第6話 人はそれをパニックと呼ぶ

和花に振り払われた腕を気にした素振りも見せずに、慧が意地悪な笑みを浮かべたままで元家族を見下ろす。


向き合った和花は必死に鋭い視線を慧に向けてはいるものの、今にも逃げ出しそうな勢いだ。


今の大声のおかげで、フロアの視線が痛いほど突き刺さって来る。


やっちまった!と今更後悔してももう遅い。


が、それよりも何よりも腹立たしさの方が勝った。


よりによって慧にこんな仕打ちを受けるなんて。


和花の立場や心境を正しく理解していたら、絶対にこんな態度は取れない筈なのに。


味方だと信じていた慧からの手痛いしっぺ返しに頭の中が混乱と苛立ちでいっぱいになる。


「何ってっ・・・た、他人ですっ、知りませんこんな人っ!」


必死になって言い返した和花の言葉を受けて、慧が肩を竦める。


「だ、そうで」


「あー・・・えーっと」


困った暮羽が難しい顔で続ける。


「もしかしてー彼女さんとか?東雲くん友英の頃から人気だったもんね」


目の前の二人の気安い雰囲気から暮羽なりに想像しての答えだったが、これに和花が過剰反応を示した。


尤も相応しくない関係性がそれだったからだ。


「そ、そんなのあり得ないですっ」


「ほら、またそーやって全力で否定するから」


「なによっ」


「べーつに」


視線を外して呟いた慧。


まだまだ言いたい事は沢山あったが、パニックになり過ぎて何も言葉にならない。


真っ赤になって地団駄踏む和花に、対処に困る暮羽がオロオロしている。


慧はというと、そんな二人を放置して北村課長の元に挨拶に向かってしまった。


この状態でよく平然と敵前逃亡出来るわね!と怒鳴り散らしてやりたい。


ここが会社じゃなかったら、遠慮なく平手を繰り出してただろう。


フロアの入り口で立ちすくむ和花に、暮羽が恐る恐る声をかける。


「久々の新人さんだったから、からかわれちゃったのかな?東雲くんって普段すっごい優しいから、こんな事ほんとに無いんだけど。有村さん、大丈夫?」


「え、はい!全然大丈夫です!」


我に返って和花が無理に笑顔を作って見せる。


「言いにくかったら良いんだけど・・・知り合いなの?」


「・・・あーえっと・・まあ、そんなトコです」


本当は言いたくなかったけれど、これだけの惨状を晒した後で知りません、といえば嘘丸出しだ。


それ以上の詳細は避ければ良いだろうと曖昧に頷けば、暮羽が気づかわし気な顔になった。


人の良い先輩に初日から心労を掛けてしまって申し訳ない。


「そう。あの、本当に余計なお世話だったらごめんなさい。もし、昔何かあったなら、ちょっとこれから覚悟しといたほうがいいかも」


「え?それってどういう・・・」


意味が判らず首を傾げる和花に暮羽が心配そうな表情で告げた。


「営業関係とは密に付き合いがあるって言ったけど、海外関係の商品については最近彼が殆ど対応してて・・・」


「つまり・・・」


「そう、しょっちゅうウチの部署に出入りしてるのよ、東雲くん」


「嘘でしょ・・・」


なるたけ”志堂”連中とは関わりたくなかったのに。


和花は茫然自失状態で、その場に立ち尽くした。




★★★★★★★★★★★





「北村さん、おはよーございます」


「えらく派手な挨拶だったな」


デスクに近づいて来た慧を見止めて北村が目を細めて笑う。


フロアの人間は既にそれぞれの仕事に打ちこんでいる。


和花と慧の一件も見間違い位の認識でそのうち忘れられていくだろう。


こういう時フロアに若い独身女性が少ないと便利だ。


妙な噂に振り回される事が無いから。


商品を扱うのは中堅世代の男性陣が中心で、女子社員は和花や暮羽を含め4人しかいなかった。


「そーですかね?」


少しも悪びれた様子を見せずに慧が空いている椅子に腰かけた。


「お前アレだな」


「なんですか?」


「意外に過保護だな」


「そうでもないですよ」


ふっと力を抜いて笑った慧が暮羽と何やら話しこむ和花に目を向ける。


「でもその割に子供だな」


「はい?」


「いじめるとか、典型的過ぎるだろ」


笑いを噛み殺した北村課長がシステム画面に向き直る。


慧が一瞬考えるように視線を天井に向けて、それから目を伏せた。


