第4話 正しい上司と部下のススメ

好きじゃないし、ありえないし、あっちゃいけない。


けれど、社内規定に、社内恋愛禁止とは書かれていないし、実際社内結婚したカップルも何組かいるそうなので、あっちゃいけない事はない。


が、同じ課内のそれも直属の年上の上司に片思いなんて、一番可能性が低いやつだ。


気持ちを隠すのだって相当苦労するだろうし、万一うっかり告白して振られたりしたら、それこそ会社に来れなくなる。


仕事と恋の両方を失った後の末路なんて考えたくもない。


実家に戻るという選択肢だけは絶対に選べないので、何がなんでも仕事は続ける必要があるのだ。


だから、やっぱり好きじゃない、という結論にしなくてはいけない、のに。


必死に平静を装って朝からいつも通り仕事に打ち込んで、余計な事は考えないようにしていたのに、今日に限って緒方から振られる仕事が多い。


確認の度に席に向かう自分の頬が赤くなっていやしないかとドギマギしてしまう。


真顔を作ろうと必死に眉間に力を入れれば、緒方に不機嫌なのかと尋ねられるし、踏んだり蹴ったりだ。


普通の上司と部下の距離感で、確認事項をしていたさっきだって、目が合うたび息が止まりそうになった。


今でさえこの状況なのに、好きだと認めたら・・・


「きゃあああー!!」


有り得ない!!ほんとにない!!


本気で出社できる自信が無い。


告白どころか挨拶すらまともに出来ないに決まっている。


「高階ー!なぁに叫んでるんだお前はっ」


給湯室で食器の片付け中だった優月の叫び声を聞いて慌てて飛び込んできたのは、話題の(優月の中でのみ)緒方課長。


「な・・・なんでもないですっ」


ガシガシとスポンジで湯飲み茶碗を乱暴に擦り洗う。


「お前はお茶も落ち着いて入れられんのか」


呆れ顔で言われてムっと言い返す。


「お茶入れてませんっ。片付けしてたんですー」


緒方の軽口に慣れてからは、可愛い受け答えよりも先に、いつも憎まれ口ばかりが出てしまう。


ほらやっぱり、恋なんて起ころうはずもない。


あれは錯覚よ、幻よ、誤解よ。


全ての湯飲み茶碗を洗い終えて、水で流しながら自分の煩悩も流れてしまえ!と必死に念じる。


「減らず口叩くな」


「課長が文句ばっかり言うから・・」


「それはお前だろが。つーか、緑茶」


「えー」


まさに今湯飲み茶碗を綺麗にしたばかりなのに。


「膨れるな、むくれるな、不貞腐れるな。とっとと入れろ」


顎をしゃくって言い返した緒方を無言のままにねめつける。


こんな返しが出来るようになったのは、一年が過ぎた頃からだった。


「・・・」


思いきり不機嫌な表情で緒方を見返す優月の頭を子供にするようにくしゃくしゃと撫で回して、緒方続ける。


「俺は喉乾いてんの、ほら、早くしろ」


そう言って、優月の肩に手を移動させてぐりんと方向転換させた。


正面には電気ポットが置かれている。


毎朝、女子社員が当番制で水を入れておくことになっているのだ。


「はーい。すぐお持ちしまーす」


思いっきり渋々返事してお茶っぱの缶に手を伸ばすと同時にもうひとつ別の声が聞こえた。


「高階、大丈夫?ゴキブリでも出たとか?」


課長の右腕である丹羽が、給湯室を覗き込んで来る。


さっきの悲鳴を聞きつけて心配して様子を見に来てくれたようだ。


振り返って口を開く前に緒方がすかさず言い返す。


「あー違う違う。なんでもないとさ。そもそも、ゴキブリなら一撃で仕留めるだろ、な?」


「ちょっとー!?私、ゴキブリ大の苦手ですけど!!」


「へー・・・そう」


「なんですかっその意外そうな顔は!?」


ムキになって言い返すと、丹羽が慌てて緒方の前に出てきた。


「高階って、ゴキブリ見つけたら絶対やっつけそうなのにね」


「・・・・図太いって意味ですか?」


「しっかりしてるって意味だよ」


にっこり笑って言われてしまえば怒るわけにもいかず。


苦手なものくらいあるんです!!怖いものだってあるんです!!


悔し紛れに地団駄踏んで言い返す。


「ちょっと!!私も女の子なんですけど!一応!!」


「知ってるって、分かってるって」


お腹抱えて笑い出した丹羽が、ごめんごめんと口先だけの謝罪を口にする。


あたし間違ってます?と剣呑な視線で、20センチ近く上にある緒方を睨みつけてやった。


やっぱり好きとか一瞬でも思った自分が情けない。


「一応な」


「・・・・もーお茶なんか入れませんからね!お湯でも飲んでりゃいーんですよっ!!課長の馬鹿!」


「俺だけかよ!丹羽も同罪だろー」


「知りませんー!!」


プイっとそっぽ向いたら、すかさず伸びてきた手に頭をポンポン叩かれる。


「悪かったって」


「まだ笑ってるし・・」


「言っとくけど、俺は笑ってないからね。女の子笑うなんてするわけないでしょ」


肩をすくめて丹羽がしれっと言う。


それから、意味深に緒方の方を見て口角を持ち上げた。


「緒方さんは相手が高階になると、遠慮が無くなるからなぁ」


「・・・どーゆー意味ですかっ?」


「さぁ?」


はぐらかすように笑って、丹羽が先に給湯室を出て行く。


「あ、高階。ついででいいから俺にもお茶入れてほしいな。頼むね」


緒方はというと複雑そうな顔をして丹羽をひと睨みした後


「緑茶な」


と言い残して同じように出て行ってしまった。


一人残された優月はお茶っぱの缶に八当たりするしかなかった。


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