太平洋は今日も晴れ ~灼熱の空の下咲き誇れ向日葵の花~

日崎アユム/丹羽夏子

Day1 黄昏

 沼津市には愛鷹あしたか山という山がある。標高は1500メートルほどだが、人里から見て富士山より手前にあるので、富士山の姿がすっぽり隠れてしまう。したがって向日葵ひまわりとその夫の椿つばきが暮らす沼津市西部地域は富士山を眺めるのにあまり適していない。


 沼津は広い。南東のほうに行けば松林の向こう側に富士山が見える風光明媚な海岸もある。けれど場所によってさまざまな顔を見せるので観光にはちょっと注意が必要だ。


 この土地はあまりにも広く向日葵の手には余る。それくらい豊かだということだ。たとえ富士山が見えなくても、紹介できるものはたくさんある。


 今日も愛鷹山の向こうのほうに夕日が沈んでいく。


 向日葵と椿は夕飯前にコンビニへ出掛けていた。椿が無性にコンビニスイーツを食べたくなったというので、二人でのんびり散歩がてら買い物に出たのだ。


 コンビニが遠い。田舎特有の広大な駐車場を有した店があちこちにあるが、自宅からというとどこも中途半端な距離だ。一番近くで片道徒歩二十分はかかる。普段は車で移動する向日葵にとってはそこそこの距離なのだ。でも、ようやく気温が下がってきて過ごしやすい黄昏の散歩にはちょうどいいだろう。


 田んぼの中、整備されて無駄に広く平らなひとけのない車道を歩く。


 不意に椿が立ち止まった。

 手をつないでいたので、引っ張られる形で向日葵も立ち止まった。


 椿は、真正面、西のほうを見ていた。


「どうかした?」


 尋ねると、椿がふと微笑んだ。


「綺麗やなあ」


 椿の視線の先をたどる。何の変哲もない夕焼けが広がっている。


 この季節の夕暮れの空は少しぼんやりしている。秋冬のようにビビットなカラーリングではない。薄い雲に水彩絵の具のような橙や紫が落ち、淡いグラデーションの段々を作っている。昼間はあんなにぎらついていた太陽も今は金色の雲の光の向こう側に存在を感じるだけだ。昼間の日光の下で背を伸ばした田んぼの稲の緑がこの時間帯は足元に影を作っている。


「稲波の 短き陰にぞ いのち鳴く たなびく雲に 夏は来にけり」


 何でもない景色に感動して和歌を詠む夫の繊細な横顔を見つめて、向日葵は気づかれないようこっそり笑いを噛み殺した。


「清少納言が春はあけぼの言うた時に雲のたなびきたるが良いと書いてはったけど、僕は夏の夕暮れやと思う」

「春眠暁を覚えずなのかもしれないけどね。来年の春は早起きして早朝散歩するようにしようか」


 彼が浴衣のふところからiPhoneを取り出して空にかざす。


「うまく撮れへん。このグラデーションの濃淡を残したいのに」

「やっぱり、肉眼が一番だね」

「そうやな。二人で見てるから綺麗やと思うのかもしれんしな」


 こういう、何気ない日常がしあわせ。


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