第6話 始まりの炎
けたたましく鳴り響く鐘の音でネイピアは目を覚ました。
「敵か!」
暗闇の中、反射的に枕元の剣を掴む。だんだん意識がはっきりしてきた。
──ここは戦場じゃない。
住む家を見つけるまでの間、ネイピアはベルメルン東第四街区にある巡察隊の寄宿舎に身を寄せていた。
素早く隊服を着て廊下に出ると、他の隊員たちも出動の準備に追われていた。ラブローの顔が見える。ネイピアは叫んだ。
「ラブロー! 何があったんだ?」
「警鐘です。これは恐らくストラナ広場の大聖堂の鐘やっち思いますけん!」
準備のできた者から寄宿舎を飛び出していく。ネイピアもラブローと共に急いで広場を目指した。ロキ大橋までやって来ると東の空が赤く染まっていた。東街区の一画で火事が起きていることは誰の目にも明らかだった。
隊員たちの叫び声があちこちから聞こえる。
「火事だ! 消防緊急配置につけ!」
「モタモタしてると燃え広がるぞ!」
谷筋に広がるベルメルンの街はちょうど風の通り道にあたる。この時期は特に背後の山脈から乾いた風が吹き下ろされてくる。消火の遅れは大惨事につながることは、新参者のネイピアにも簡単に理解できた。
「ニューヴォルフォルムのようにならねえといいが」
十年前、隣国リューベルの都、ニューヴォルフォルムで火災が起きた。酒場で起きたケンカの最中にランプが横倒しになり、建物に引火。度数の高い酒を多く取り扱っていたことも手伝って一気に燃え広がったそうだ。
火事は三日三晩続いて美しい街を焼き尽くし、多くの死者を出した。その数は数千人に及んだとも言われている。
現場は大勢の野次馬で騒然としていた。燃えているのは三階建ての宿屋だった。場所はストラナ広場から数百メートルの繁華街。建物は密集していて今にも燃え広がっていきそうだ。
「班長、自警団です‼︎ 自警団が消火してくれちょります!」
バケツリレーで消火にあたっている男たちの姿があった。
「俺たちも手伝うぞ! ラブロー」
「はい! 班長」
と、言ってみたものの、バケツリレーに入る隙はない。三系統で運ばれてくる列は完璧なまでに統制がとれている。
「邪魔だ! あっち行ってろ!」
「他にやることあるだろ!」
自警団の連中から荒々しい言葉を浴びせられる。ネイピアたちの後に駆けつけた衛兵たちも同様だ。
──どうしたものか。
軍での経験は豊かなネイピアも街での消火など体験したことはない。戦場では一瞬で状況を把握し、考える前に体が動いていた。しかし、ここでは何をすべきか分からないまま立ち尽くしている。まさに〈猫にもなれない役立たず〉だ。
ネイピアの視線の先に、自警団長ジューゴの姿があった。
「東側の壁も壊せ! 風向きが変わるかもしれん」
ジューゴは隣の建物の屋根に登り、指示を出していた。
その声に従って十数人の男たちがつるはしや斧を振り上げる。ジューゴは燃えている宿屋の周辺の建物に火が移らないように、とり壊そうとしているのだ。いわゆる破壊消防というやつだ。
ジューゴも屋根から飛び降りて、その作業に加わりながら細かく指示を追加する。
「闇雲にやるな! 柱から壊していくんだ! だが、慎重にやれ」
「了解」自警団の連中は全員、ジューゴの声に反応して動きを変える。まるでよく訓練された軍隊だ。
「崩れるぞ‼︎ 巻き込まれるな!」
ついに大きな音を立てて宿屋の隣の建物が一軒、倒壊した。
「あのおっさん、本当に鍛冶屋か?」ネイピアが言った。
ジューゴは倒壊した建物の残骸を手早く撤去すると、近づいてきた。そして、ネイピアと目が合うなり、叫んだ。
「おい、ムキムキ坊や‼︎ ホースはまだか!」
ネイピアはきょとんとしてラブローに聞いた。
「ホースなんてあんの?」
「は、はい。あ、ちょうど今来ました」
衛兵たちが、皮のホースを運んできた。
「トロヤン川から引っ張ってきちょります。ポンプで水を引き上げちょるんです」
「そうか。川があるから消火栓はいらねえのか」
衛兵たちが栓を抜くと、ぶるんっと大きな音を立ててホースが伸び、大量の水が空に舞った。
「すげえ!」その勢いに思わずネイピアの口から感嘆の言葉が漏れた。
「班長、やりました!」ラブローはガッツポーズしている。
しかし、すぐに雲行きが怪しくなった。水圧が強過ぎてコントールできないのだ。ホースはまるで暴れる大蛇のごとくうねっている。だき抱えるようにして支える隊員たちは振りほどかれんばかりだ。
「ラブロー、出番だ!」
「はい!」
ネイピアたちも加わり、ホースを押さえつけようとしたが、あさっての方向に放水。野次馬たちにぶちまける格好となった。
「おい‼︎ なにやってんだ!」ジューゴの怒鳴り声が響く。
「よこせ‼︎」
結局、衛兵の放水部隊はジューゴをはじめ、自警団の男たちに取って代わられてしまった。
驚いたことに、ホースは先ほどまでの暴れっぷりが嘘のように大人しくなった。まるで桁違いにスケールの大きな蛇使いだ。
野次馬たちから歓声が上がる。
ジューゴの指示でそつなく燃え方のひどい場所に水をかけていく。十分もしないうちに火はその勢いを失っていった。
「なあ、ラブロー、最初からポンプを使えば良かったんじゃねえか? どうして自警団は俺たちが来るまで、バケツリレーなんてしてたんだ?」
「鍵を持っちょらんのですよ」
「鍵?」
「非常用倉庫がロキ大橋のたもとにあるんやけど、そこにポンプやホースがしまわれちょるんです。でもって、そこの鍵は衛兵しか持っちょらんのです」
火元の宿は全壊したものの、あとは周りの三軒の壁が焼けただけ。風も強い中、被害は最小に収まったと言えた。明らかに自警団の力があってこそだ。巡察隊や衛兵などただ見ていただけに等しい。
そして、炎と戦った勝利者たちが、煤で真っ黒になった顔で雄叫びを上げた。拍手喝采。あたりは熱狂の渦に包まれている。しかし、その中心にジューゴの姿はなかった。
「ラブロー、おっさんはどこに行った?」
「あれ? さっきまでそこに……」
「もう帰ったのか。なんだよお、せっかく褒めてやろうと思ったのに」
すると、群衆の中にいた一人の中年女性が話しかけてきた。
「ジューゴ団長は夜警の続きに行ったんですよ。いつもこの時間は見回りですから」
「おっさん、真面目過ぎだろ」
「フフ、すごいお人ですよ、あの方は。何度も何度もこの街を救ってくれたの」
そう言うと、その女性は遠い目をした。
ネイピアはその眼差しの向こうに、黙々と夜の街の見回りを続けるジューゴの背中を見たような気がした。
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