第23話 潜入

トンネルの前の広場では、ドレア人たちの祈りが続いていた。立ったまま両手の人差し指を立てて、天を指す。それから跪き、大地に頭をつけて祈る。その繰り返しだ。


 伽藍堂となった地下街ではネイピアとジューゴがドレア人たちの住居に侵入していた。


「ロマはいたか? 坊や」


「いねえ。おっさん、そっちは?」


「はぁ。何もねえよ」


 ドレア人の家のリビングでネイピアとジューゴは顔を突き合わせていた。


「しかし、相当匂いがきついぜ。覚悟はしてたけどよ」ネイピアが言った。


「黙って探せ!」ジューゴが睨んだ。


 まるで排水溝に顔を突っ込んだような気分だった。ネイピアは吐き気すら感じていた。


 しかし、これだけの臭気を撒き散らしているのにドレア人の家の中は整理整頓が行き届いていた。すでに何軒かまわったが、どこも同じだ。


 ベッドがありテーブルがあり棚があり椅子がある……ネイピアの部屋と何ら変わりなかった。いや、むしろ綺麗だった。壁に汚れやシミはないし、ゴミも落ちていない。あくまでも見た目は、だが。


「おっさん、何が臭えんだ? 不思議だよ。匂いそうなもんなんて見当たらねえのによ」


「お前は匂いの元を探すためにここに来たのかよ! 遊んでねえで向こうを探せ‼︎」


「……そうだったな。すまん」


 ゴンドラが積み重なったような幾何学的な形の住居を、ネイピアとジューゴは手分けして捜索した。走り回ってやみくもに調べてもダメなのは明白だったが、何の伝手もない中では、他にやりようがなかった。


「くそ、こんなんじゃいつまで経っても終わらねえ」ネイピアは肩で息をしながら言った。


「これがお前の作戦か? ご自慢の頭を使えよ、坊や」ジューゴは怒気を込めて睨みつけた。


「使いようがねえんだよ! おっさんよ、知ってるか? 手がかりがねえとローラー作戦ってやつをやるしかねえんだ。しかも、ローラー作戦は大人数でやるもんだ。二人でやるもんじゃねえ」


「ゴタクはいいから、何か考えろよ!」ジューゴは苛立ちをぶちまけた。


 ネイピアは考える時の癖で天を仰いだ。暗い地下空間があるだけだった。


「おっさん、方向感覚はある方か?」


「あ?」


「船着場の方はどっちか分かるのかよ」


「え?」


「まずは、船着場へつながる隠し通路を見つけよう。ロマがここにいるのなら、そこを通ってるはずだ。そこを始点にして探すんだ。俺たちの逃げ道も確保できる」


「あっちだ。多分……」


「多分? 頼りねえおっさんだぜ」


「うるせえ! 嫌なら自分でなんとかしな!」


「できるわけねえだろが!」


 その時、上からザワザワと声が聞こえて来た。


「ヤバっ! 戻ってくるぜ、おっさん」


「坊や、急ぐぞ」


  薄暗い道を二人は走っていった。十分ほど走ると行き止まりになった。


  ジューゴは壁に耳を当てた。ごぉおおおと轟音が地鳴りのように響いてくる。


「この先はトロヤン川だ」


「じゃ、この壁沿いに行くと船着場の下に出るってことか」


「もう少し、左に行ったあたりだろうな」


「おっさん、すげえぜ。見直した!」


「うるせえ!」


 もう人の気配がそこまで迫っていた。この地下街の住人たちが自分たちの家に戻って来ているのだ。

 ネイピアは壁にはしごが架かっているのを見つけた。その上の部分にわずかだが、光が漏れている。


「おっさん、見ろ! あそこ」


「ああ、間違いねえ」


 二人で急いで登る。登り終えると、そこには人一人がようやく通れる幅の穴があいていた。


「隠し通路だ!」ネイピアは興奮を隠しきれず叫んだ。


「よし、坊や、お前から行け」


 通路の上は腰をかがめないと頭を打ちそうな高さだ。ネイピアを先頭に中腰で走りながら二人は進んだ。途中、ジューゴは頭をしたたか打ちつけていた。


「おっさん、大丈夫か?」


「うるせえ!」


 やがて扉にたどり着いた。


「ここだ! ここから出られそうだ」


 ネイピアが扉を開けようと手を伸ばすと──


「あら……」


 なんと勝手に開いた!


