第22話 地下街
この世の果てにきたようだとネイピアは思った。
ジューゴの鍛冶屋から南東に伸びる道を三十分歩くと、街の喧騒から解放された。次第に建物はまばらになり、通りにはひとっこ一人いなくなった。石畳の道もいつしか途切れ、砂煙が舞っている。まるで廃墟の街にいるようだ。
前を歩いていたジューゴは振り返って説明を始めた。
「この辺りは昔、軍の官舎があってな。軍人相手の酒場なんかもあって賑わってたもんだが……」
「なるほどね。そりゃ来てみたかったねえ」
ネイピアは今にも崩れ落ちそうな石造りの建物の前に落ちていた酒場の色褪せた看板を見ながら答えた。
「で、お目当ての場所は? ロマはどこにいると踏んでるんだ?」
「そこだ」ジューゴがあごをしゃくった先には、錆び付いた鉄格子の門があった。
「ここも軍の施設だったのか?」
「ああ、武器庫だった」
「中に入れるのか?」
「門は開いたままだ」
ネイピアが目を凝らすと確かに、門はわずかに開いていて、出入りができた。
中へ入ると、百メートル四方の広場があり、砂埃が舞っていた。ガランとして何もなく殺伐とした雰囲気だった。少し進むと突き当たりにアーチ状のトンネルがぽっかり口を開けているのが見えた。高さも幅も十メートルを優に越えているだろう。トンネル内は緩やかな坂になっており、端には人の背の高さほどの木箱が雑然と並んでいる。おそらく弾薬を詰めていたものだろう。その先は暗くて見えない。
「この下は別世界だ。覚悟しろ」ジューゴの声が深刻に響いた。
「フン、地獄にでもつながるのかよ?」ネイピアは努めてあっけらかんと言ってみた。
「自分で確かめろ」ジューゴは薄暗い中を降りていった。
ネイピアも続く。坂道を下り終えると、巨大な二本の柱をくぐった。まるで神殿を思わせるようだ。
ガヤガヤと何やら雑踏の音が聞こえてくる。ネイピアはその音に吸い寄せられるように歩いて行くと、そこは展望台のようなスペースだった。そして眼下に見えたのは──地下街だった。
雑然と立ち並ぶ建物は真四角のゴンドラを幾重にも積み重ねたようで、その一つ一つに窓があった。点々と明かりが灯る薄暗い道を大勢の人間が行き交っている。外はまだ真昼間だというのに、ここはまるで夜の繁華街だ。ネイピアは下から見ると、四階建ての建物の屋上から見下ろしているような格好になる。
「すげえ……ここは一体何なんだ?」
「ドレア人街だ。あんまり顔を出すな。気づかれると厄介だ」
「ドレア人? マジか──」
ネイピアはジューゴの言う通りに顔を引っ込め、座り込んだ。そして、トーチカから索敵するように欄干の隙間から街の様子を伺った。
「何人くらい住んでるんだ? ドレア人は」小声でネイピアが聞いた。
「さあな。数千はいるだろうな」さすがのジューゴも小声だ。
「今のロキ大橋の土台を作ったのが、ここにいるドレア人だ」
「なるほど。ドレア人は建築技術に長けているそうだしな」
「ああ、見事なもんだ。何度も流されたロキ大橋が、ドレア人が手を入れた後はどんな洪水が来てもビクともしねえ。それがもう四十年前になるか。俺がガキのころのことだ」
「そんな英雄さんたちがなんでこんな薄暗いところに押し込められてるんだ?」
「分かるだろ?」ジューゴはネイピアをまじまじと見て言った。
「……まあな」
ドレア人というのは、大陸の北方、雪と氷に閉ざされた場所に住んでいた民族で、風変わりな風習と土着の信仰をつらぬいていた民族だ。しかし、その王朝は戦争に負け、ドレア人国家は解体され、その国民は散り散りになったと聞く。衛生観念が乏しいと言われており、数十年に一度流行し、多くの命を奪っていく疫病はドレア人が持ち込んだものだという話もまことしやかに流布されている。
ネイピア自身、ドレア人にはいい印象はなかった。遠征先の街で何度かドレア人の姿を見たことがあるが、みんな鼻がもげるほどの異臭を放っていた。
「お偉いさんたちが、どこからかドレア人を何千人も集めて来て、橋やら時計塔やらトロヤン川の護岸工事やらをさせたのはいいが、街の連中が不気味がってな」ジューゴが言った。
「まあ、無理もない。俺だってそうだろう」
「ドレア人の虐殺事件なんかも起きてな、自然と街中に住まなくなったと思ったら、ここに自分たちの街をつくってたってわけさ」
「地下街なんて初めて見たぜ」
「ドレア人ってのはすげえよ。ただの伽藍堂の武器庫をこんな風にしちまうんだからな」
「軍は黙認か?」
「そういうことだ。ロキ大橋のメンテナンスや、排水溝の整備なんかはいまだにドレア人がいないとできないからな。追放できないのさ」
「しかし、アンタを疑うわけじゃねえが、本当にここにロマが潜んでいるのか? 火事現場からここまで大分距離があるぞ」
