第5話 正しい恋愛観のススメ
「えーっ。高階さんて彼氏いないの!?」
「・・・いません」
それが何か問題でも?
ジロリと視線を突き刺してみても相手は一向に怯まない。
出会いの場においてこういう質問には慣れ切っているので動揺なんて皆無だ。
そして大体次の言葉は
「長く付き合ってる彼氏いそうなのにねー」
と来るのだ。
可愛いのに勿体無いね、とか、選り好みしてるんでしょ、と続けられたら、仕事が忙しくてなかなか出会いが、とお見合いでの常套句のような台詞を返すのが定番。
フリー確定と同時に向けられる視線は、同情もしくは査定。
此処で万一
「でも、ひとりもいいもんですよー、気楽で」
なんて言おうもんなら、間違いなく”負け犬の遠吠え”扱いだ。
驚いた顔をしてくれた彼に曖昧な笑みを浮かべながら、この視線は憐れみか、値踏みか、もしくは好奇心のどれだ?と考える。
向かいのビルの同世代の営業と知り合ったのは2週間前のこと。
行きつけのコンビニで、払込用紙落とした優月をたまたま追いかけて来てくれたのが彼だった。
何となく自己紹介されて、優月も流れで苗字だけ名乗って、それから顔を合わせれば挨拶するくらいの仲になった。
愛想も良いし感じも良いのだけれど、不思議と異性として惹かれない。
悲しい事に、営業一課は見た目も実力も先鋭揃いなのだ。
そこそこ雰囲気が良い男の子と言うだけでは、全く魅力を感じなくなってしまったのは、彼らのせいに他ならない。
しかも、ここ数日寝ても覚めても緒方の事が頭から離れないのだ。
仕事が出来て頼りになる男の代表格を最初に意識した優月の負けだった。
昼休みがずれこんだ午後2時という中途半端な時間にコンビニに来たのがマズかったのかもしれない。
タイミング悪くお店の中は二人きり。
いつもの満員の店内ではとても世間話なんてする雰囲気じゃないけれど、さすがに貸切状態のコンビニで会釈だけで立ち去るわけにもいかない。
なんとかく話始めたらいつの間にかそんな話になったのだ。
「誰とも付き合う気、ないの?」
不意打ちで繰り出された質問。
こんな風に問われて、ありませんと答える女子はまずいないに違いない。
「そういうわけじゃあ・・・」
別に好んでひとりでいるわけではないし、たまたま、ピンと来る人がいないだけだ。
これから先の人生を完全にひとりで生きていけると信じられるほど子供でもない。
最後までひとりだと思い切れるほど大人でもない。
どこかで素敵な出会いがあれば、とは思ってはいる。
が、出会って二週間で挨拶しかしたことの無かった相手からの質問としては、少々ぶしつけではなかろうか。
非常識だと思われない程度の穏やかさで応えた自分の対応力はなかなかのものだと思う。
こういう場合次に出てくる台詞は
「じゃあ、ウチの独身紹介しますよ!」
だ。裏を返せば”合コンのメンバー集めて下さい”何度となく経験してきたから分かる。
前の職場は女子の宝庫だったので、よろこんで、と承れるが、生憎今の職場は男性ばかりだ。
一番仲の良い松尾は既婚者だし、他に気安く声を掛けられる女子社員はいない。
上手く断らなくてはと、考える優月に向かって彼が切り出したのは
「じゃあ、俺なんてどう?」
という一言だった。
「・・・・・・・へ?」
素っ頓狂な声を上げて相手の顔をまじまじと見つめる。
「お互い仕事場も近いし・・・どーかな?」
「あの・・・・」
なんの冗談だ、これは?
思い切り変化球を投げられて、処理しきれない。
「そんな、悩むとこ?まずは、付き合ってみようよ」
ちょ・・ちょっと待って、流されるな。
そんなコンビニでお菓子選ぶみたいな・・・そんなんなの最近の恋愛!?