「こっちの事情知ってるくせに、そういう事言いますか?」


「知ってても関係ないだろうが」


「ありますよ。他人だったらここまで気にならないですし」


「そうかー?」


「そうですよ。それに・・・今日は、ちょっと腹が立ったから」


小さく付け加えた慧の一言に、北村課長は眉を上げて視線を向けたが、特に何も訊かなかった。


黙ったままキーボードを叩くと、在庫画面が呼び出される。


「今日の上がり予定も見て行くか?時間あるんだろ?」


「相良さんの会議が終わるまでなら」


頷いて慧がパソコン画面を覗きこんだ。


即座に、頭の中にあった”腹立たしい出来事たち”は片隅に追いやられる。


慧としては、無かった事にしたかったのだ。


久しぶりに会った和花が、酔い潰れた事も。


予期せず家まで送る羽目になった事も。


不意に見た寝顔が驚くほど無防備だった事も。


和花が”飲めない”事を自分が知らなかった事も。


あどけない寝顔に指を伸ばしそうになった事も。


出会い頭に不意打ちの”他人の振り“攻撃を受けた事も。


意外なほど傷ついた自分の心に違和感を覚えた事も。


あっさり”他人”と言い放った和花に無性に苛立った事も。


何もかもごちゃまぜにして、ゴミ袋に詰め込んで、しっかり口を縛って可燃ごみとしてさっさと燃やしてしまいたかった。




「何なのよ、さっきのアレは!?あんたあたしに何か物凄い恨みでもあるわけ?あたし、あんたにそんな恨まれるような事した!?もしかして、家まで送らせた事!?」


通話をタップするなり怒涛の文句が続いて、慧は思わず電話を切りそうになった。


キャンキャン吠える和花の声に鬱陶しそうに溜息を吐く。


「思い当たる節他にはないのかよ?」


「ちょ、ちょっと待ってよ、色々他にも思い出してみるからっ・・・」


急に黙り込んだ和花が、何やら小声でぶつぶつ言っている。


随分昔の子供の頃のお菓子の取り合いや、家族で出かけた夏祭りの射的で競い合った事、遠足の朝に目覚まし時計をセットし忘れた事まで遡り始めて、慧は思わず噴き出した。


どれも慧の中には鮮やかに焼き付いたままの記憶だが、和花にとってもそうだったようで、それが純粋に嬉しい。


「そこで考えるなよ、お前は・・・んで、何、クレーム?」


「そうよっ」


「あれはお前が悪い」


「何がよ」


「・・・色々腹が立ったから」


複雑な感情は適当に誤魔化して、分かり易い感情だけを纏めてみると、やっぱりこれになるらしい。


言葉にしたら妙に納得した。


そうだ、腹立ったんだよと慧は頷いてみる。


「はぁー!?なによそれ!!!」


予想通り和花が電話越しに逆切れした。


慧が開き直って、そういうとこだよと告げる。


「お前に可愛げが無いのが腹だたしい」


「か・・・可愛げェ!?」


「もーちょっとしおらしくしてりゃあ良かったのに」


「しおらしくてたら何が良かったのよ!?」


全く腑に落ちないと言った口調で和花が言い返して来る。


「そりゃあ、俺が・・・」


「慧が?」


「・・・っいい、何でも無い」


浮かんだ単語に全否定を返して慧が首を振った。


”助けてやれたのに”


和花が自分を頼る事なんてありえないのに。


僅かでも浮かんだ”もしも”に馬鹿みたいだなと思う。


「何よ、あたしは怒ってるんだからね。ほんっとにあんたの意地悪さにはびっくりよ!」


「他人のフリするか?普通」


「だってそれ以外思いつかなかったのよ。それ言うなら、社内で会う確率高いって事前に教えときなさいよね」


「本社異動の時点である程度は覚悟しとけよ」


「こんなに会うとは思わなかった!」


「あーはいはい、そうですね」


おざなりに返事をすると和花がもう!と膨れた声を出す。


「それと。あたしに可愛げなんて求めてたの?そっちの方がびっくりよ」


その言葉に、慧が我に返った。


「・・・だよな」


そもそも姉弟に可愛げを求める方がどうかしている。


ぼんやり呟いたら和花が一転して心配そうな声で訊いて来た。


「慧、大丈夫?あんた疲れてんじゃないの?」


次に何を言えば元姉弟としては正解なのかと、慧は難しい顔で黙り込むことになった。

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