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 シャワーから戻った彩未が琴葉の部屋へ入ると、見知らぬ女性がベッドに腰かけていた。痛んだ黒い髪が腰のあたりまで伸び、黒縁メガネの上からは手入れをしていない眉毛が覗き、どこか暗く陰鬱な空気を纏っているが、メガネの奥の瞳は異様なまでにギラついた光を放っていた。身につけた白いブラウスが似合っておらず、彼女の陰気な様子との対照的な違和感を覚えさせる。


「えっと……もしかして、アキ姉……さん?」彩未が助けを求めるように、勉強机の椅子に座っている琴葉へ視線を送る。すると琴葉は頷いて立ち上がり、「シャワー浴びてくる」と部屋を出ていってしまった。


「え、ちょっ……」


 琴葉の背中を見送った彩未は、アキ姉に軽く会釈をしつつ、姿見の前に腰をおろしてドライヤーで髪を乾かしはじめた。それを終えると手持ち無沙汰となり、しばらくスマホでSNSをチェックしたりして間を持たせていたが、とうとう気まずい沈黙に耐えられなくなってアキ姉に声をかけた。


「あの……」


 彩未が口を開くと同時に、アキ姉が「それ、飲んで」と勉強机の上の水が満たされたグラスを指差した。隣にはミネラルウォーターのペットボトルがあり、それから注がれたものらしい。風呂上がりの水分補給として気を遣ってくれたのかと、礼を言って水を口に含んだ彩未は、「しょっぱッ!」とグラスを机上に戻そうとした。


「離すな!」


「ファッ⁉︎」


「儀式のやり方、読んでないの? 飲みきるまでコップから手を離すなって書いてあったでしょ」


 アキ姉に指摘された彩未は、【やどらしさまのやり方】の<下準備>の項目にそんなことが書かれていたのをぼんやりと思い出した。


「あ! ああ……あったかも」


「あなた、儀式に対しての真剣味が足りないんじゃないの」


「真剣味って……ただ私は付き合わされてるだけで……だから真剣とかそうじゃないとかは、別にどう」


「ふざけないでよッ!」


 アキ姉が発した突然の大声に彩未がビクリと身を震わせ、その手に持ったグラスからわずかに水がこぼれた。


「こっちは遊びじゃないんだから、真面目にやってもらわないと困るんだけど」


 怒鳴られたことが腑に落ちないながらも、彩未は「はぁ……ごめん、なさい……」と顎を前に突き出すような動きで一応の謝罪をした。


「般若心経は唱えられるんでしょうね?」


「えーっと……今から動画を観て覚えようかと……」琴葉のタブレットを手に取るため、彩未が再びグラスを置こうとしたところ、アキ姉が「手を離すな! まず、それを飲みなさい!」と物凄い剣幕で一喝した。伸ばしかけた手を引っ込めた彩未は、アキ姉の顔を窺いながら黙って水を飲み干した。


 彩未が般若心経の動画を観ているあいだ、アキ姉は「信じられない」「なんでこんな子と……」などと聞こえよがしにブツブツと文句を言っていた。琴葉が部屋に入ってくるなり急に口をつぐんで静かになったが、それでも彩未のことを血走った目で刺すように睨みつけていた。


 琴葉は粗塩を入れた水を飲み干すなり、「簡単に手順の確認をするから、二人ともそれの周りに座って」と部屋の中央に置かれた儀式用の道具類を指差した。彩未が懸念していた小動物の骨は鶏のもも肉についていたとおぼしきもの、憑依させたい相手の身体の一部は数本の髪の毛と爪の欠片が、それぞれファスナー付きのプラスチックバッグに入れられていた。


「アキ姉、呪文は大丈夫?」琴葉がタブレットを三脚にセットし、画面を見ながら画角の調整をしつつ訊ねると、アキ姉は目をつぶり「神降ろし、地獄探し、極楽、人間揃いの四つね。大丈夫。問題ない」と答えて目を開けた。


「彩未、般若心経の唱え方、覚えた?」


「んまぁ……なんとなくだけど……この紙見ながらやっていいんでしょ?」般若心経が書かれた紙を持ち上げた彩未は、アキ姉のほうをチラ見するや憮然とした表情と目が合ってしまい、まずいものを見たとばかりに素早く視線を逸らした。


 琴葉は頷くと、「まずは般若心経からだけど、この時アキ姉は例のアプリで録音を始めて。次にアキ姉が四つの呪文を唱えるあいだ、わたしはシンギングボウル、彩未は弓の弦をはじいて音を出し続ける。呪文が終わったら録音を止めて、今度はそれを逆再生で流す。この逆再生の呪文が終わるまでに、憑依させたい相手の名前を全員で十回以上唱える。いい?」と彩未とアキ姉の顔を交互に見ながら説明した。


「待って。憑依させたい相手の名前って?」彩未の問いに、琴葉は「琴音ことね」とボソリと言った。


「誰、それ?」


「お母さん」


「ちょ、あんた、自分の母親を憑代にしようっての?」


「便宜上それが一番結果がわかりやすいし、身体の一部を収集するのも簡単だったから」悪びれた様子もなくそう言ってのけた琴葉は、「じゃあ始めよ」と動画の配信開始ボタンを押した。


「みなさん、こんにちは。わたしたちはこれから、禁忌の降霊術『やどらしさま』をやってみようと思います」


 琴葉の合図で三人が般若心経を唱え始めた。次にアキ姉が「一の弓、まず打ち鳴らす初音をば」と神降ろしを、続けて「地獄の数は百三十六地獄と申せども」と地獄探しに移り、その後も順調に極楽と人間揃いも唱え終え、最後に全員で憑依させたい相手の名前まで唱えきった。


「これで手順は一通り終えました。それでは儀式が成功したかどうか、今から結果を見に」


「琴ちゃん、待って」突然アキ姉が琴葉の言葉を遮り、「これ、手順が足りない……仏送りと神送りが抜けてる!」と声を上げた。


「え? そんなは……はずははずはははずはず!」琴葉の身体がガクガクと震えだした。


「琴ちゃん! ちょちょちるちるちるるらる」


 階下から母親の悲鳴が上がったところで彼女たちの動画は終わっていた。



                               了

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やどらしさま 混沌加速装置 @Chaos-Accelerator

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