第8話 現場検証

火事現場の宿屋は一階が受付とロビー、二階と三階が客室だったそうだ。


ロビーと言うと聞こえはいいが、客の行商が引いてきた荷車置き場として使われおり、ほとんど倉庫のような状態だったという。一番激しく燃えているのがこの場所だ。ぎっしり置かれていたという荷車は跡形もなく、商品の燃えカスすらない。


──ここが火元か。


ネイピアはツンと鼻をつく匂いを感じた。油が燃えたのは間違い無いだろう。はて、ここに油があるのは自然なことなのか? ランタンにしては量が多すぎる。油売りの荷車がここに置いてあった可能性は? いやない。油売りはほとんどが地元の人間だ。同じ商人でもここに泊まる行商たちとは種類が違う。


──やはり放火だ。


「は、はは、は、班長」


 背後からラブローの声がした。ネイピアはただならぬものをその声色から読み取った。


「どうした? 死体でも見つけちまったか?」


「う、う、う、うしろ」


 ネイピアが振り返ると、瓦礫の下から手が覗いていた。半分焼け焦げてはいるが、確かに人間の手だ。


「行方不明の男だろうな。逃げ遅れたか」


「えっと確かフラーツ・ロマやったっけ」


 それは大きな柱の下敷きになっていた。ネイピアは動かそうと両手で抱えたが、諦めて手を離した。


「こりゃ重てえ。柱の上に乗っかってる瓦礫ものけないと無理だ。ラブロー、二人でやる……」


 両手についた炭を払っていたネイピアは驚きのあまり言葉を失った。ラブローが軽々と瓦礫もろとも柱を持ち上げていたのだ。そして、ネイピアを絶句させたのはそれだけではなかった。なんと本来、手がくっついているであろう体がない。それは死体ではなかった──肘から先の腕だった。部分的に炎による損傷がひどいが原型をとどめていた。


「班長、これは一体……、」


「これは焼けてバラバラになったんじゃない。剣でやられた切り口だ」


「ずいぶんと年季が入っちょる手ですね。シワだらけやし」


「きっと六十代より上だろうな」


「火事が起きよる現場で剣が振るわれたちゅうことですか? そげなことあるんやろか……」


「もしくは剣で襲撃したあとに、火を放ったか……とにかくこの腕の持ち主を探そう」


 その後、ラブローをはじめ巡察隊の若手たちは午前中いっぱいかけて、火事現場で腕の持ち主を探した。大量の瓦礫を運び出し、隅々まで目を光らせた。しかし、腕以外の部分は見つからなかった。


 一方、ネイピアは路地裏を辿り、一ブロック歩き続けていた。行方不明の男が現場から逃げた可能性を考えてのことだ。あれだけの傷を負えば、おびただしい血が流れる。その痕跡がないはずがない。


 それはすぐに見つかった。宿屋の勝手口の方で初めて見つけた血痕は、迷路のような路地裏を彷徨っていた。

勢いよく血が吹き出したのだろう。筆についた絵具を振り回したように建物の白壁に血しぶきがついていた。そして、血の手形も所々にある。すべて左手だ。幾度となく角を曲がる。当然、夜は明かりなどない。暗闇の中、手探りで進んだに違いない。


──何から逃げ、どこを目指していたんだ?


やがて血痕は路地裏を抜け、トロヤン川の船着場に出た。一隻の船が停泊していて、数人の船員たちが荷物を積んでいた。血痕は階段を降り、川辺まで続いている。しかし、そこからぷっつり痕跡は途絶えていた。


「おはようございます。何か?」


 積荷のリストと睨めっこをしていた口髭の男が話しかけてきた。柔らかく丁寧な口調だが、その目からは警戒の色が見て取れた。ネイピアは努めて笑顔をつくった。


「お仕事中、失礼しました。昨日の火事の捜査をしていましてね」


「ああ、なるほど」


「火事のことはご存知で?」


「ものすごい騒ぎになってましたからね」


「あなたはこちらの責任者の方で?」


「私はこの船の船長を任されております。巡察隊の方、以後お見知り置きを」船長と名乗った男はうやうやしく礼をした。


「どうも。私は昨日赴任したばかりの新参者です。ベルメルンには以前に一度立ち寄ったことがあるだけでね、街のことは全然知らないんです」


「なあに、飛ぶ鳥を落とす勢いのボミラールル王国の都と言っても、まだまだ狭い街です。すぐに慣れることでしょう」


「だといいですが。今朝は何時からここでお仕事を?」


「集合は六時でしたね」


「怪しい人物を見かけませんでしたか?」


「見ていませんね。ここは我々のような船乗り以外は誰も寄り付きませんよ」


「この船はどこに向かうので?」


「下流のプレジネッタですよ。もともとは上流のトランドルからワインを積んできました。ここからは、行商が買い付けた陶磁器やガラス製品に積み替えます」


「それで積荷を丁重に扱われているんですね。すごい技術だ」


 ネイピアの視線の先で船員たちが振動しないように木箱をそっと積み重ねていた。ロープを使って見上げるほどの高さまで上げてから、ゆっくりと下ろしていく。骨の折れる作業だ。


「そうですね、こうした積荷の時はいつも以上に気を使います。そもそも、商人たちは馬で運ぶとたくさん割れ物が出るからということで、こうして船の輸送を選ぶんです。一つひとつが豪邸が建つほど高価な品らしいですよ。私なんかには価値がわかりませんが、お金持ちは心惹かれるんでしょうねえ。大金をはたいて買うんですから」


「積荷を狙う輩はいませんか?」


「いないこともないですね。ただ、私たちも馬鹿じゃありません。それなりの対策はとっていますよ」船長は自慢げに言った。


 おそらく銃や剣で武装しているに違いない。それに船員たちは見た目からして屈強な体を持つものばかりだ。軍隊経験者もいるだろう。


「積荷を確認させてもらっても?」


「おっと、なにやら物騒な話になってきましたな」


「すでにお気づきでしょうが、あそこに見えるのは血痕です」


「ここで酔っ払いが喧嘩でもしたんだろうと、仲間たちと話していましたよ」


「あれは火事から逃げてきた者の血です。行方不明者が一人いましてね」


「奇妙ですなあ。火事なのに出血するなんて。火傷ならわかるが」


「そうなんですよ。この事件、ちょっと奇妙なんです」


「単なる火事ではないと?」


「おそらくは。別にあなた方が匿っているなどとは思っていません。ただ、勝手に船の中に潜んでいる、という可能性もゼロではない」


「わかりました。いいでしょう。ただし、手早くお願いできますか?」


「もちろんです」


 ネイピアは船長同伴のもと、積荷の木箱をすべて開けてのぞいた。船長の言葉通り、すべて金持ちが喜びそうな調度品だった。船室もくまなく探したが、そもそも大人が潜んでいられるような場所はどこにもなかった。


ネイピアは帰り際に船長に一つ質問をした。


「船長、そいつはここからどこに向かったと思いますか?」


「川向こうじゃないですか? 東街区の方。でもね、トロヤン川は一見穏やかにみえますが、川の真ん中は流れが早い。手負いの体では泳いで向こう岸に辿り着くのは無理でしょう。下流のどこかで死体があがるような気がしますよ」 

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