第6話 正しい牽制のススメ

緒方がどれ位優月を部下として気にかけてくれているのかは、痛いくらい理解していた。


けれど、それはあくまで上司と部下の関係だからこそ。


コンビニでの一件は、完全に優月のプライベートだ。


たかがあれ位の出来事で右往左往する情けない女だと思われたくない。


妙な意地と見栄が、相談する、という選択肢を真っ黒に塗りつぶした。


あのコンビニには行かないようにしている。


次にあの男と鉢合わせしてしまったら、上手く躱せる自信がない。


場数踏んだモテるタイプの女子ならば、華麗に捌いて見せたのだろうが、いかんせん優月はここ数年仕事だけしてきた真面目女子だ。


前職の時に少しだけお付き合いした取引先の男性とは、先輩の紹介で出会った。


当然軽口を叩いて来るようなタイプでは無かったし、慎重で誠実な人だった。


転勤をきっかけに短い交際は終了になったが、終始真面目なお付き合いだった。


だから、先日のあの男のような軽いノリがどうしても受け入れられない。


時代遅れだと言われようが、付き合うなら絶対に結婚を意識する。


数年後、数十年後も一緒に居られると思える相手でなくては好きにならないし、惹かれない。


だからといって、それを馬鹿正直にあの男にあの場で話して聞かせる訳にもいかなかった。


ただの知人程度の間柄の相手なのだから。


「あーもー・・・・」


うめき声とも唸り声ともつかない微妙な音色を響かせて、行儀悪く机に頬杖を突く。


「高階ぁ。机の上がエライことになってるぞ」


真横から声がして、無意識に声の方へ顔を向けて、固まった。


「へ・・・・ぎゃあっ!!」


こちらを訝し気に覗き込む緒方が、悲鳴を受けて顰め面になる。


「・・・人の顔見て悲鳴上げんなよ」


「・・・す・・・すいませ・・」


「なんだぁ、悩み事か?ストレス溜まってんのか?」


視線で示された先には、ノートの上に散らばったシャーペンの芯。


考え事をしていると、無意識に芯を出しまくる癖があるのだ。


いったいどれくらい意識を飛ばしていたのだろう。


「あー・・・そんなトコですー」


散らばった芯をまとめてもう一度シャーペンに直しながら曖昧に笑う。


ここで下手な嘘を吐こうものなら、ものの数十秒で緒方は見抜く。


だから、この返事は正しい。


「へーえ」


珍しいものでも見るような視線を向けられて、優月はジロッと緒方を睨み返す。


この状況の三分の一、いや、約半分は彼にあるのだから剣呑な視線ぐらい許されるだろうと勝手に判断する。


「あたしだって悩む時あるんですっ!!何か文句でも!?」


「あーわかった、わかった。そうキャンキャン吠えるな。ま、なんかあったら話せよ」


両手を上げて降参ポーズを取った緒方が、機嫌悪いなぁとぼやきながら席に戻っていく。


用事があるのかと思ったが、挙動不審な優月が気になって様子を見に来ただけだったようだ。


こういう事をされるから、尚更色々考えてしまうのに。


吐き出しかけた溜息を飲み込んで、今度こそ仕事に集中し直して、液晶画面に向き直る事暫く。


「たっかしなちゃーん。お茶、どう?」


「あ、すいません!入れます・・・」


松尾の声に慌てて立ち上がると、目の前に熱々のマグカップが差し出された。


中身は・・・ココアだ。


「ありがとうございます!すいませんっ」


「いーの、いーの。ちょーっとティーブレイクってことで」


にこっと笑って、そのまま立ち去るかと思いきや松尾は優月の隣りに椅子を移動させて腰かけた。


自分の分のマグカップを机に乗せると、ひょいと優月の顔を覗き込む。


そこにはでかでかと興味津々と書いてあった。


「・・・で?」


「・・・・え?」


「悩み事ならお姉さんに言ってごらんなさい」


大げさに両手を広げて見せる松尾が、実際どれ位頼りになるか、この一年半で嫌と言うほど理解していた。


優月が抱えた案件にオーバフローになりそうな時は、さりげなくフォローに回って、期日が迫った仕事を捌いてくれて、クレーム電話に半泣きになった時には気分転換に連れ出してくれた。


