第8話 人はそれを姉弟と呼ぶ
会社から駅までの中間地点にある商業ビルのカフェテリアは、18時を回ると混雑を極める。
電車待ちの時間潰しにと訪れる客が多いせいだ。
一人でも入り易いカウンター席の多さが集客に一役買っているらしい。
店内は完全分煙で、ガラスドア一枚隔ててあるため、女性客にも人気だ。
仕事帰りの暮羽は、足早に店に入るとぐるりと店の中を見回した。
そして、すぐに目当ての人物を見つけて近づいた。
遠めから見ても仕立ての良い三つ揃えのスーツと、際立った容姿はよく目立つ。
ヒールの靴音に気付いた待ち人が視線を視線を上げる。
「松見、急に呼び出して悪かったな」
片手を上げて向かいの席を示した相手に暮羽が首を振って笑みを浮かべる。
「ううん。全然、でも、こんな風にふたりで会うのって初めてだよね?友英の頃は殆ど接点なかったし。あたし、会社に入ってから初めてまともに東雲くんと話した気がするんだけど」
「俺もだよ。クラスも違ったし、大学は別だったしな。でも、会社入ってから大久保経由で話は聞いた事あったけど」
笑みを浮かべて慧が、尋ねた。
「何飲みたい?」
「え、いいよ。自分で・・」
荷物だけ置いて席を立とうとした暮羽を制して、慧が先に立ち上がる。
「今日は俺の都合で呼び出したんだから、コーヒーぐらいご馳走させてよ。仮にも上司の奥さんな訳だし」
やんわりと先手を打たれてしまう。
少し迷ったが、素直に甘える事にした。
暮羽がお礼を言って、カフェラテが飲みたいと伝える。
「ちょっと待ってて。あと、今日の事は相良さんに話しても全然大丈夫だから」
暮羽に気を遣わせないように、そう付け加えて慧が席を離れる。
学生時代から、女子に人気があった事は知っていたけれど、瞬のようなアイドル扱いとはまた別の人気ぶりだった。
友英会に所属していた為、どの部活にも入らなかった慧は、瞬のようにバスケ部の試合の度に体育館が女子で溢れるというような事は無かった。
けれど、目立たない文化部の生徒たちからは、絶大な人気を誇っていた。
瞬の持つ華やかなイメージとは異なる、育ちの良さが伺える物腰やこうした女子に対する対応の細やかさに、当時の女子高生達が惹かれていたのだろうと今更ながら実感する。
トレーにカフェラテとマドレーヌを載せて戻ってきた慧に、暮羽がすかさず口を開いた。
「気を遣わせてごめんなさい」
マドレーヌの事かと思った慧が笑って頷く。
「女の子は甘いもの、好きだろ?」
「うん、それもだけど、主人の事」
「え、ああ」
真面目な暮羽が夫に隠し事を持つのは負担になるだろうと気を回した事に対して、だ。
「当然の事だよ」
あっさり答えて慧が遠慮なく食べて、と柔らかく微笑んだ。
お礼を告げて、暮羽がカフェラテに口を付けるのを待ってから慧が本題を切りだした。
「話ってのは、こないだの、わ・・・有村さんの事なんだけど」
「やっぱり、過去に何かあったの?」
思わず声を顰めて前のめりになる暮羽。
あの時の不自然過ぎる態度は、複雑な過去が絡んでこそだったのかと一人で納得する。
けれど、慧は苦笑して首を振った。
「悪いけど、松見が思ってるような関係じゃないんだ」
「あたしにまで隠す事無いわよ?口は堅いつもりだし」
安心させるように微笑む暮羽に、慧が申し訳なさそうに告げる。
「期待に添えなくて、ホント申し訳ない。彼女と俺は元恋人でも、元友達でも無いよ」
「え?・・・じゃあ」
「元、家族」
慧の言葉に暮羽が一瞬息を止めた。
それから視線をぐるりと巡らせて、再び慧の目を見つめる。
「え、結婚してたの!?」
「・・・」
今度は慧が息を止める番だった。
まじまじと暮羽の顔を見て、困ったような、面白いような複雑な表情を作る。
「そっちに行く?」
「え・・・だって家族って・・・」
「親の再婚で兄弟だった時期があるんだよ」
「ご両親の・・・そうなの・・・いつ?」
「学生の頃の話。再婚つっても6年間だけだったし・・・そういや、友英の頃はまだ兄弟だったな・・・」
思い出したように告げた慧に、暮羽が目を丸くする。
「え、その頃姉弟居るなんて話聞かなかったけど!?」
「学校別だったし、多感な時期だったから学校でも殆ど言った事無いよ。特にアイツが志堂とか、分家の存在に人一倍神経質になってた時期だったから」
「そうなんだ・・・えっと・・じゃあ、有村さんは、東雲くんの・・・妹になるの?」
「残念ながら誕生日はあっちのほうが早いから、不本意ながら俺が弟なんだよ。口を開けば、あたしが姉ちゃんって五月蠅かったな・・・」
懐かしそうに目を細める慧。
暮羽はその表情を食い入るように見つめた。
さっきまでの慧の柔らかい表情が偽物に思える位、穏やかで優しい彼のもうひとつの顔。