 そして、向こう側から人影がぬっと出て来た。そして、その人影もこちらを見て驚いた様子だった。


「ぎゃー、モウラ、レーラ! モウラ、レーラ!」


「は? なんでお前が……」


 そこに立っていたのはエレメナだった。


「ネイピア大尉? なんでネイピア大尉が⁉︎」


 困惑しているネイピアとエレメナをジューゴが覗き込む。


「誰だ? この姉ちゃんは? お前の知り合いか?」


「エレメナちゃんっていうんだ。新聞記者だよ」


「新聞記者だと⁉︎」


「ネイピア大尉、無事だったんですね‼︎」エレメナはネイピアに抱きついて言葉を続けた。「よかった……本当によかった! 心配しすぎておかしくなりそうでしたよ。仕事も手につかないし……巡察隊に探りを入れても情報がとれないし……でも、絶対にネイピア大尉は生きていると思っていました。生きて戻ってくるって信じてましたぁ! うううう」途中から声が震え始め、最後は泣いていた。


「そんなに心配してくれてたの? ありがとな」ネイピアは顔がほころんでいた。そして、ギュッとエレメナを抱きしめた。


「おい!」ジューゴが二人の世界に水を差す。


 ネイピアとエレメナはジューゴの方に顔を向けた。


「ああ、あなたは自警団長さん。私、会ったことあるんですけど、忘れちゃいました? 取材に行ったんですけど」


「知らん!」


「えー! 何度も訪ねたのに!」


「うるせえ!」ジューゴは相手が女性だろうとお構いなしに怒鳴った。


「ひぃ」エレメナはジューゴの威圧感に思わず身をすくめた。


「エレメナちゃん、気にするな。このおっさん、人の顔も見ねえで『うるせえ』しか言わねえからな」


「確かに。その時も『うるせえ』って言われましたー」


「うるせえ!」


「ひぃ」


「おっさん、新聞記者にいいイメージがねえんだろうけどよ、エレメナちゃんをそこらへんのヘボ記者と一緒にすんな。エレメナちゃんは何を隠そう街灯の記事を書いてくれた敏腕記者なんだぜ」


「……信頼できるのか?」さっきまで眉間にシワが寄って凶暴な犬のようだったジューゴの表情が少し緩んだ。


「俺は信頼してる」ネイピアは胸を張って言った。


 エレメナはポッと顔を赤らめた。


「お前らデキてんのか?」


「そういうんじゃないんです。あくまでもビジネスパートナーというやつです。ビジネスパートナー。分かります? 団長さん」


「うるせえ! どうでもいい!」


「っていうか、すごい組み合わせですね。巡察隊と自警団が一緒なんて、明日世界が滅ぶかもしれないですね、アハハ」


「エレメナちゃん、俺も本当はこんな偏屈親父と一緒にいるのはイヤなんだが、俺たちはロマがここから地下街に逃げたと考えてる」


「へー! そうなんですか⁉︎」


「え? エレメナちゃんもロマの足取りを辿ってここに来たんじゃないのか?」


「違いますよ。私はちょっと実家に用事があって」


「実家ぁ⁉︎ 実家って、地下街にあるのか?」


「そうですよ」


「……エレメナちゃんって、ひょっとしてドレア人?」


「ハーフです。お母さんは違うけど、お父さんがそうなんですよ」


「マジかよ! さっき訳の分からねえ言葉を叫んでたけど、それってドレア人の言葉なのか?」


「ああ、『モウラ・レーラ』のことですね。ドレア人の信仰する神様なんです。つい口に出ちゃいました」


「そっか。いろいろ聞きたいことが盛り沢山なんだが、後回しにして、とりあえず頼みたいことがある。まずは外に出よう。エレメナちゃん」


「え? 私、実家に帰るんですけど」


「いいだろ、後回しで」


 ネイピアはエレメナの背中を押して、先を進んだ。すぐにつきあたり梯子があった。そこから五メートルほど上に伸びていた。


 上りきると小さな部屋のような場所についた。


「行き止まり?」ネイピアが聞いた。 


「いいえ。ちょっとコツがいるんですけど」


 エレメナは足元にあったペダルのようなものを腰をひねりながら押し込んだ。すると、目の前のブロックが回転し始めた。扉が開き、光が差す。そこは、火災が起きたタッカー・ヴォルドゥの宿屋にほど近い船着場だった。