優月がこの一年半無事に仕事を続けれ来られたのは彼女の支えがあったからこそだ。


さっきの緒方と優月のやり取りを聞きつけて、心配してくれたらしい。


「聴こえてました?」


申し訳なく思いながら項垂れてみれば。


「んー・・・聴こえてないけど、頼まれた」


なんて返って来て、即座に誰からか答えに行きつく。


「・・・課長に?」


「ご名答ー。女同士のほうがいい話かもしれないからって」


「・・・・もー・・・お節介・・・」


適切かつ的確なフォローは緒方の十八番でもある。


さっき憎まれ口を叩いた事をほんのちょっと反省しつつ唇を噛み締めた。


「まーまー。可愛い部下が心配なのよー」


ひらひら手を振る松尾の笑顔は、緒方同様見ているだけでなんとかなると思えるから不思議だ。


彼女を妻に出来た顔も知らない松尾の夫が羨ましくなる。


優月はありがたく甘ったるいココアを一口飲んで、息を吐く。


「・・・・もしも、の話なんですけどね・・・・」


「うんうん」


「よく知らない人に付き合おうって言われたらどーします?」


「・・・・・興味がないならゴメンナサイ」


「ですよねー」


「ごめんなさいって言ったの?」


「・・・言い逃げしました・・・って、え、た、たとえ話ですよ!」


「ふーん・・・まあいいから、はいはい、たとえ話ね。で、それどこのオトコ?」


狙った獲物は逃さない眼差しを向けられて、渋々ガラス張りの窓の向こうに見えるビルを指さす。


「あの・・・向かいのビルの・・・営業マン」


「それから会ってんの?」


「だ・・だって昨日の話だし!!」


「あー・・・そう」


「か、課長には言わないでくださいよ!!」


そこだけは死守しなければと、必死の優月の形相に、松尾はにっこり微笑んで頷いて見せた。


「なんかあったら早めに言いなさい。この手の話題は苦手でしょ、高階ちゃん」


「・・・すいませんね・・恋愛経験少なくて」


「あら、いいじゃない慎重な女の子私は好きよー」


ひらひら手を振って自席に戻っていく松尾の言葉は、優月の心を少しだけ軽くしてくれた。



★★★★★★



結局、コンビニの彼とはそれ以降遭遇することはなく、数日が過ぎた。


お昼休みも、終業後も、向かいのビルの前を通る時には小走りになっている。


暫くこの状況が続きそうだ。


次に顔を合わせても、愛想笑い出来る自信が無い。


「高階、ちょっと付き合えー」


フロアの入り口から手招きされて、キーボードから指を離して立ち上がる。


「またコピー機の調子悪いとかですか?」


支店のコピー機はリース期限終了間近のせいか日によってパフォーマンスが変わるのだ。


今週アタマから不調が続いていたのだが、不思議と今朝は通常稼働だった。


「今日はすこぶる機嫌良いみたいだぞ」


「じゃあ・・・あ、わかった資料庫の整理でしょー」


毎年刷られるパンフレットや会社概要のストックを置いておく小さい倉庫は備品や消耗品の置き場にもなっていて、常に雑然としている。


時間を見つけて少しずつ整理するようにしてはいるもののここ数カ月は放置しっぱなしになっていた。


