第7話 正しい反省のススメ
ドリンク類が纏めて入った重たいコンビニ袋をぶら下げたまま、緒方が横断歩道を渡り切ったところでくるりとこちらを振り返った。
「あのなぁ・・・」
心底呆れたような顔をされて、やっぱり荷物を持てと言う催促だろうかと、スイーツが詰め込まれたコンビニ袋を腕に掛け直す。
「あああっすいませ・・持ちま・・」
慌てて手を伸ばしてコンビニ袋を受け取ろうとしたら、すかさず頭を小突かれた。
「そーじゃなくて」
「・・・は・・?」
「ああいう手合いに付き纏われてたのか」
「・・・え・・・」
「なんで、先に言って来ない」
静かな声には、嗜めるような響きが含まれていて、いつものように憎まれ口を返す事が出来ない。
確かな心配の色が、ありありと見えてしまったから。
「だ・・・だって・・・私的なことですし・・・そ・・・それに、付き纏われてないですし・・・ちょっと・・」
「困ってたんだろ?」
図星を突かれてまたしても言葉に詰まる。
今度は少しだけ叱る口調が降って来た。
下手に言い返せば、鍛え上げられた営業トークで一網打尽にされてしまうに違いない。
「こ・・困ってました・・」
「だから、それを言えばいいだろが」
「か・・課長にですか!?」
「ひとりで悶々と悩んで迷路にハマるよりいいんじゃないのかぁ?」
「・・・すいませ・・」
「謝るなよ」
溜息と共に吐き出された声は初めて聞くもので、もう一度出かかった謝罪を慌てて飲み込む。
「学習したな?」
唇を引き結んだ優月に、一歩近づいて緒方が尋ねて来た。
「え?」
見上げれば、いつもより近い距離に端正な顔があった。
さっきの彼が同じように近づいて来た時には、迷わず逃げようとした足は、不思議と少しも動かない。
防衛本能を働かせなくて良いと、心より身体が理解しているのだ。
「だから、今回のことで学習したな?次になんかあったら、ひとりで悩むな。まず俺に話せよ。いいな」
「課長・・」
「返事は?」
「・・・・ハイ」
大人しく返事をすると同時に、よし、という相槌と共に、今度は頭を撫でられた。
一服してから戻るという緒方から、ドリンクの入ったコンビニ袋を受け取って、思い出す。
彼は結局煙草を買わなかったのだ。
「課長・・」
「なんだ?」
「買い忘れてません?煙草」
「・・・」
にやっと笑い返せば、ばつが悪そうに顔をそむけた緒方がさっさと戻れと手を振った。
★★★★★★
「あらら・・・眉間に皺寄せちゃって・・どうされましたぁ?」
喫煙ルームのドアを少しだけ開けて、中を覗き込んできたのは松尾だ。
コピー用紙のストックを取りに下の階に降りたら、たまたま緒方を見つけたらしい。
にやっと口角を持ち上げて問いかけてきた彼女を一瞥して、緒方は紫煙とともに重たい溜息を吐きだした。
それからまるで世間話でもするように切り出した。
「うちの高階についてた虫なら、追い払っといた」
「虫・・・あらら・・・駆除されたんですねェ。・・・どこで遭遇したんですか?」
興味津津と言った口調で松尾が食らいつく。
「コンビニで」
「・・・ああ・・・それでここ最近あそこのコンビニ避けてたのね」
「知ってたのか?」
ぴくりと眉を吊り上げて、緒方が口調を強める。
それに全く動じずに松尾は肩を竦めて見せた。
今の会社の設立時から勤めている数少ない事務員である松尾は、年齢こそ緒方と同い年だが、社歴は5年程彼女の方が長い。
中途採用で緒方が営業人生をスタートさせた時からの戦友でもある松尾には、役職が上になった今も頭が上がらない。
「ちゃんと必要な情報は流してますよ?」
「・・・せめて虫の出没予定場所くらい教えてもらえませんかね?」
嫌味たっぷりに言い返すもどこ吹く風だ。
「駆除したんだからいいじゃない」
あっさり笑って見せた松尾に、怒る気も失せて緒方は煙草をふかす。
こういう時でも、立ち上る紫煙が松尾に向かないように気遣うのが緒方らしい。
「高階も・・ガツンと言い返しゃあいいのに・・」
ぽつりと呟いた言葉を聞いた松尾が微笑む。
「・・・・それで、不機嫌なんですね」
「別に不機嫌じゃない、いつも通りだ」
理解不能とでも言いたげな口調で言い返してきた緒方の顔をまじまじと見つめて松尾は頷く。
この状態の彼に何を言っても無駄だというのは長年の経験でわかっているようだった。
実際、松尾と言葉遊び出来るほどの精神的余裕は緒方には残っていなかった。
何とも言えないむしゃくしゃした気持ちが胸の奥に溜まっていく。
二本目の煙草を吸い終わっても、気分転換は出来そうにない。
「心配した。って高階ちゃんに言いました?」
「・・・・・別に」
怪訝な顔で言い返した緒方の肩を遠慮なく叩いて、松尾は既婚者として適切なアドバイスを述べた。
「駄目ですよ、まず、それを言わなきゃあ。叱るより先に、まずはそれでしょ、部下にはちゃんと出来るのになんでこんな時に限って・・いい歳した大人が情けないわあ」
大袈裟に高笑いをしながら喫煙室を出ていく松尾を睨みつける。
どうしろと言うんだと、彼女に八つ当たりしなかった自分を褒め称えたい気分だった。
★★★★★★
シュークリームは甘くてふわふわでとびきり美味しかった。
なぜだか食べている間、ずっと胸がドキドキしていた。
緒方の背中を思い出すと、ギュっと苦しくなって言われた言葉を思い出してホッとする。
さっきからずっとそれの繰り返し。
あんなふうに庇って貰ったのは生まれて初めてだった。
ドラマの世界じゃあるまいし、男の人に声かけられるなんてウン万分の一の確率なのだ。
優月のような平凡な生真面目OLは特に。
というか、学生だった頃から、ずっとそうだった。
昔から、恋の話で盛り上がるきらきらした女の子たちを、羨ましい気持ちでちょっと遠目から見ていたのだ。
けれど、実際声を掛けられて見て分かった。
そういう出会いに自分は完全に向いていない。
食事に誘われて距離を縮めていって交際するならともかく、あんなコンビニで偶然出会っただけで軽くお付き合いを始められるほど身軽ではない。
さっきの出来事を反芻しながらしみじみ思う。
流されて”ハイ”なんて返事しなくて本当によかった。
ちゃんと(課長が)断って(くれて)よかった。
本当に課長がいてくれて・・良かった。
お礼を言うにも煙草を吸いに行ったまま戻ってこない緒方のデスクをぼんやり眺めていたら、背中から話し声が聞こえてきた。
松尾と緒方の声だ。
早速、いま食べたシュークリームのお礼を言うべく立ち上がる。
「あ・・課長!」
「おー」
優月の席までやってきた彼に向かって軽くと頭を下げる。
「シュークリームご馳走様でした。美味しかったです」
「良かったな」
「あと・・・さっきも・・ありがとうございました」
「あ・・ああ。まぁ、お前は部下だからな・・・当たり前だ。・・けど、今度からは先に言え。心配するだろ」
伸ばした手でポンと頭を叩かれる。
部下に対する心配で、ただの気遣いの一つに違いないのに。
一気に速くなった鼓動。
引っ張られるように赤くなった頬。
これはもう、見ない振りした確信から、逃げられないのかもしれない。
完全に、恋に、落ちた。
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