”家族”を思う彼の気持ちが痛い位に伝わって来るその顔に、暮羽も自然と笑みがこみ上げて来る。
「東雲くんも、そういう顔するのね」
「え?」
慌てて聞き返されて、暮羽が首を振る。
「ううん、いいの。で、お姉さんが心配であたしに話をしようと思ったんだ」
彼がどんな無防備で穏やかな顔をしていたのか、伝えるのは勿体無い気がして暮羽は話題を戻した。
彼の顔を見れば、慧が誰を思って暮羽を呼び出したのかは一目瞭然だ。
「事務仕事初めてだし、パソコンもそんなに得意じゃないから、迷惑かける事もあると思う。生真面目で、一生懸命なんだけど、結構そそっかしいから・・・人見知りは直ったみたいだけど、慣れるまであんまり口数多い方じゃないから、フロアに馴染むまでは、気を配ってやって欲しいんだ。俺との関係は、絶対にばれたくないって思ってるみたいだから、きっと松見には言わないと思う。だから、悪いんだけど・・・」
「分かった。今日の話は彼女には絶対言わないよ、大丈夫」
「俺が口出すトコじゃないのは分かってるんだけど、どうしても気になって・・・目に入る所にいると、つい様子が知りたくなるし・・・けど、あの馬鹿、むやみに話しかけるなとか言いやがるし。可愛げ無いけど、悪い子じゃないんだ。きっと松見も気に入ってくれると思う。仲良くしてやってほしい」
「心配しないで、ちゃんと面倒見るよ、大丈夫」
暮羽の言葉に慧が漸くホッとしたように息を吐いた。
「ありがとう。頼むよ」
暮羽がカフェラテを飲みながらふと浮かんだ疑問を口にする。
「東雲くん、もしかして・・・・直純は有村さんとの事知ってるの?」
「勿論、分家筋の人間は皆知ってるよ、後は北村さんかな?」
「やっぱり!?あたしが有村さんと東雲くんの話した時変な顔してたのよ。それだったのね!!」
「相良さんは軽々しく部下の個人情報バラまく人じゃないから」
「それはそうだけど・・・」
独身時代から幾度となく支えて貰った事を思い出して頷く暮羽。
そこでひとつの疑問が浮かんだ。
「北村さんって、うちの課長?」
「うん。和花の異動が決まった時点で挨拶に行ったんだ。その時に松見にも話が出来たら良かったんだけど、アイツがどういうスタンスで来るか分かんなかったから、結局後手に回ったんだけど・・・結果、松見をひとり混乱させるような形になってゴメンな」
「それは・・・全然いいんだけど・・・」
しきりに謝る慧を見つめて、暮羽がぽつりと呟いた。
「姉弟っていいねー」
「そうかな?・・・って俺もホンモノのキョウダイじゃないから、何とも言えないけど」
「自分の為に東雲くんがこんなに必死になってくれたって知ったら、きっと有村さん感動すると思うけどなぁ」
「むしろ、余計な事したって怒るよ。昔から、俺の世話焼きたがる癖に、絶対自分から人に甘えようとはしない性格だったから。どこまでもお姉ちゃんで居たがるから面倒なんだよな・・・」
最後は自嘲気味につけ加える。
「面倒だけど、放っておけないの?」
「・・・そうだな」
「キョウダイって難しいね」
「ほんと、距離の取り方も、接し方も正解が分かんなくて、全部手探りで・・・何とかキョウダイっぽくなろうと必死だったんだけど。気持ち切り替えれたと思った途端、家族じゃ無くなったから・・・尚更混乱したな・・・何て呼んでいいのか分かんなくて」
”和花”と呼べば怒られて、漸く本人の前でだけ”お姉ちゃん”と呼べるようになったのに。
突然”家族ごっこ”は幕を閉じた。
呆気ないほど簡単に、香澄と和花は東雲を出た。
”お姉ちゃん”と呼ばなくて良くなった事にホッとして、だけれど、和花は一度も”これからもお姉ちゃんって呼んでいいよ”とは言わなかった。
それが、妙に悔しかった。
大人になって、色んな事が飲みこめて、前よりも距離が近づいてからは、冗談まじりで”お姉ちゃんって呼びなさい”と言うようになったけれど。
「ごめん、こんな話面白くないよな。アイツ、どう?仕事ちょっとは慣れて来た?」
「あたしでよければいつでも話聞くよ。有村さんは、業務システム覚えるのが大変みたい。販売部とシステム違うから、でも、これまでの商品知識は凄く役立ってるし、あたしも助かってるの。やっぱり販売経験は強みだよね」
「そっか・・・俺には弱音吐かないからさ」
もっと泣きついて来るかと思ったのに、やっぱり和花は、和花だった。
それが嬉しくもあり、寂しくもある。
距離が近づいても、慧と和花の関係はやっぱり名無しのままだ。
友達でも、家族でも無い、曖昧な関係。
「あたしも出来るだけ話聞くようにするね」
「助かるよ」
暮羽の言葉に慧が柔らかく頷いた。
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