夏季休暇と冬期休暇の前の大掃除で整理整頓はする予定なのだが、気になったのかもしれない。


背の高い緒方の後を追ってフロアを出る。


と、なぜかエレベーターホールに向かって彼は歩きだした。


倉庫は真逆の方向にあるので目的地は異なるようだ。


「あの・・・課長・・・?どこ行くんですか」


「ん?たまにはお菓子でも買ってやろうと思ってな」


ちらっと振り向いて優月を見下ろして、課長が到着したエレベーターに乗り込む。


「え・・・お菓子って、お菓子?」


「ああ、ケーキでも、ジュースでも、コーヒーでも好きなもん買ってやる」


子供の機嫌を取るような口ぶりに、素直に乗っかって手を叩く。


カフェオレもそうだが、この支店の営業たちはちょくちょく事務員へお菓子を差し入れしてくれる。


日々のサポート業務への感謝の気持ちなので、毎回有難く頂戴していた。


「わーすごい嬉しい!!てっきり資料庫の整理頼まれるんだと思った!!」


「あー・・それもそのうちな」


「げ・・・すぐに忘れてください、いまの言葉」


「出来るか馬鹿。次の監査までにな」


「えー・・・ケチ」


「お前なぁ・・・奢ってやろうとする上司に向かってケチとはなんだケチとは」


「あっ!すいません!嘘です、嘘。めっちゃ優しいです、課長は!常に!!」


「しらじらしいっつの」


呆れ顔で言って、一階に到着したエレベーターから出ていく緒方が、早く来いと手招きする。


「そんなことないですってば・・・って課長はコンビニで何か買うんですか?」


「え・・・あー・・ああ。煙草、切れそうだから買おうと思ってな」


「珍しいですね、いっつもストック置いてるのに」


ダース買いしている煙草が机の引き出しに入っている事は、入社した頃から知っている。


口が寂しくなるタイミングも、この一年半で大体分かって来た。


「たまたま切れたんだよ」


エントランスを抜けて目の前の信号を渡る。


すぐ前に見えるコンビニに入っていく緒方を無意識に追って、優月はそこで我に返った。


「あ・・・か・・・課長っ」


立ち止ったままの動かない優月に向かって緒方が手招きする。


「なんだ?なにをぼーっと突っ立ってんだ、行くぞ」


いや、ちょっと待って、と言うより早く彼がコンビニの自動ドアの向こうへと足を踏み入れてしまう。


一番近いコンビニだし、当然一番よく利用するコンビニでもある。


わざわざ遠いコンビニまで歩いていく理由はないので、緒方の選択には何も間違いはないのだが、優月的には非常に困る。


コソドロよろしく不自然に俯いて、横髪でわざと顔が見えにくくしてから、緒方の後ろに小走りで近づいた。


こうなったら一刻も早くここから出ていくに限る。


「ほら、お前の好きなシュークリーム」


手にしたかごにバニラビーンズ入りのシュークリームを放り込む緒方には迷いが無い。


前回、松尾と二人で緒方にランチをご馳走になった時に、帰り道買って貰ったのがこれだった。


カスタードクリームは、バニラビーンズが入っているのがいい、と話した事を覚えてくれていて、それ以降優月にシュークリームやエクレアを買ってくる時にはいつもバニラビーンズ入りのものが届けられる。


