたいです。きちんとした部活動」

「そんなにか?」

「そんなにです」


 オウム返しのように答えると先輩は少し間を置いて聞いて来た。


「例えば?」

「え、あー……ビブリオバトル?」


 まさか聞かれるとは思わず素で返すと、先輩は笑った。


「二人でやるには難しいチョイスだな」

「……そこまで笑わなくてもいいじゃないですか」

「スマンスマン。まさか白菊の口からビブリオバトルが出て来るとは夢にもおもわなくてな」


 文芸評論と言うかと思った。と続けた先輩に反論する。


「だって先輩、『俺達は読書の傾向が違うし、似通った部分は紹介し尽くしたと言って等しいからな』って言って拒否するじゃないですか」

「それは白菊が毎日言うからだ。月一ならわからないぞ?」

「……なら、評論を」

「するとしても来月の頭だな」

「来月って考査じゃないですか?」

「よく覚えているな……それが終わってから、だ。それまでに課題図書を決めよう」

「シリーズ本でもいいですか?」

「いつもなら遠慮するが、考査後なのでよしとする。決めるのは明日からにしよう」

「はい!」


 少しテンションが上がってしまい、予想以上に声が響く。

 誰もいなそうだからよかったけれど……少し恥ずかしい。

 一番聞かれてたくない先輩には「元気でよろしい」とズレた感想を言われるし……。


「あれ、先輩もこっち来てますけど……」

「どうせなら俺も先生に挨拶しておこうと思ってな」


 そう言えば今日は見かけなかったなぁ、と先輩と二人で職員室を覗き込んで顧問の先生を探したけれど、見つからない。

 もう帰ったのだろう。先輩は「いつものことだ」と苦笑する。


「先生が帰っているとなると、少々面倒だ……鍵は俺が返してこよう」

「私もお供していいですか?」

「……ああ」


 何かを考えた上で先輩は了承してくれた。


 取り合えず何があったかは省略しますけど……後で顧問は怒られるそうです。


「――お疲れ様」

「うぅ……怖かったです」

「俺もだ」


 職員室で教頭先生に怒られてしまい、いつの間にか下校時刻は過ぎてしまった。私達は下駄箱で靴を履き替えて、帰りが遅くなる運動部用にある内側からしか開けられないドアから外に出る。


「――っ寒い!」

「……風も強いな」


 音こそしないものの、時折吹く風はとても冷たい。

 特に首元、足首、手が寒い。手は外気に晒されているので特に寒く、急激に体温を奪われているのが感じられた。

 はしたないとはわかっていながら、私は学校指定のブレザーのポケットに手を入れる。寒さ凌ぎにはなるけど……。


「迎えは呼んでいるか?」

「い、いえ。歩きですけど……」

「そうか。では送っていこう」

「え!?」


 私は素直に驚く。

 先輩はその反応に疑問符を浮かべているが――あの先輩が、異性を「送る」と言ったのだ。「恋愛を見るのは好きだが当事者にはなりたくない」とガチトーンで言ったあの先輩が、だ。驚かない人の方がおかしい。

 だってそれって――


「俺にも人並に道徳感はあるぞ? 暗い夜道を女性一人で歩かせる奴があるものか」

「……」


 ――下心ありありの下校イベントじゃないんですねー。そういえばこういう人でしたねー!

 乙女の純情を弄ばれた気分……。


「――あ、もしかして好きな人でもいたか? ならば俺がいるとアレだな」

「っっ!」


 ……こ、この先輩ぃぃぃぃ! 本当に弄ぼうとするとはどういう了見ですか! そして無駄でそうした知識はあるのに、どうして気づかないんですかね!

 春もそうでしたけど先輩は自分に頓着なさすぎなんです! 文芸部員の何割が先輩目当てで入ったと思ってるんですか! 十割ですよ十割! 私も含めて! というか先輩の隣に女性がいる方が噂になるに決まってるじゃないですか! 先輩は「色恋は見る分には面白い。当事者にはなりたくないが」って迷言を残して数多の片想いを無自覚に振った有名人なんですからね!? 女性と居れば即・噂になるってどうしてわからないんですかね!

 というか文芸部に顔を出す人が減った理由、新聞部の記事が出まわってからってこと、わかっているんですかねこの先輩……ないかもしれないですね。自分のことに関しては昔から鈍感な人ですし。


「? 何か言ったか?」

「――いいえ。何でもないです。問題ないので早く帰りましょう」

「……そうだな」


 どうやら心からの叫びは聞こえていなかったようだ。一安心。

 先輩と肩を並べて帰路につく。こうして歩くのは数年ぶり。中学以来かもしれない。

 昔はもっと緊張したりしていた筈だけど、今はそんな緊張感よりも多幸感が大きい。中学の頃から私は先輩のことが好きで、ずっと追いかけていたけど……きっとその頃から先輩はこうだったのだろう。

 言われてみればそんな感じもする。前からずっとこういう感じだったと。

 でもそれでいいと思う。

 今、先輩の隣に居られる。

 今はそれで幸せだから、これでいい。

 きっと先輩に告白したら壊れてしまう幸せだから、まだ片想いでいい。

 今はまだ、このままで――いつか振り向かせることが出来れば勝ちなのだから。


「――先輩は、恋とかしないんですか?」

「する気が起きないな。俺は誰かの恋愛を見ているだけでいい」

「じゃあもし、付き合うとしたらどんな方がいいんですか?」

「そうだな……それこそ、白菊のような人とだったら、上手くやれそうだな」

「……っ!」


 ただ鈍感がすぎる……っ!

 私は頭を抱えたくなる衝動の代わりに少し速足で家まで歩いた。

 先輩? 少し驚いた様子でしたけど余裕で着いてきてましたよ。身長差という理不尽によって!

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