第7話 事情聴取

出火したのは旅人相手の安宿で、年の離れた夫婦で経営していた。


主人のタッカー・ヴォルドゥは六十代、妻のディアナ・ヴォルドゥは二十代。よく親子と間違われていたという。


夫婦仲は良好だったようで、街ではおしどり夫婦として有名だった。


客にも慕われ、リピーターも多かった。その多くは諸国を歩きながら物を売る行商だ。ベルメルンで商売する間は関税門であるアルデラン門を入ってすぐのところにある小屋に馬を預けて、商品を荷車に積み替えててやってくるそうだ。


 火事の怪我人たちはストラナ広場の正面にある大聖堂に運び込まれ、ランタンの薄明かりの中、手当てを受けていた。


 全部で十三人。宿泊客が六人、消火にあたった自警団が六人。残りの一人は溢れる野次馬の群れの中で転倒した若者だった。いずれも軽傷であるため、場の空気は重くなかった。医師や看護師と談笑する声も聞こえている。


 ネイピアはその様子を見ながら、奥に進んだ。そこには五メートル四方の部屋があった。祭事の時の司祭の控室だ。


ここに唯一、重体となっている宿屋の妻ディアナが運び込まれ、医師による応急処置がなされていた。


ネイピアがノックすると、看護師がドアを開けた。


「ヴォルドゥさんにお話を」


「少々お待ちを」


 看護師の背後に全身に包帯を巻かれて横たわるディアナが見えた。その無惨な姿にネイピアは心を痛めた。意識は戻らず、危険な状態だと聞いている。


 やがて宿屋の主人タッカー・ヴォルドゥが出てきた。タッカーはネイピアよりも長身だったが全く威圧感を感じなかった。妻が重体で弱っているせいもあるのだろうが、親しみやすいという評判通りの雰囲気だ。


「巡察隊のネイピアと言います。大変な時に申し訳ありませんが」


 タッカーは黙って一礼した。


ネイピアは場所を移し、大聖堂の片隅でタッカーの事情聴取を始めた。出火した時には一階の寝室で寝ていたそうだ。


「びっくりして跳ね起きました」目を床に落としてタッカーは弱弱しく声を絞り出した。


「奥さまもですか?」


「はい。同じベッドで寝ていましたから」


「火が迫るのを感じたんですか? それとも何か物音がしたんですか?」


「声です。声がしたんです」タッカーはゆっくりと間をとりながら言った。


「声? 誰の声か分かりますか?」


「若い男性の声だったように思います。『逃げろ。火事だ』って。妻はすっかり怯え切っていました。それで、ロビーを覗くと、もう火がすごくて」


「その若い男性は宿泊者かどうか分かりますか?」


 タッカーは少し考えて、やがてため息混じりに言った。


「違うと思います。昨日のお客さんはみんな年配の方でしたから」


「その男性の姿を見ましたか?」


「いえ、声を聞いただけです」


「ロビーに行ってからのあなたの行動について、順を追って教えていただけますか?」


「まず窓を全部開けました。黒い煙が立ち込めていたので。そのうち二階からお客さんが降りてきて。ご高齢の方もいましたので、避難を手伝っていたんです。そしたら……」


 タッカーは一瞬、顔をしかめたが、決心したように話し始めた。


「天井が崩れて妻の姿が見えなくなりました。私は懸命に瓦礫を掻き分けて妻を探しました。瓦礫といっても炎に包まれた状態です。一刻も早く妻を助け出さないと、その一心でした。その後はよく覚えていません。気づいたら妻を抱き抱えて外に出ていました」


「あなたも無事では済まなかったでしょう?」


 タッカーはうなずくと来ていたシャツをまくった。胸から脇腹にかけて巻かれた包帯が痛々しい。緩んだ隙間から焼けただれた皮膚が見え隠れしている。命懸けで妻を救った証拠がそこにあった。


「妻は私よりもずっと酷いんですよ」


 ネイピアはかける言葉が見つからず、質問を続けた。


「火事を知らせてくれた若い男に心当たりは? どんな些細なことでも構いません。おつらいでしょうけども、思い出していただけませんか?」


「はい……」


 しかし、タッカーからはそれ以上の情報は得られなかった。通りすがりの第一発見者か、それとも……。


 ネイピアはふとラブローがいないことに気づいた。さっきまで自分の後ろでメモをとっていたはずだが。


 怪我人の聴取にでも顔を出しているだろうかと大聖堂を見回した時、扉が開いてラブローが入ってきた。トレーを持っている。


「広場の前のパン屋が焼き上がっちょるかと思ってのぞいたら、当たりやったです」


 トレーに並べられていたのは焼き立てのクロワッサンとスープだ。


「班長、少し休憩してあげんですか?」


「ああ、そうしよう」


 ラブローはタッカーの前のテーブルにトレーを置いた。


「パン屋の親父が気の毒がってね、スープをおまけしてくれたんよ。食欲わかんかもしらんけど、スープだけでも飲んで。あったまると思うけん」


 タッカーは深々と頭を下げると、スープを一口すすった。


 ネイピアは宿屋の夫妻をラブローに任せ、手当てが終わった宿泊客への聴取に向かった。


 彼らは、タッカーが言うようにみんな年配だった。一番下でも五十代半ばといったところだ。そして、タッカーの証言を裏付けるように、一様にこう言った。


「若い男の声で起きて避難した。姿は見ていない」


ネイピアが大聖堂を後にする頃には、すっかり夜は明けていた。街には朝の日常が広がっている。ただ一か所を除いては──


焼け落ちた建物は、陽の光を浴びて火事の爪痕を生々しく晒していた。巡察隊が総出で行方不明者の捜索をしている。タッカーが持ち出していた宿泊台帳によると、昨日の宿泊者は七人。そして、今、手当てを受けているのは六人。つまり、一人行方不明なのだ。台帳によると名前をフラーツ・ロマと言った。


「お疲れ様。何か出たかい?」


ネイピアはちょうど敷地の中から瓦礫を運び出してきた隊員たちに言葉をかけたが、きょとんとされてしまった。無理もない。まだ、言葉を交わしたこともない者がほとんどだ。


「昨日から巡察隊に配属されたネイピアだ」


「班長でしたか。失礼しました」


「お名前だけは聞いていたのですが、申し訳ありません」


ラブローと同じ歳の頃の若者たちは恐縮していた。


「いや、こちらこそ。昨日着任したばかりで、挨拶もせず済まなかったな」


「着任早々、こんなことになってしまって。班長もツイてないですね」


「まあな。俺はどこ行ってもそんなもんだよ」


「そうですか……」


若い隊員たちは困ったように半笑いを浮かべた。


「この街じゃ、火事はよくあるのかい?」ネイピアは構わず続ける。


「冬場は何件かありますが、今の季節はほとんど聞いたことがありません」


「だろうな。火事を起こすのはどこの街でもたいがい、冬の寒い夜に酔っ払って帰ったバカ亭主だ。暖炉と間違えて女房のケツに火をつけちまう。驚いた女房が思わず屁をこいて大爆発だ」


ネイピアの下品なジョークに若者たちは若者らしくケラケラと笑った。


「忙しいところをすまんが、簡単に案内してくれねえか」


「はい!」声を揃えて若者たちが言った。


「上には黙ってろ。俺と関わったことが知れたらお前らが損するからな。城で会っても俺を無視してくれよな」真顔でネイピアが言った。


 若者たちは、それが冗談なのかどうか判断がつかない様子だ。結局、再び困ったように半笑いを浮かべ、頷いた。

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