「マジか。ここに出てくるのかよ!」ネイピアが感嘆の声を漏らした。


「ここだけじゃないですよ。ベルメルン中に通路が……あ、これ言ってはいけないんでした」エレメナが言った。


「噂は本当だったわけだ」ジューゴが言った。


「エレメナちゃん、ドレア人ってすげえな!」


「あの、通路のこと誰にも言わないでくださいね」


「ああ、絶対誰にも言わねえ。おっさんも大丈夫だ。な、おっさん」


「フン」


「で、頼みって何なんです? ネイピア大尉」


「実は地下街に入った時にドレア人の男に見つかって、そいつを気絶させて縛っちまったんだ」


「本当ですか⁉︎」


「エレメナちゃん、そいつを口止めしてくんねえか? バレたらいろいろ大変なことになる」


「いいですけど、お金がいります」


「金?」


「これはドレア人にとっては契約にあたるんです」


「いくらだ?」それまで黙って聞いていたジューゴが口を開いた。


「うーん……百ステアなら説得できると思います」


「高すぎねえか?」ネイピアが言った。


「すみません。そのあたりが相場かと」エレメナが頭を下げた。


「あ、ごめん。エレメナちゃんが悪いわけじゃないから」


「ホラ、こいつをそいつにくれてやってくれ」ジューゴが札をエレメナに渡した。「ただしこれは、口止め料じゃねえ。慰謝料だ」


「はぁ? 何言ってんだ、おっさん。正気か?」


 ジューゴはネイピアを押しのけ、エレメナの顔を覗き込んで言った。


「お前、地下街に顔はきくんだろ?」


 エレメナは気圧されて、目を丸くしながら答えた。


「は、はい。私、一応、地下街育ちですから」


「地下街をまとめてるヤツと話がしたい」ジューゴが言った。


「おい、おっさんよ、話が通じねえから、あんな危ねえ橋を渡って忍び込んだんじゃねえのかよ!」


「そうだ。だが、この娘がいるなら話は別だ。少なくとも話し合いの場は持てる。本来、人の縄張りに入る時は、断りを入れるのが筋だ。筋を通さねえヤツは邪道だ。邪道を進んでも良い結果は得られん。それに、今後のこともある。こんなことで地下街との関係に余計に亀裂を入れるのは避けたい。ちゃんと正面からロマの捜索への協力を頼むんだ」


「なるほどな。確かにおっさんの言う通りだ。エレメナちゃん、どうにかやってもらえるか? どうやらロマは地下街に逃げ込んでるみたいなんだ」


「……」エレメナの顔から表情がなくなった。


「エレメナちゃん?」ネイピアが心配そうに覗き込む。


「笑わせないでくださいよ」エレメナは冷たく言い放った。


「え?」ネイピアは今まで普通に会話していたエレメナが豹変したことに面食らっていた。


「筋を通せば分かりあえるとでも思ってます? 協力してもらえると思っます?」エレメナは早口で、明らかに怒りが見てとれた。


「違うのかな?」ネイピアはきょとんとしていた。


「ネイピア大尉、あなた軍人じゃないですか? おめでたいにもほどがあります。世の中、そんなに簡単だったら戦争なんて起きないわ!」


「……エレメナちゃん?」


「どんなことがこれまであったか……それはもう水に流せない。困った時だけ、こんな……そんなのってないじゃないですか⁉︎ ひどいじゃないですか⁉︎」


「すまん、軽はずみだったよ、エレメナちゃん。本当に、ごめんな」


「あなたが思ってる以上に……いろいろと……複雑なんですよ」エレメナは次から次へと湧き上がってくる得体の知れない感情を必死で押し殺しているようにネイピアには見えた。


「仲良くする必要はないさ。でも、敵対し合っていても、いいことなんかないだろ?」ネイピアは諭すように優しく言った。


「……」エレメナは何か言おうとしたが、言葉にできなかったようだ。黙って地下街への扉を開けて中へと消えた。


「俺が悪かった」ジューゴが絞り出すように言って沈黙を破った。


「そんなことねえよ、おっさん。俺だ。俺が悪い」


ネイピアはジューゴの方を見たが、ジューゴは俯いたままだった。


「俺たちベルメルンの市民がドレア人にしてきたことはおぞましい。決して許されることじゃない」


「俺たち? アンタはやってねえだろ? 俺には分かるぜ。差別ってのは心が弱いやつの得意技だ。おっさんは違う」


「知らん顔してりゃ同じことだ」

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