第7話 人はそれを家族と呼ぶ
今日から家族です、姉弟になります。
ただ、それだけだった。
和花は勝手な父親の再婚によって必然的に現れた姉で、そこに意味など無い。
そもそも慧は世の中の兄弟がどんなものか知らなかった。
親族の集まりで自分を構ってくる年上の従兄たちとは、全く違う。
アレコレ世話を焼いてくる割に、自分の事はどこか抜けていて、口癖のように”お姉ちゃんだ”と言い張るけれど、実は誰より涙もろい。
けれど、それを悟られまいと必死に背筋を伸ばして立っている。
和花はそんな女の子だった。
クラスメイトとも、友達とも、従兄たちとも違う。
家族という曖昧な存在。
いつ消えるともしれない形なき居場所。
約束など無い。
どこにも”永遠”は在りはしない。
神様の前で”永久の眠りに付くまで”と誓った事すら紙切れ一枚の契約でしかない。
家族になりました、と言われても証などない。
ゴールが見えない、曖昧で何も保障が無いものどうやって信じろというのか?
だから、慧にとって姉は、最初から最後までただの女の子だった。
”ねえ、ほんとに大丈夫?”と耳元のスマホ越しに聞こえて来た声に、我に返って慧は慌てて返事した。
「あ、ああ・・・」
「なんか、今日のあんた変ね?」
「変って何が・・・」
「なんかいつもの慧じゃないみたい。って・・・ねえ」
「何だよ?」
「あたし達って、これからどういう関係になるわけ?」
これ以上どんな名前が必要だというのか?
スマホを握る手がいつの間にか汗で湿っていた。
慧はそれに気付かないフリをして問い返す。
「どういう関係って・・・?」
「あたし達は他人でしょ?」
和花が正論を口にした。
「そうだね」
「仕事ではこれまでも別に接点無かったし。知り合いって言うには不自然だし。学生時代だって別に関わって無いし」
「他校のモトカノ説は浮上するかもな」
帰国からこちらとっかえひっかえ様々な部署の女子社員がフロアにやって来ている事には気づいていた。
志堂の花形部署である国際部の帰国組であること+東雲の名前+正しい評価が合わさればまあそうなるだろうなと予想はしていたが、それでも数が多い。
少し前まで社内の独身女性の人気を攫っていた営業部の若手が、総務部の高嶺の花と付き合い始めた途端、ターゲット変更を余儀なくされた女子社員たちは、次々と次点候補に狙いを変えていったらしいが、いつまでも次のターゲットが決まらなかった一部の女子社員たちが揃って慧に注目し始めたらしい、というのが直属の上司からの説明だった。
日本に戻ってまだふた月だ。
仕事の引継ぎと和花の面倒ごとのせいで、社内でも社外でも誰か見繕うような暇は無かった。
というか、何となくそんな事にはならない予感がしている。
だから、今の所、東雲慧に一番近い女性は、間違いなく和花一人だけ。
悪戯心が芽生えてそんな風に切り返す。
と、途端に電話の向こうで和花が不機嫌オーラを撒き散らした。
「何よ、お姉ちゃんからかうつもり?」
「こんな時だけ姉貴ヅラすんの?」
肩を竦めて答える。
「こんな時って、何?いつでもあたしはお姉ちゃんよ。あんた以外にお姉ちゃんって呼ばせる人いないんだからね」
「そこ自慢するとこかよ」
和花は一人っ子なので、姉として振る舞える事が出来たのは後にも先にも慧と過ごした数年間だけだ。
「俺が、お姉ちゃんなんて呼んだら困る癖に」
「そりゃ・・・そうだけど」
あれほどお姉ちゃんと呼べと迫っていた癖に、この状況になると、綺麗に赤の他人の振りを強請るのだから心底腹立たしい。
「他人のフリして、やり過ごそうと思った?俺が平気な顔して、ハジメマシテなんて言うと思ったの?」
勿論そうするしかないとしても。
「普通はそうするもんでしょうが?」
「俺が家族だったら?」
「え?」
「今も家族だったら、どうしてた?」
「それは、ちゃんと兄弟ですって紹介したわよ、当たり前でしょうが。相良さんにも・・・って、あ、そうだ!あの後相良さんにさんざん慧との関係を訊かれたんだからね!」
「なんて答えた?」
「知り合いって答えた」
「・・・ま、無難なトコだな」