「入口は通ってきたトンネルだけじゃねえんだよ。噂じゃ西街区中に隠し通路が張り巡らされていて、いろんなところから出入りできるらしい」
「船着場の近くにもあるのか?」
「確証はねえが、船着場はドレア人も使ってる。秘密の出入り口があったって不思議はねえさ」
「なるほどな。さあ、どうやってここからロマを探しだすかだなあ」
「問題が二つある。一つ目ドレア人には言葉が通じないこと。二つ目はドレア人は俺たちを憎んでいるということだ。何年か前、ここに物を売りに来た野郎がいた。ベルメルンに来たばかりの新参者でいろんないきさつを知らなかったんだな」
「そいつはどうなった?」
「死ななかっただけ運が良かったよ」
「ふうん、つまりドレア人以外は歓迎されねえわけか。じゃ、もしアンタの読み通りロマがここに潜んでいるとしたら、ロマはドレア人ってことだな」
「その可能性もあるだろうな。もしくはドレア人と取引をしているか」
「で、何か考えはあるのか?」
「それを考えるのはお前だろ? 俺はお前の頼みを聞いてこここまで案内してやったんだ」
「ケッ。一度退散だ。出直そう」
ネイピアが立ち上がった瞬間──目が合った。
トンネルをくぐって戻って来たであろう、そのドレア人は、ネイピアたちの姿を見て驚いていた。
長い顎髭をたくわえ、頭には動物の毛で編んだ帽子をかぶっている。服もフサフサの色違い毛で見事な紋様が描かれている。
ネイピアがかつて何かの書物の挿絵で見たドレア人そのものだった。
そのドレア人はネイピアを指差し、得体の知れない言語を発していた。
「マズい。他の連中に気づかれるぞ!」
ジューゴが言うのと同時にネイピアはドレア人に飛びかかった。口を手で押さえて声を出さないようにしながら、みぞおちに一発、拳を放った。あっけなく男は気絶した。見事な手際だった。
「フン、恐ろしいほど手慣れてるな。こんな野郎が巡察隊だなんて、笑わせるぜ。軍の特殊部隊のやり口じゃねえか」倒れた男を見下ろしながらジューゴが言った。
「まあ、そりゃそうだ。特殊部隊の出身だからなあ」
「そうかよ。じゃ、早いとこ特殊部隊で教わった手際でコイツを縛り上げろよ。目を覚ます前にな、ムキムキ坊や」
「じゃ、手伝ってくれよ」
男の口にネイピアのシャツを破ってこしらえた猿ぐつわをはめた。
手足はジューゴのベルトできつく縛った。
二人は気絶しているドレア人の前に立ちつくしていた。
「マズいな。ウン、よく考えるとけっこうマズいシチュエーションだ」
ネイピアは人ごとのように軽く言ったが、顔は険しかった。
「ドレア人の報復があるかもしれん」ジューゴが頷いた。
「けっこう酷い感じの、来るかな?」
「場合によっちゃ、俺たちだけじゃすまんかもな。街の奴らに迷惑をかけるのは絶対に避けなければ」
「こういう時、軍だったら間違いなく殺して口を封じる」
「しかし、こいつはベルメルンの市民の一人だ」
「だな。市民を殺すわけにはいかねえなあ、ウン」
二人そろって腕を組み、ため息がシンクロした。手立ては何も考えつかなかったのだ。
──ゴーン
けたたましい鐘の音が地下街に響き渡った。住居から一斉に人々が出て来て、通りに押しかける。
「なんだ? 警報か? バレたか?」ネイピアは剣を抜いた。
「いや、祈りの時間だ。全員が上の広場に出てくるぞ!」
「当然、ここを通るな?」
ネイピアの問いには答えず、ジューゴはドレア人の男をひょいっと肩で担いで言った。
「こっちだ!」ジューゴは散らばっていた木箱の裏にネイピアを呼び込む。
ドタドタと足音が近づいてくる。ネイピアが先に中へ入った。ジューゴも続いて、そこへ駆け込もうとするが、担いだドレア人が引っかかって中に入れない。もう足音はすぐそこだ。ネイピアは入口を広げようと全身で木箱を押すが、ビクともしない。ジューゴは足を踏ん張り男を抱えたまま肩で木箱を押した。すると、いとも簡単に木箱は動いた。ネイピアは空いたスペースに男を放り込み、飛び込むようにして身を隠した──
間一髪だった。
その前の坂を大勢のドレア人たちが登って行く。
ネイピアが息を切らして言った。
「アンタ、強烈だな。度を越した怪力だ」
ジューゴはその言葉を「フン」と鼻息で一蹴し、声を押し殺して言った。
「ドレア人たちは、毎日朝陽と夕陽に向かって、祈りを捧げるんだ」
「じゃ、もう夕方ってことか」
「全員参加のはずだから、地下街は空っぽだ」
「ほう。そりゃ素敵な情報だぜ」
ドレア人たちの移動が終わると、二人は木箱の裏に男を残したまま、欄干に架けられたはしごを伝って下の街へと降りていった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます