第2話 人はそれを再会と呼ぶ

「お前もべッタな店選んだねー」


案内された個室にやって来るなり、慧は軽口を叩いた。


「海外から戻ってきたら、和食が食べたいかと思ったんだけど?」


「んで、この店?」


「悪かったわね!美味しい和食のお店って此処しか思い浮かばなかったのよ!」


スマホの画面を操作しながら、顔も見ずに和花が言い返す。


「まーそうだろうなぁ。父さんに会った?」


「・・・連絡してない」


「ふーん、で、先に飲んでんのかよ」


「いいでしょ。ビール一杯だけよ。ほら、さっさとグラス持って、注いだけるからさ」


「その口ぶり・・・ほんっと相変わらずな」


笑って、ネクタイを緩めた慧が向かいの席に腰を下ろす。


今日のお店は、個室のある小料理屋。


かなり、奮発したつもりだ。


和花の給料では簡単に食べに来られるようなランクのお店では無い。


が、仮にも2年間の海外勤務から戻ってきた人物と食事をするのだから、それなりの場所を選ばない訳にはいかなかった。


意地でも。


「はい、お帰り、お疲れ様」


綺麗に注がれたビールグラスに半分程残った自分のグラスを合わせる。


「ありがとう」


あまりにも素直に慧がその言葉を口にしたので、和花が思わずグラスを運ぶ手を止めた。


反対に綺麗にグラスの半分を飲みほした慧が怪訝な顔でこちらを見て来る。


「なんだよ?」


「あんたに、ありがとうって久しぶりに言われた気がする」


「そうかぁ。で、何頼んでるの?」


「季節のコース」


「ふうん」


「いいでしょ?此処お魚も新鮮だし。お刺身とか、食べたいでしょ?」


「うん・・・で、異動になったって?」


「本社の商品部勤務」


「事務したいって言ってたもんな」


「し・・東雲の・・・お父さんから、何か訊いた?」


両親の離婚が決まった時、これからも”お父さん”で良いと言われたけれど、やっぱり抵抗がある。


和花が言い淀んだ事については、何も言わずに、慧が軽く首を振った。


「何も訊いてないよ。何で?」


「だって・・・本社異動になる理由が無いから」


大学を卒業して1年、派遣で働きながら正規雇用の就職先を探したが見事に全滅。


東雲の父が、志堂一族の分家である事は家族だった頃から知っていた。


けれど、そのコネを伝って就職する事だけは絶対に避けたかった。


だから、就職浪人である事もずっと隠していたのだが、一人娘の将来を心配した母親がそのまま手を拱いている筈もなかった。


和花が仕事口を探している事を母親から訊いた東雲の父は、二つ返事で和花の縁故雇用を本社に打診した。


同族会社では珍しい事ではない。


あいにく世間は就職超氷河期。


縋れる物には何でも縋れと母親に叱責されて、数年ぶりに父親に頭を下げに行ったのが2年前の話だ。


その時、本社勤務を勧められたが、それだけはどうしても出来なかった。


血の繋がらない”父親”に何処までも甘えるしかない自分がどうしようもなく情けなくて、悔しくて、惨めだった。


父親に必死で頼みこんで、店舗のスタッフとして採用して貰ったのだ。


本社勤務だけは、絶対に無いと思っていたのに。


「長く勤めるなら、事務職が良いって言ってただろ?」


「そうだけど・・・東雲の名前で異動になったなら」


「まだそこに拘ってんの?」


「だって」


「いい加減にしろ、馬鹿。うちの会社に縁故採用の人間が何人いると思ってんだ?俺の上司の相良さんだって、志堂の分家だし、社員の3分の1がほぼうちの一族の関係者だよ。今更そんな事が異動に関係してくるわけないだろ?」


「だって・・あ、それに、あんたもあんたよ!なんで、日本に戻って来るなら先に連絡くれない訳?」


「そんなマメに連絡取ってたっけ?」


「なによ、イヤミ?あたしは、時差とか考えて気を使ってメールとか送ってんのに・・・」


「ふーん」


どうでも良いような返事をして、慧がビールを飲み干す。


空になったグラスにビールを注いでやりながら、和花がぶちぶちと愚痴を続ける。


「だって、もう兄弟でも無いし、友達・・・でも無いし・・・あたしは、あんたとの距離の取り方が分かんないのよ。お父さんとは違うし・・・」


「父さんが会いたがってたよ」


慧の言葉は無視して、和花が自分のグラスにビールを注ぐ。


と、その手からビール瓶を取り上げて、慧が酌をしてくれた。


「ありがと・・・ねえ、本当にあたし達の事、誰も知らないのよね?」


念を押すように問いかける。


自分の言葉を無視された事に、ムッとした様子で慧が何か言いかけて、飲みこんだ。


「知るわけないだろ。何年前の話だよ、分家連中も殆ど知らないんじゃねェの?一鷹さんと、浅海さんと・・・後は、ウチの上司位か。そんなに、東雲と関わりがあった事がばれるのは嫌か」


「子連れと再婚して、別れたなんて噂でも流れたら・・・お父さんの印象良くないし」


俯いて、琥珀色の液体を眺める和花。


そもそも、子連れの女と再婚しようとした時点で、一部の分家間では相当物議をかもしたのだが、それは和花の預かり知らぬ事だ。


勿論、慧はこれまでも、これからもそんな事を和花に教えるつもりなど無かった。


「そう言う所は気になるのに、父親には会えないのか」


「・・・怒っていいわよ。子供みたいな事するなって、あんたは、あたしを詰る権利も、非難する権利もある。慧だけはね」


自嘲気味に笑って和花がグラスを煽った。


頃合いを見計らったように廊下から声が掛かる。


「東雲様、よろしいでしょうか?」


「あ、はい、どうぞ」


「失礼いたします。次のお料理をお持ちしました」


タイミング良く次のメニューが運ばれてきた。


会話が途切れる。


「東雲様はお久しぶりでいらっしゃいますね」


「はい・・」


「お父様は先日お見えになられたんです。ご子息様のお戻りを大変喜ばれておいででしたよ」


「そうですか。やっぱり日本食が恋しいので、これからはちょくちょく来させて貰います」


「ぜひ、お次はお父様もご一緒にいらして下さいませ」


「ありがとうございます」


和花が一言も発する暇も無く、慧が愛想よく会話を紡いでいく。


仲居も心得ているようで、和花については一切話を振らなかった。


この店は、所謂”一見さんお断り”のお店なのだ。


予約を取る時には”東雲”の名前を使うように言われている。


が、東雲との関係を興味本位で尋ねられた事など一度も無い。


だから、こういう店は安心なのだ。


和装の仲居が手際良く料理をテーブルに載せる。


お刺身と小鉢の和え物と煮物。


色鮮やかな食器が料理を惹き立てる。


仲居が下がった後で、慧が自分にもビールを注いでから口を開いた。


「とにかくもう人事の事はアレコレ考えんなよ。下っ端の社員がそんな事考えても無駄だ。チャンス貰ったと思って頑張れよ」


「販売の楽しさも覚えて、やっと性根据えて頑張ろうって思えた所だったのに」


自ら望んで選んだ会社では無いけれど、自分なりに前向きになろうと努力してきたつもりだ。


アクセサリー自体に全く興味が無かった和花も、ファッション誌のジュエリー特集は欠かさずチェックするようになったのだ。


接客対応も何とかこなせるようになった矢先。


「人事なんてそんなもんだよ。ほら、飲めよ」


「言われなくても飲むわよー」


空になった和花のグラスにビールを注いでやりながら慧が言った。


和花に対して非難も、詰りもしなかった。


そういう態度を取るであろう事は、薄々気づいていた。


慧は口は悪いし、態度はデカイし、和花に対して優しくないけれど。


”こういうとき”はいつも優しい。


だから、和花は安心して自分を曝け出せる。


家族で無くなってからも”曖昧”な関係のままで、居心地良い距離で。


「っていうか、あんたは何で戻ってきたの?」


「は?」


「海外、楽しそうだったじゃない」


「ああ、まあ、上が何考えてるのかなんて俺も知らんよ。浅海さんの両脇固める為の育成期間みたいなもんだからさ」


”浅海昴”志堂分家筆頭である彼のサポートをするべく、営業部と国際部でそれぞれ次世代候補の育成が始まっていた。


決して力があるとはいえない東雲家。


志堂一鷹の母親の生家でもある東雲がこうも力を持たないのには、訳がある。


慧の父親である東雲博久が、全く権力に無頓着な人間だったからだ。


姉が志堂本家に嫁いだ後も、本家とのパイプと強くする事はなかった。


出世も望まず、東雲の家だけを守る為に生きていたから。


東雲博久の”無欲さ”を気に入った現当主が秘書室長に引き上げた為、その息子である慧は、必然的に次世代候補として国際部の相良の下に配属される事になった。


「あんたは・・・やっぱり一生ここで生きてくのね?」


「ま、息子は俺しかいないしな」


「就職先斡旋して貰っといて、身勝手な事言うけどさ・・・人事とか、異動とか・・・」


途中で言い淀んで迷うように視線を彷徨わせた和花に慧が視線を送る。


「何だよ、言えよ」


「でも・・・」


「あのなぁ、俺が傷つくとか、ヘンな心配しないでいいから、とっとと吐け」


慧の言葉にグッと眉根を寄せてから和花が言う。


「権力とか本家とか分家とかそういうのなるべく関わりたくない!あたし達はもう関係ないんだし」


「んで?」


「でも・・ここで仕事干されたら生活出来ない・・・から、愚痴だけ言って御免なさい」


「うん、いんじゃねェの?普通に生活してると絶対関わり無い場所だしな」


「でも・・・あんたとお父さんが居る場所なのに・・・ごめんなさい」


和花の言葉に呆れたように慧が答えた。


「よく言えました」

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