暮羽は決して興味本位で他人の事情に首を突っ込むタイプではない。
高校の同級生でもある慧は彼女の人柄を直接では無いが、よく知っているし、信用もしている。
尊敬する上司の妻となってからは尚更だ。
会社に入る前から分家筋の中でも、有能と噂されていた相良は、どんな人を伴侶に選ぶのだろうと思っていたが、彼女なら納得だった。
人当たりの良さ、気配り上手な所、どれを取っても申し分ない女性だったから。
「松見は何て?」
「あ、ああ。相良さんは何とか納得してくれたみたいだったけど。慧、2年間も生徒会やらされてたんだって?」
「え?ああ、友英会な。基本後任指名制だったからね。やむを得ず、だよ」
「学校でも有名だったって?」
「何だよ、やけに絡むな。有名だったのは分家筋の人間だからだよ。友英学園は志堂系列だからな。分家の人間は多かれ少なかれ注目されんの」
面倒くさそうに答えた慧に、何か納得いかない様子で和花が言った。
「あんた・・・あの頃学校の事家で殆ど話さなかったよね・・・生徒会の事とか、クラスの事とか」
「思春期のガキなんてそんなもんだろ?逆に家で学校の事アレコレ喋る方が気持ち悪いよ」
呆れ顔で慧が続ける。
一昔前のホームドラマのような光景。
想像するだに恐ろしい。
どちらかと言えば、食卓での話題はいつも義母と和花だったから。
父親と慧は聞き役に回るのが常だった。
「そうかもしれないけど・・・あたし、何も知らなかったね。一緒に暮らしてた時も、今も・・・慧の事ほんとは何にも知らないんじゃないかと思う」
「・・・お前は俺の何が知りたいの?」
浮かんだ疑問をそのまま口にする。
望む答えが分からなかった。
「何って・・・別に・・・元姉弟に興味持って悪い?これでも一応あんたの事を気にかけてるのよ」
「俺も気にかけてるよ」
「えっ!?」
「驚くトコか?普通だろ。血繋がって無くても、家族だった相手だよ。俺はそこまで薄情な人間じゃねーよ、こら」
「うん、それは分かってる」
「だから、お前が素知らぬ顔した時腹が立った」
「だけど、あれは!」
「うん、分かってる。東雲の名前出せなかった事は」
それでも、心のどこかで期待していた。
和花が、最後に頼るのは自分だろうと。
慣れない本社で、慧の顔を見たら思わず気が緩んで、名前を、呼んでくれるのではないかと。
ほんのわずかな期待、馬鹿みたいだ。
それでも、わずかな期待を持てる程度に慧は自惚れていた。
和花と自分の絶対的な関係に。
家族で無くても、姉弟で無くても、友達でも無くても。
和花と慧を繋ぐのは”名前が無い絆”そこには、遠慮もプライドも何も無かった。
「それでも、お前はあの時俺を呼べば良かったんだ」
「何言ってんの」
「・・・うん」
素直に返事した慧が、自分が漏らした本音に気付くより早く、電話越しに和花が笑った。
「やっぱり慧、変だよ?疲れてる?」
「・・・かもな。こっち戻ってから忙しかったし」
「そっか、無理しないでね?あんたは何にも言わないから、心配だよ。駄目だと思う前に助けてって言うんだよ?」
「・・・」
「けーい?聞いてる?」
「ああ、聞いてるよ。お前昔からそれ、言うね」
「そう?」
「俺が向こう行く前も言った」
「そだっけ?よく覚えてるね」
「覚えてるよ・・・何でだろうな」
「そんなのあたしに言われても知らないよ。きっとお姉さまの有難いお言葉だったからでしょう?」
「かもな」
小さく笑ったら、和花は先ほどとは打って変わって穏やかな口調で話しかけて来た。
「ねえ、慧」
まるで隣りにいるような感覚を覚える。
「うん?」
「ごめんね?」
「何がだよ」
「他人のフリして、ごめんね。寂しい思いさせちゃったね」
「は?」
思わず慧が目を剥いた。
「寂しかったんでしょ?」
和花の声に、胸の奥で燻る何かが慧の心を揺らして乱す。
「っ・・・そういう事にしといてやるよ」
名前の無い感情、そこに意味は無いと、慧はひたすら自分に言い聞かせる。
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