本当によく人の事を見ているのだ。


覚えててもらって有難いです!ともっと感謝を示したいところだが、優月はさっきから店に入ってくる人のほうが気になって仕方ない。


午後4時近いこの時間帯に彼と会ったことはないので、恐らく対面はしないだろうと思うのだが、それでも気が気ではない。


そんなこっちの気も知らずに緒方は次々とお菓子や飲み物をチョイスしていく。


せめてかご位持ちます!と、緒方の手からお菓子が盛りだくさんのそれを奪い取った。


コンビニ菓子とはいえ、結構な額になりそうだ。


「後、アレだな。グレープフルーツのジュースだろ?ミルクレープとチーズケーキも買って帰るかぁ」


新作と名のつくお菓子を手当たり次第取りながら問われる。


「そ・・そんな一気に食べれませんってば」


「いやいやいや、いけるだろう」


「ちょっとー!!」


「日持ちするもんは冷蔵庫放り込んどきゃいいよ。あと、松尾さんの飲みモンなんか選んでやれ」


そう言って、営業用の缶コーヒーを見に行く緒方を横目に、小さく息を吐く。


今朝緒方の机には、新しい煙草が一箱置いてあった。


スーツのポケットに常備している残りが少なくなっていたとしても、今日一日で吸い切ってしまう程のヘビースモーカーではない。


だから間違いなく、ここに来たのは優月の為だ。


この人の部下で良かったとしみじみ思う。


「課長・・・」


「んー?」


「さっきの嘘です」


「なにが?」


各営業の好みに合わせて、微糖、無糖のコーヒーを選りすぐる彼は優月のほうを見向きもしない。


だから、余計に良かった。


いつもの自分なら、言えないようなことも言えてしまう。


ちゃんと察して気遣ってくれる人がいるから、だから、大丈夫だ。


「課長は、やっぱり優しいです。ケチじゃない・・・・いつでも、めちゃくちゃ優しいです」


「なんだ・・・今頃気づいたのかぁ?」


「え?」


「俺は、いつでも優しいよ」


さも当然のように自信たっぷりに言い返されて、優月は思わず声を上げて笑った。


気持ちも軽くなって、松尾の好きなメーカーの紅茶のペットボトルを手に取る。


と同時に真後ろから声がした。


「奇遇だね」


「・・・!!!」


ぎょっとなって振り向いた先には、やっぱりあの日の彼がいた。


相当驚いた顔をしていたようだ。


優月の顔を見つめながら、苦笑交じりで口を開いた。


「そんなに驚かなくてもいいじゃない。こないだはいきなり走って行っちゃうからびっくりしたけど・・・性急すぎた?」


「・・・あ・・・あの・・・」


どう答えるべきかと、咄嗟に視線を彷徨わせる。


緒方は奥のコーヒーのコーナーにまだいる。


こんなとこ絶対に見られたくない。


優月のその仕草が迷っているように見えたのか、彼が一歩優月のほうへ近づいた。


さらに距離を詰めるように顔を近づけられて、慌てて後ろ足で下がる。


「そんな硬く考えなくてもいいじゃない。相性、悪くないと思うよ。俺たち」


「そうじゃなくて・・・こないだはびっくりしちゃって・・・困るんです・・・ほんとに・・すいませんけど」


早口に言い切って、さらに後ろへ下がる。


すると、追いかけるように彼が足を踏み出した。


そこで止まっててよ!と叫びそうになる。


「俺、困らせるようなこと言ったかな?」


「だからっ・・」


今の言葉で理解してくれと言い募ろうとした矢先。


「あのなぁ」


急遽割って入った声は、紛れもなく緒方のもので。


優月はその声に、思わず泣きそうになってしまった。


振り仰いだ先で緒方が優月のほうにチラッと呆れたような視線を向ける。


それからすぐに、彼へと向き直った。


「すでにこの時点で困らせてるって分らんようじゃあ、一人前とは言えないぞ。諦めて、他所探しな」


「・・・は・・・?」


ポカンとした表情で緒方を見つめる彼の視線を綺麗に無視して、彼が優月の手からかごを取り上げる。


「みんな待ってる。帰るぞー」


「・・・あ・・・はい」


いつものトーンで呼ばれて、呆然とする男に軽く会釈して緒方の後に続く。


手にしたかごを見下ろして、緒方が可笑しそうに頬を緩めた。


「しっかし買い込んだなぁー。お前アレだな。これだけ食ったら2キロは太るな」


「なっ・・ほんっと失礼ですから!!」


「いいいい。俺は昨今のスレンダーブームに飽き飽きしてんだよ。お前はもうちょっと肉を付けろ」


「余計なお世話ですっ」


「軽いものと、飲み物に袋分けてください。大事にお菓子抱えて帰れ」


シレっと言って財布を取り出す緒方の横に並びながら、いつのまにか、その背中に抱きつきたいと思う自分がいた。




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