考えること3秒。
出てきた答えはもちろん。
「・・・そ・・・そんな簡単に誰かと付き合えません!!」
言うなり優月は財布を握り締めて脱兎のごとく駆けだした。
こんな形で気軽に押されると困る。
恋愛から遠ざかり過ぎていて逃げの一手になってしまう。
でも、でも、でも。
エレベーターを待てずに階段を息を切らして駆け上りながら思う。
恋愛をおままごとみたいに扱うのは違う。
夢見がちでも、なんでも。
自分が好きだと思える相手と、ちゃんと付き合いたい。
そうなれるような相手を選びたい。
だから、あの人は違う。
ああいう軽いノリもいいのかもしれないけれど、余りにも価値観が違い過ぎる。
この答えは正しい、今の自分の気持ちに正直でいていい。
正解だ。
”適当”に誰かと恋を楽しむくらいなら喜んで”ひとり”を選ぶ。
それくらいのプライド、なくてどうする。
踊り場で立ち止まって、残り十数段を駆け上がろうと気合を入れていたら、上から声が降ってきた。
「ダイエットでも始めたのかぁー?」
意地悪な声は、今一番優月が会いたくなかった人のものだった。
解けかけた緊張の糸が、一気に緩んでしまいそうになる。
どうした?と訊かれたら、上手く答えられる自信が無い。
「課長こそ、なんで階段なんですかっ」
睨みつけるように声を張って、両足を踏ん張った。
緒方の姿が見えて、一瞬でもホッとした事がばれない様にきゅっとお腹に力を込めた。
「4階に煙草買いにな」
「そのうち肺がんなりますよ」
「煙草が1000円になったらやめるよ」
苦笑いしながら優月が上がってくるのを待っている。
「別に、課長が肺がんになってもいいですけど、一応身体は大事にしてください」
息整えるためにゆっくりと踏みしめるように階段を上る。
そのうち呼吸も気持ちもだんだん冷静さを取り戻してくる。
「・・・一応ってなんだ、一応って・・・」
呆れ顔で言って、緒方が優月の顔を覗きこんだ。
「なんかあったか?」
ヒールの分視線が近いから、余計に逃げられない。
後ろに下がるのも癪だから、視線だけ逸らす。
今日は久しぶりに高めのヒールを選んだ事を今更ながら後悔した。
「・・・なんでですか」
なんで分かるんだろう・・・必死に隠してんのにっ!!
このまま目線を合わせなければ、彼の中で何かあった事が確定してしまう。
それだけはどうしても避けたかった。
じりじりと壁伝いに移動して、緒方と入れ替わりにフロアの端にたどり着く。
「た、大したことじゃありませんっ!」
それだけ言って立ち去るのが精一杯だった。
★★★★★★
どんな心境の時でも、回って来る伝票が止まることは無いし、電話が鳴りやむこともない。
自席に戻れば必然的に意識は仕事モードに引っ張られて、さっきの出来事は一端頭の片隅に追いやる事が出来た。
いつも以上に夢中になってキーボードを叩いていると、斜め前の席から声が掛かった。
「高階ー、悪いけどこの見積もり・・・・どうしたの・・・?」
書類を持って隣にやって来た丹羽が優月の顔を見て目を丸くする。
「・・・なにか?」
静かに問い返したら、まっすぐ顔を指差される。
「顔が・・・おかしい」
「・・・はい?」
思わず眉間に皺を寄せると、慌てて彼が訂正する。
あの後ちゃんとトイレで化粧直しもしたし、いつも通りのはずなのに。
「じゃなくて・・・なんでそんな無表情装ってんの?」
「・・・私、すぐ顔に出ますか?」
「え?」
「・・・課長に言われたんです。なにかあったのか、顔見たらすぐに分かるって」
優月の質問に、勝ち誇った笑みで答えた緒方。
『ある意味うちの部署で一番分かり易いな』
とまで言われたのだ。
これでも、公私の区別はきちんとつけてるつもりだった。
どんなクレームに当たっても、冷静に対処しているつもりだし。
無茶言われても、投げださずにやってるつもりだ。
盛大に悔しがる優月を横目に、丹羽は顎に手を当ててなにかを考えるような仕草を見せた。
「へー・・・・あー・・・・まぁね」
「まぁって・・・やっぱりそうなんですか!?」
噛み付かんばかりに問い返した優月の肩を宥めるようにぽんぽんと叩いて丹羽が微笑んで口を開く。
「俺は、そんなにわかんないよ。さすがに明らかに落ち込んでる時は分かるけど・・・緒方さんは、特に部下である俺達のことよく見てるから」
「あー・・・・」
確かに、思い当たる節がありすぎる。
「納得した?」
「・・・ハイ」
「緒方さんの台詞を通訳するとね。隠したってバレるんだから、困ったことがあるなら相談しろってことだよ」
相談。
これまで仕事の事なら誰より先に緒方に相談してきた。
どんな些細な事でも残さずに。
けれど、今回ばかりは、ちょっと二の足を踏んでしまう。
穏やかな丹羽の顔を見上げながら、優月はこっそり溜息を吐いた。
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